【2011-06-27(月)】
この偏屈男、自慢じゃないけどが等とほざいてる時には必ず自慢をしてるんですよねえ、そいじゃあ本当に自慢できないことはどう言えばいいんでしょうかねえ。
自慢できないことと言うよりか、自分の恥となるようなことや外聞を憚ることや人間失格の烙印を押されてしまうようなことって考えた方のがいいんですかねえ。
人はそんなものは持ってなんかいないんでしょうかねえ、或いは例え持っていたとしても他人にはそんなことは喋らなくとも良いって考えるのが暗黙の了解としてあるんでしょうかねえ、他の人も本当に「自慢できないこと」を「自慢じゃないけど」と言って話して呉れるのを余んまりして呉れなさ過ぎて、そこんとこどっちか良く分らないんですよねえ。
「自慢じゃないけど、この間電車で痴漢を捕まえてやってねえ」って言うのと「自慢じゃないけど、この間電車で痴漢をやって捕まってねえ」って言うのとでは、どちらが自慢でどちらが自慢じゃないかは一耳瞭然なんですけどがねえ。
しかし余談ですけどが、話の中でたったの「捕まえて」と「やって」の出て来る順番の違いで人間の運命が大きく変わってしまうなんて、人生は厳しいもんなんだなあって改めて思うんですよねえ、いやそれよりか「と間違えられて」の方のがもっと大変な人生が待ち受けてるんでしょうかねえ。
扨てもこの偏屈男、シラケ世代初期の特徴の一つである「露悪趣味」とか「偽悪者振り」を多少は備え付けられてはいる筈ですけどが、「自慢じゃないけどがこないだ空き巣に入ったら現ナマウハウハにぶち当たっちゃってよう」等とは決して喋らずに内緒にしてるもんなあ屹度、現ナマウハウハは確かに自慢できるけどが空き巣に入ったのは外聞を憚ることだし、それよりも何よりもお縄になっちゃうしなあ。
それから、救急車呼んで人助けを3回もしたことは「自慢じゃないけどが」って喋るけどが、救急車呼んで貰って病院に担ぎ込まれたのも3回もあるっていう事実は「自慢じゃないけどが」なんて絶対に話さないもんなあ。
「自慢じゃないけど昨日パチンコで20万儲かっちゃてさあ」って言う人も「自慢じゃないけど昨日パチンコで20万負けちゃってさあ」とは余んまり言わないもんなあ、昔一度カミさんに言ったら余っ程こっぴどい目に遭ったんだろうなあ。
「自慢じゃないけど」が絶対に「自慢じゃない話」をしないのに比べると、「恥ずかしい話なんですが」とか「恥を忍んでお話しますが」っていうのは本当に「恥ずかしい話」をするって信用してもいいような気はするんですけどがねえ、恥を話せる程の達観した境地に辿り着いているって感じがするんですけどがねえ。
相手に自慢じゃないって思って貰って自慢したいことを話したい時にも、「恥ずかしい話なんですが」とか「自分で自分の恥をお話しするようですけど」とかを初めにつけた方のがいいかも知んないのかなあ。
「恥ずかしい話なんですが、以下これから話す内容は全て自慢話なんだよ」ってな感じで。
ああそうでしたかねえ、もともと「自慢話」なんかするのは恥ずかしいことだったんでしたかねえ、恥ずべき人間がするのが「自慢話」なんだから、それをする時には「自慢じゃないけど」でなく「恥ずかしい話なんですが」って付けるのが根っからの正しい言い回しだったんですかねえ。
この偏屈男、恥ずかしい話なんですけどが、漸くそこのところに考えが至ったんですよねえ、ってこれ本当に正しく恥ずかしがれてんですかねえ、それとも結局は自慢になっちゃてるんですかねえ。
矢っ張り「自慢じゃないけど」も「恥ずかしい話なんですが」もどっちも相手に自分に関する何かを話す時の単なる前置きに過ぎなくて、人が自分に関する何かを話す時ってのはその内容がどうであれ自分にとっては必ずどこかしらが自慢なことになっちゃってるんですかねえ。
そう言えば昔、「自分のことを話せばそれは全て自慢話になってしまう、人前では自分のことは滅多に話さぬことじゃ」って戒めて呉れた人いたっけなあ、けどが戒めて貰った挙句がこれじゃあ後であの世で会わせる顔ないかもなあ、まっでもそれを思い出しただけでも良として、なんてことは口が裂けても言いませんからせめて不可に近い可ぐらいとして呉んないかなあ。