文明と文化(抄) |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-05-04(水)①】

 

 以前にも言いましたが、僕が無条件で尊敬する人、絵が描ける人と楽器ができる人の2種類なんですよねえ。

 

 素敵だなあと思える人もいるんです、花や木の名前を知っている人と星や星座の名前を知っている人。

 

 絵が描けて、楽器弾けて、花や木の名前知ってて、星や星座の名前知ってる人、男女を問わずお友達になりたくなっちゃうよなあ、入れ揚げちゃいたいよなあ。

 

 他にはいないよなあ、無条件で尊敬したい人や素敵だなあと思える人、なんと淋しいことなんでしょう。


 

 長くなるので、ごく単純に考え、而も端的に言い表すとすればのことなんですよねえ。

 

 便利になるのが文明、ほっとするのが文化。

 

 便利になることとほっとすること、歩調を合わせて一緒にやってくんですよねえ、多分或る時点までは、でも、その均衡が図れない時が来るというか、その均衡を図る力を持てなくなるというか、そゆ時が来ちゃうんだろうなあ。

 

 今迄で一番便利で一番ほっとする時代なんてのには、到頭辿り着けなかったよねえなんてまだ思っちゃいけないんだかねえ、この先そんな時代目指して貰えるんだろうかなあっても。

 

 あぁーっ、今が一番便利で一番ほっとできる時代だよねぇー、アアコリャコリャ、なんて皆んな思いたくもないかなあ。

 

 そんだったらいっそのこと、附いて行けない便利さよりも、昔感じたほっとさの方を支持しようかなあ、少なくとも不便不自由さにはいつでも戻れるもんねえ。

 

 ただ、必ず安らぎ感じるかというと分らなくなってるよなあ、今や自信満々でって訳にゃいかないかもなあ。

 

 附いてくるかこないか分らぬ安らぎならば、そんなの構わずとことん便利になっちまえというのも、ひとつの考え方ではあるんだろうなあ。

 

 駄目だねこりゃ、長いのやんなくちゃね近いうち、と思いながら、モモエちゃんのおっ母さんのようなお咳をコホンと一つ縁側でしようかなあ。