十四の心 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-08-19(金)②】

 

 暫らく前のことですけどが、講談を聞いていたら、「徳を積むは十四の時」という一節をやってたんですよねえ。

 

 「徳」という字は、「行人偏に十四の心」と書くのでそう言われるんだそうですってねえ。

 

 人というのは十四才から徳を積めるようになるということなんだそうですってねえ。

 

 見てきたような嘘を云う方の言ってることなんですけどがねえ。

 

 その講釈師の方は、今日の講談はここだけ覚えて帰ればいいからねって言ってましたっけ。


 

 人に依っては、十四才の心で行なうからこそ「徳」なのだよとお考えの方もいらっしゃるそうですけどが。

 

 何かそっちの方がしっくりきて安心みたいな気がしますかねえ。

 

 そうして、それが「行人偏に十四才の一心」だったら、もう筋金入りの「德」になっちゃいますかねえ。


 

 それとはまた別に、十四の心を以て耳を傾けるからこそ「聴」なんだと言う方もいらっしゃるみたいですよねえ。

 

 十四才の心で耳を傾けるっていうんなら楽かって、そんなことはないんでしょうよねえ。

 

 十四才から遠くなればなるほど、聴けなくなっちゃうんでしょうかねえ。

 


 がらっと変わって、十四の心というのを年齢で考えずに、数で考えたらどうなるんでしょうかねえ。

 

 何と何で併せて十四になるんでしょうかねえ、どの心とどの心で併せて十四の心になるんでしょうかねえ。

 

 

 「徳」だって「聴」だって、決してそんなに簡単なもんじゃないんでしょうよねえ。


 

 そう言えば短歌で、「なんとかがなんかしてなんとかで十五の心」っていうのありましたかねえ、あれ誰のでどんな歌でしたかねえ。

 

 三十の心、四十の心、五十の心、六十の心、七十の心が入ってる字ってあるんですかねえ。

 

 あっ、八十以上はもう体だけで充分なんですよねえ。