【2011-05-23(月)】
つい最近知ったんですけどが漢字の書き順のホームページがあるらしいんですよねえ、友達がi-PADに入れ込んでいて見せて呉れたんですよねえ。
親鸞の「鸞」という字が30画で最高画数らしいんですが、亀の旧字「龜」っていうのが15画とは言えどう書くのかが一番分らない書き順らしいんですよねえ。
まっ一生書くことはないと思うんですけどが、そんなのでもチョイチョイチョイって順番に書いてみせて呉れるんですよねえ。
「いろは」をコオカイテコオカイテコオカクノって体で書いて覚えた年代からすると、隔世の感がありますよねえ。
あん時ゃ確か「ゑ」が一番難しかったなあと記憶してるんですよねえ、クラスで一番上手に書けるやつ何故か人気者だったんですよねえ。
身体で字を覚えながらも少しはましな作文が書けるようになった頃の学級文集が出てきたからと、古い友人が送って呉れたんですよねえ。
わら半紙に謄写版刷りで黒紐綴じのやつ、流石にインクの臭いは消えていましたが、あの頃の純真さは其の儘残っていたんですよねえ。
副委員長やってた女の子、多分今頃魅力的で素敵なおばさんになってるだろうなあ、その子の作文ちょっといいんですよねえ、だけどもあの頃ほんとにこんなことあったのかなあ。
「この頃思うこと」 六年一組 酒井和 歌子
人が一番恥ずかしいと感じるのは、自分のことを他人に知られるということだと思います。
どうしてかというと、人は自分の恥ずかしいところを知っていて、それを人に知られたくないからだと思います。
小さい子が知らない人に会うとお母さんの後ろに隠れてしまうのも、恥ずかしいからだと思います。
なぜ恥ずかしがるかというと、自分のことを知られてしまうからだと思います。
小さい頃から恥ずかしいという感情を持っているのだなあと思います。
そんなに小さい頃から恥ずかしいという感情を持っているということは、それは本能的に持っているものだと思います。
原始時代から、人は他の人に会うと恥ずかしかったのだと思います。
自分のことを知られてしまうのが恥ずかしかったのだと思います。
だけど、原始時代でも友達になったり恋人になったり夫婦になった人達はたくさんいると思います。
そうじゃないと、今の私たちは生まれてこなかったからだと思うからです。
みんなが自分のことを知られるのが恥ずかしいのにどうして知らない人同士が知り合うのか、不思議に思ったのでお父さんに聞いてみると、こう答えてくれました。
「それはね、自分のことを知られるのを恥ずかしいと思ってる人でも他人のことを知るってことは別に恥ずかしく思わないからだよ、それで、自分のことを知られる恥ずかしさよりも相手の人のことを知る嬉しさとか楽しさの方が大きいと、少し位なら自分の恥ずかしいところを知られてもいいやって思える時に人と人は知り合えるんだよ」
私は、友達だったら自分の恥ずかしいところを知られてもそんなに気にならないのはそれでなのかなあと感じました。
でも、友達になりたい人の前でも赤くなってしまったりしゃべれなくなってしまったり恥ずかしくてしょうがないのはなぜなのかなとも思いました。
それは、やっぱり恥ずかしい気持ちのほうが強いからなのかなあと思いました。
みんなも赤くなったりうまくしゃべれなかったりする時は、友達になりたいけど自分のことを知られることの方がまだ恥ずかしすぎてそうなるのかなあと思います。
だから、そういう人をからかったりしてはいけないと思います。
そうするともっと恥ずかしくなってしまい、かわいそうだと思います。
恥ずかしがりやの人はすごい勇気を出しているのに、それをみんなで面白がったりしてはいけないと思います。
私は、私の前で赤くなったりうまくしゃべれなかったりする人と友達になりたいと思います。
それは私と友達になりたいと思ってくれているからだと思うからです。
だから、みんなもS君のことをからかったりしないでくれればいいのになあと思います。
成程なあ、あの頃眩しく思えていたのは、学校中で一番可愛かったことも然ること乍ら、同年齢の少女達からは飛び抜けていたこの凛とした姿勢やひた向きさや知性をも窺わせる聡明さ、それに何より優しい心根だったんだよなあ。
でも、此の時のS君はその場で穴を掘って中に隠れてしまいたかっただろうなあ、そしてちょっぴりは嬉しいなあって思ってもいたんだろうなあ。
因みに、このS君が長じて「もともと偏屈男」になったということは余り級友達には知られていないし、ましてやこの作文を書いた女の子が後に女優になったという話なんか、全くある訳がないんですからねえ。