【2011-07-09(土)②】
ネーミングにはいつも苦労するんですよねえ、本当は「聖職の行き過ぎ」ってしようと思ったんですけどが教育業界の知識余んまり失いんですよねえ。
「生殖の息継ぎ」だとそっちの方が却って疎いんですよねえ、「生殖のやり過ぎ」だとそのものズバリになっちゃってR20指定になっちゃうしやっぱここは「聖職」からは離れないんですよねえ。
ってことでここは矢っ張りお得意の「聖職者」に落ち着くことになるんですけどが、「値踏み」や「瀬踏み」も候補に上がったことは上がったんですよねえ、けどがそれでは余んまり不敬過ぎるんじゃないかって自制心が働いてこのタイトルになったんですけどがねえ。
足踏みは幼い頃から教えられてきたんですよねえ、「前えーっ進めっ」の前の準備段階に「足踏みーっ始めえっ」の号令が掛かって、イチニッイチニッってやってるうちに両手両足の動きがバランスが取れてきたなあって頃合を見計らって号令一下歩き出すんでしたかねえ。
一般の人に取っては足踏みっていうのはどこかに歩き始める前段階の行為で、次には必ずどこかへ進んで行くっていう約束のもとにするもんなんでしたよねえ。
どこにも行かずにずっと足踏みをし続けるとそれはもはや足踏み等と言うものでなく、唯単に地団太を踏んでいるってことなんでしょうかねえ。
小学生は小学生なりに足踏みをし次にどこかへ向かって歩き始める、歩んでいるうちに中学生に成長しその中学生は中学生なりに足踏みをし次にどこかへ向かって歩き始める、次の高校生は高校生なりに、次の大学生は大学生なりに、次の社会人は社会人なりに足踏みをしてどこかに向かって歩き始める。
一般の人達に取っては足踏みってそんなものに過ぎないんでしょうかねえ、ところが「聖職者の足踏み」ってそれとはちょっと事情が違うようなんですよねえ。
足踏みするんです、けどがそれはどこかに向かって歩き始める前段階でなく、唯ひたすらその場で足踏みをし続けてその場で一歩も動くことなく大きくなってゆく為の足踏みなんでしょうかねえ、成長は足踏みした儘んましていくんでしょうかねえ。
勿論地団駄踏んでるんじゃないんでしょうよねえ、唯ひたすら足踏みをし続けてるだけなんでしょうよねえ、同じ場所で足踏みしてる方が足踏みして歩いて又足踏みして歩いての繰り返しよりももっと大きくなれるんじゃないかなあと考えてるんでしょうかねえ。
この偏屈男凡人の極みなのでそこんとこが全く理解できないんですよねえ、足踏みする度んびに成長していく大きくなっていくってほんとに信じてるんですかねえ、どこかに向かって歩き始めなくても背は伸びていくんですかねえ。
「聖職者の足踏み」っていうのは凄いもんだよなあって思うんですけどが、同んなしところをずーと踏み締めるその強さってのはどんどん強くなってくもんなんですかねえ、弾みで一歩踏み出しちゃうことはないんですかねえ、足跡はどんどん小さくして体はどんどん大きくしていってバランス取ってけるんですかねえ。
足踏み命がマスターベーションとは言えないんですけどが、歩き始める為の足踏みじゃないと何か理に適ってないんじゃないのかなあって思っちゃうんですよねえ。
足踏みいくらやったってとうとう歩き方も分らなかったこの偏屈男、両手足のバランス取れない儘んま歩くよりかそこでじっと足踏みだけしときゃよかったんでしょうかねえ、けどがねえそんなことしてたら多分背は伸びなかったとは思うんですよねえ。
足踏みずっと続けてる間に背だけは伸びていく不気味さよりかはましだなんて絶対に思ってなんかいないんですけどがねえ。
先にタイトル決めちゃうとこういう無理筋の流れになっちゃうんですよねえ。