こんなことを教え鍛えて呉れた人 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-06-28(火)】

 

 この偏屈男、色々なことを色々な方に教え鍛えて戴いたお蔭で、今迄何とか世の中の片隅で生かさせて貰ってきたんですよねえ、そして教え鍛えて戴いたことの中でも忘れられない一つに数えられるのは「ホステスさんのいる酒場での飲み方」なんですよねえ。

 

 お酒を飲む場所でホステスさんのいるバーやクラブに出入りするようになったのは社会人になってからなんですよねえ、それ以前は数回程「ハワイ」とか「ロンドン」とかの大衆キャバレーに仲間皆んなで繰り込むなんてこともあったんですけどが、それはどちらかと言うと騒ぎに行くって感じで飲みに行くってもんじゃなかったようなんですよねえ。

 

 初めて仕事上の先輩に連れていって貰った「バー」、それ以後馴染みの店になるんですけどが、そこで最初に席に付いて呉れたのが「チーママのタカヨさん」って人だったんですよねえ、この人にはそれ以降こういう場所に飲みに来る時の謂わば覚悟っていうようなもんを通う度びごとに教え込んで貰ったんですよねえ。

 

 何故先輩がその店へ連れていって呉れたのか、そして何故そのタカヨさんがそんなことをして呉れたのかは後になってみると全てが思い当たることになるんですけどがねえ。

 

 接待で「食わせて飲ませて抱かせて」の世界に入り込まないと一人前の成果を上げられない仕事柄で、顔が利くお店を何軒か持っているっていうのがその為の1丁目1番地だったんですよねえ。

 

 当時は接待交際費はまだそんなに窮屈ではなくて、その上偶々上司に当たる人がまたこっちがいいのかなと思う程の太っ腹で、何方かを接待したいと申し出ると「おい、今日はこれ全部使い切ってこいよ」と言って現金で30万も持たせて呉れるような人だったんですよねえ。

 

 勿論入社して直ぐそんなことはないので、最初は先輩のお伴で接待のノウハウを勉強させて貰いながら、昼間の業務を熟し乍ら夜は夜で地道にホームグラウンドを開拓しつつ1年もすると接待デビューの運びとなるんですよねえ。

 

 そういう店を作る為にという大義名分を基に浮かれ街を飲み歩くようになったんですけどが、「チーママのタカヨさん」のいるお店に通いたいって気持ちも半分だったんですかねえ。

 

 年は今で言うアラサーぐらいだったんですけどが、面倒見が良くて気っ風もなかなかで飲みっぷりも半端じゃない頼り甲斐のあるオネエさんて感じでしたかねえ、見栄えはそこそこで十人並みってとこでしたけどが、人を逸らさぬ頭の回転の早いとこなんかは流石「チーママ」を任されてるだけのことはあるなって思える人でしたかねえ。

 

 夜の社交場の右も左も分らない新入社員のオニイチャンが危なっかしくて見ていられなかったんでしょうよねえ、随分と親身になってお酒の飲み方から始まってお客としての心構えやら態度やら作法やらを教え込んで呉れたんですよねえ。

 

 何とかこの新人君をこういう場所でまともに扱って貰えるような一人前の男に育てて上げようって気で接して呉れてたんでしょうよねえ、あたしが付いたからには少なくとも他のホステスさんもこのお客さんならば席に付きたいって思うようなお客さんには仕立てて上げようって気持ちだったんでしょうかねえ。

 

 その人に薫陶を受けたお蔭でお客さんを接待しても恥を掻かずに済んでたってことは実感してるんですよねえ、それどころか他のお店に出入りするようになっても綺麗な飲み方をするお客のうちには何とか入れて貰えてたような気がするんですよねえ。

 

