子育てねっと掲載 イラストエッセイ
ある日、小学校から配られた手紙の中に「親業セミナー」についての参加申込書が入っていました。スキンシップやコミュニケーションの方法を勉強して、子どものことを理解できる親を目指す内容だったように思います。とても素敵な提案だったのですが、ヘタレな私は、「親業」という言葉にビビッてしまいました。
親って、職「業」…だったっけ。
子どもが生まれて、あせったりあわてたり、泣いたり笑ったりしながら、子どもと一緒に生きていく、生活していく、それで親、じゃだめかしら。
もちろん立派な親とか良い子どもを育てられる親とかにはできればなったらいいと思いますが、
そのためのスキルを磨いて理想の親、プロの親を目指すというのは何かが違っているような気がするんですね。もっともっと、面白くて楽しくて、そして波乱万丈で非効率的、ハチャメチャドタバタものだと思うのです。
子どもの成長過程を見ていると、自分の人生がもう一度ゆっくり始まったように感じます。まるでちょっと脚本の違う映画を見ているよう。
ああ三歳の頃の自分もああだった、一年生の自分はこうだった、そして中学生になったとき確かにあんなふうに感じていた、と。それが自分を客観的に眺めるチャンスのように思いました。
また家族という人間どおしの生の感情のぶつかり合いで、自分が気づくこともたくさんあります。
親も成長中の人間であって、今まさに子どもが育つタイミングに合わせて自分も一緒に育っていくような。
子育てのために勉強をする、ということはとても向上心があってすばらしいことです。
ただ、それが何かを上手にクリアーするための、とか、結果を出すための、ということになってしまうのは残念な気がするのです。
最近はたくさんの育児書があって、どれを手に取ろうかと迷うほどですね。
「母乳育児のコツ」
なんてタイトルも。こんなことも一冊の本になるのねえ…なんて思い、
中をぱらぱらと読むと、母親の食事がいかに母乳に影響を与えるか、
赤ちゃんのためには何を食べるべきか食べないべきかといった内容でした。
ずぼらなワタクシでは、この本を読んだら「母乳育児」に挑戦?できなかったかも、とすら思いました。たまたま母乳が出たから母乳で育てましたが、足りなかったり出なかったらミルクにすればいいやーなんて考えていましたから。
なんだか楽しいはずのおっぱいタイムに、新たな難問を与えられたように感じて、ヘナチョコな私はすっかり逃げ腰になってしまいました。
スキルを磨く、勉強する、知識をつけることは素敵なことなのですが、それが多すぎることの弊害を、私は少し感じてしまいます。
もっと自由に、自分勝手に、楽しく子育てしてもいいんじゃないかなあ、なんて思うのです。