「お互い様ですから」じゃ済まない迷惑。 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-11-20(日)②】

 

 昨日の大雨が嘘のようないいお天気で、おまけにこんなに暑くなるなんてねえ。

 

 

 かともえば、明日は又いきなり気温が10℃も下がってしまうらしいですねえ。

 

 

 各季節ごとがそれぞれ、柔な人間様は追いて来れないようにと猿知恵を働かしてるみたいですかねえ。

 

 

 たかが自然の分際で生意気な、もそっと真面目に大和好みの季節の移り変わりを心掛けなきゃいけませんですよねえ。

 

 

 

 日本の美徳の中の一つで、世界的に有名になったのが「勿体失い」の精神でしたかねえ。

 

 

 

 この偏屈男も、体の芯まで「勿体失い」が染み付いている世代なのですが、それでも随分と「勿体失い」ことばかりしているんですよねえ。

 

 

 社会全体が段々と豊かになり消費を楽しめる時代を経験し、その上飽食の時代とかいうものを潜り抜けてきたお蔭なんでしょうかねえ。

 

 

 

 これだけ恵まれてしまうと現金なもので、失くなるとか足りなくなるとかを心配することなんか、これっぽっちもしなくなっちゃってますものねえ。

 

 

 

 唯、若しひょっとかしていきなり物に不自由をすることになったりしても、それはそれで甘んじて受け入れればいいやくらいの気持ちは残っているかなあとは思うんですけどがねえ。

 

 

 所謂「失きゃあ失いでもいいや、どうせもとから失かったんだから」という破れ被れには、いつでも戻れるようにはなってるんでしょうかねえ。

 

 

 ですから、人様がなさることがいくら「勿体失い」ことしてるなあって感じても、それはそれで皆様ご勝手にお好きなようになさればいいことなんで、それに対して憤慨もしなければ腹も立てるなんてことも失いんですよねえ。

 

 

 

 実は今、薄れゆく日本の美徳に対して憤慨したり腹を立てたくなるようなことが一つあるとすれば、それは「お互い様ですから」の精神が通用しなくなってきてるってことですかねえ。

 

 

 

 人と人同士が袖摺り合って生きてかなきゃいけない世の中で、ともすれば迷惑の掛け合いになり勝ちになるのを了解しあって、何かの折には「お互い様ですから」の一言で丸く収めて、お互いが前向きにやってこうよって精神は、社会の潤滑油となって呉れてたんでしょうよねえ。

 

 

 

 この偏屈男も、人様には随分とご迷惑をお掛けしてきてますし、逆に多少は迷惑を被った覚えもあるんですよねえ。

 

 

 けどが、どちらもその迷惑っていうのは、どうかすると互いの立場が入れ替わる可能性のあるものだったような気がするんですよねえ。

 

 

 「今回はそちらが迷惑を掛けたんですが、次には同じご迷惑をこちらがお掛けするかも知れません、お互い様ですから」

 

 

 同じ人間がすることですから誰にだってその可能性はあるっていう前提で、同じような迷惑を掛けたり掛けられたりの「お互い様ですから」の社会だったような気がするんですよねえ。

 

 

 

 ところが、昨今多く見受けられる迷惑って、絶対に互いの立場が入れ替わらないだろうなって類いの迷惑なんですよねえ。

 

 殆んどの人が絶対に掛けないような迷惑を、或る特定の人達だけが掛けてるんですよねえ。

 

 

 「お互い様ですから」じゃ失くて、「何一方的にそっちだけ迷惑かけ続けてんだよ」って思わせるような迷惑なんですよねえ。

 

 

 

 大概の人だったら絶対にしないんじゃ失いのかなあって思う迷惑に対しては、「お互い様ですから」では済ませられませんでしょうかねえ。

 

 かと言ってこの偏屈男、お前の存在自体がそれだけで迷惑を掛けてるんだと言われれば、もう何も言う資格は失いんでしょうよねえ。

 


 

 「まっあんな人でも誰かの子だろうし、若しや誰かの伴侶かも知れないし、ひょっとかすれば誰かの親かも知れないんだ、もうそれだけでも立派じゃ失いか、その他に何を求めることができるんだろう」って思ってればいいってことなんでしょうよねえ。

 

 けどが、「お互い様ですから」とは絶対に言って上げないようにしようと決めてはいるんですよねえ。