 その当時の接待ってのは、最初に何か旨いものを食べに行き次にこちらのホームグラウンドに案内するって順番だったんですよねえ、時間的にも酔い心地加減的にもいきなり相手のホームに乗り込むってのは不粋な振る舞いだったんですよねえ、「何だショボイなあ2,3軒案内しろよ」って思われたらその時点で接待するって意味が失くなっちゃうんですよねえ、かと言って最後にアウェイに乗り込んで行かなければもっと接待する意味が失くなっちゃうんですよねえ。

 

 アウェイに乗り込む前には何か気の利いたものを買って相手に持たせたり、お店の撥ねた後に相手のお目当ての子を食事に連れていったり、最後は二人一緒にタクシーに送り込んでお車代を渡して解散っていうのがパターンでしたかねえ。

 

 こちらのホームでええ加減ご機嫌が良くなって戴いた頃合を見計らって、「どこかいいとこへお供させて下さいよ」ってさり気なく相手の行きたいところへ水を向けるのがマナーだったんですよねえ、そして連れたお客にご機嫌良くなって戴くには自分がホームで好かれるようなお客にならなければいけないってのがタカヨさんの教えだったんですよねえ。

 

 大事なお客さんを連れて行くからには、店中のホステスさんも又その人のことを大事なお客さんと思って貰わないと接待なんて成功する訳がないんですよねえ、その為には先ず本人が大事なお客さんホステスさんから好まれるお客さん席に付きたいと思われるお客さんでなければならないんですよねえ。

 

 接待した方に自分の為にこんなに金使って呉れたのかよって思って貰うことが重要なのと同じ位に、ご案内したお店では自分が接待相手の次にいい男なんだってことが大事なことなんですよねえ。

 

 幸い金は鷹揚に使わせて貰えたんで、残るは使い方だけを考えれば良かったんですよねえ、その使い方にホステスさん達が協力して呉れるようないい男におなりなさいよってタカヨさんが何時も導いて呉れてたんですよねえ。

 

 入れ込んで呉れたと言うのとはちょっと違うんですけどが、少しは気に入られて贔屓にして呉れていたような気はするんですよねえ、勘定の方もプライベートでは無理せず通えるようにと気を配って呉れながらもホステスさんに一番嫌われる吝嗇なお客にはならないようにと配慮もして呉れてたんですよねえ。

 

 お店が引けた後の食事や飲み直しに出掛けたり、そしてその帰りに家に送っていったり、お店が休みの日に会ったりどこか出掛ける約束をしたりと一つ一つの実践を通して、こちらを水商売の女性からは嫌われないような男に仕立て上げようとして呉れてたんですよねえ。

 

 けどがねえ、タカヨさんとは2年の馴染みを過ぎた頃に綺麗な関係の儘でお別れしなくちゃならなかったんですよねえ、浴びる程飲んでいたのがたたってとうとう体を壊して郷里に帰ることになってしまったんですよねえ、お別れの最後に自分の車で富士山の見えるその地まで送って行ったのがタカヨさんとの縁が失くなった時なんですよねえ。

 

 今思うと、一歩手前で一線を越えられなかったのは体に無理してるのは見ていて分っていたのでこれ以上無理はさせられないよなあって感じていたんですかねえ、それともこの人は自分には師匠に当たる女性なんだと思っていたからなんでしょうかねえ。

 

 この偏屈男の若い頃はホントいい時代で、ママさんを始めとしてチーママやホステスさんの何人かは高いお金を使わせる代わりによし一つこの男を鍛えてやろうとか、一人前の男として通用するようにしてやろうとかと思って呉れる人がいたんですよねえ。

 

 そしてそれより何より有り難いことだったんだなあって感じるのは、唯思うだけじゃなくて実際にそういうことができる人がママやチーママやホステスさんの中にいて呉れたってことなんですよねえ。

 

 その頃の自分にとっては、「酒場」っていうのは「ママ」が道場主で「チーママ」が師範代で「腕のあるホステスさん」が高弟に名を連ねる「道場」だったんですよねえ、この偏屈男入門を許されて師範代に直々に稽古を付けて貰ったあの頃は純真な青年剣士だったんでしょうかねえ。