4月は前の勤め先の先輩、後輩と恒例のゴルフでした。

スコアが100を切れないのはクラブのせいだと思い、フィリピン

から引揚げて来たクラブ持参での帰高でした。

 

到着後、木曜市で花を買い友の墓参りを終えひろめ市場。

イタドリの肴でチューハイ2杯。

6時からは高校時代の同窓生との飲み会。6名来てくれる。

だいたいこのメンバーですが今回は1名欠席。

一人二人と欠席する歳になりました。

 

翌日は先輩の迎えでゴルフ。

相変わらずクラブ、シューズ、手袋に至るまでピカピカに磨いて

くれてあります。

スタートのパー5でいきなり9を叩く。時すでに前途多難を予感。

上がってみれば53,50で103のスコアです。

やっぱりでした。

持参したクラブは役立たずで、諦めて再度家に持ち帰りを決意。

 

反省すべきは腕のせいで練習を誓う。

先輩の送りで大橋通りで土産にかまぼことカツオのたたきを買い

ホテルに荷物を降ろし、更に後輩との待ち合わせの場所の

居酒屋まで送ってもらう。

何から何まで83歳の先輩にご迷惑を掛けています。

 

6ケ月後のゴルフは久々に11月の同窓会に参加したく、1年後の

4月のゴルフを楽しみにして先輩と別れる。

 

5時に行きつけの居酒屋で後輩と2人で飲み会。

お互いにゴルフの反省することしきり。

 

翌朝は兄の迎えで墓参り。

途中のミカン畑の木は花芽が鈴成りです。

我が家のミカンはそのそぶりもなしです。

 

墓から空港までは15~20分の距離で出発までには3時間半

あります。

再度、高知市内に引き返しひろめ市場でチューハイ。

土曜日の午前中ですがこの賑わいです。

カツオのたたきの藁焼きの実演に列をなしています。

私は身内が教えてくれた別の店に注文します。

土地の者ならではの、ここでは魚料理はどこ、たたきはどこと

インプットしてもらっています。

 

いつもの店にレモンチューハイを頼むと、おばちゃんが”あんまり

氷を入れんがやネェ”と覚えていてくれる。

競輪の予想誌を5~6紙テーブルに広げて呑んでいるオンチャン

の横に座って呑み始める。

世が世であれば私も毎日とは言わずとも毎週くらいは皆さんの

仲間入りができたはずです。

 

頃合いを見計らってはりまや橋からバスで空港。

いつものレストランであまり氷を入れないで”とチューハイ2杯に

かまぼこの盛り合わせ。

”たっすいがはいかん。”とはキリンビールの土佐での宣伝文句

ですが同感です。チューハイしかり。

(注:たっすいとは弱い、いかんはだめ。つまり薄い飲み物はだめ)

 

無事藤沢着でした。

 

”ヒーシーの2~3mmはいつの間にか3mmに。”

上のクチムラサキヒーシーが3mm、焦げ茶色のヒーシーは

バイオレットオイスターで1.5mm、手前のオリーブヒーシーが

2.5mmです。

通常ヒーシーは2~3mm、4~5mmと表示されてフィリピンから

輸出されていますが、昔は確かに2mm~3mmの物が混じって

来ました。

中には中央のバイオレットオイスターのように1.5mmの物も

入手できました。1.5mmではブラック、ブラウンペンシェルが

記憶に新しいです。

今では2~3mmと表示されてきますがほとんど3mmばかしです。

昔の職人の技術の高さが偲ばれます。

 

ただし1.5mmは単体では使いにくく14本で連ネックを組んで

いました。

むしろイヤリングなどの繊細なパーツに使い道があると思います。

近々シェルワールドに出して見ます。

たぶんお客さんが良い使い道を考えてくれると思います。

小笠原からパッションフルーツと小笠原の塩の贈り物をいただき

ました。

パッションフルーツは中学時代、この実でジュースを作る所で

アルバイトをしました。

ここの社長が私の叔父、父を知っていてくれた懐かしい思い出が

あります。

オウム貝クラッキング65mm、ムーンシェル6連、オウム貝

11mmビーズのネックです。

3本のみ出てきました。解体します。

ムーンシェルヒーシー2~3mmが25本できました。

在庫と合わせて33本です。

たぶんこのヒーシーも今後作られることはないでしょう。

サンプルに2~3本は残しておきます。

写真撮りをしてオウム貝ブロッキングの11mmが5個です。

つまりネックの片方が解体されずに残っていました。

全て50x60mm黒蝶貝ダエンに描かれたパーツです。

以前、20図柄を各50個作ってもらいましたが、上の図柄が

数点残っていました。

ブローチにして売り切りです。

オウム貝パーツのネックレス2点です。

これも解体するために家に持ち帰りましたが、手にしてみて、

作るとなると手間のかかる品物です。

思い止まってシェルワールドに出して見ます。

ヤコウ貝を磨いてもらったのですが虫食いの穴がありました。

1つは5mmくらい、他は2~3mmくらいの穴です。

最初は全て5mmの穴をあけてヤコウ貝で埋めようとしましたが

上のようにマガキ貝のシズクを貼りました。

お客さんが気に入ってくれるか判りませんがランプにしてシェル

ワールドに出します。

左がホシダカラヒーシーの竹の子です。

良い品ですが色合いが単調で今一つインパクトに欠けます。

他の3点のように白、メロン、ペンシェルのヒーシーを加えて

見ましたが、出来ればトルコ色、アカサンゴの色がほしいのですが

中央のヒーシーの直径が8mmです。

この大きさの他のヒーシーの持ち合わせがありません。

フィリピンでもこのサイズのヒーシーの入手は難しい。

私はサンゴモドキと呼んでいますが詳しい学名は判りません。

非常にもろいですので小さなものは塩ビのケースにいれて、

更に大きいものはガラスケースに入れて売っています。

人気の品ですが今ではフィリピンでの輸出は禁止されている

はずです。

出せばすぐ売れますので売り惜しみをしながら出しています。

 

後日、インターネットで調べましたらサンゴモドキで正しいです。

ユベロン糸?ゴム?です。

かっては8,000m巻(5kg?)を足繁くフィリピンに持参しました。

上のようなブレスを作らすためです。

当初は中央の白のヤタラにウッドビーズにハイビスカスの絵を

描きブレスを作りました。

8,000mで約18,000本のブレスを作ることが出来ました。

 

当時、V6のグループがこの白のヤタラのネックを着けたことで

ブームに火が点きました。

ブームが過ぎ去りますと40cmの長さで数万本のヤタラが残り

苦肉の策で、上のブレスを作ったわけです。

しかしこれは大ヒットしました。

当時、ユベロンのゴムはフィリピンになくコピー商品を作られる

ことがなかったからです。

初考案者の利得です。

1年に2巻持参したくらいです。

それでも数年後にはフィリピンの華僑がユベロンゴムを輸入して

コピー商品は出回ることにはなりましたが。

遥かバリ島まで私のサンプルが渡っていたのには驚きました。

 

日本では1巻、8,000mで売られていますがフィリピンでは

100m単位で購入が可能です。

今では私も500m、1,000mと急場しのぎにフィリピンから

逆輸入です。

1歳と5ケ月になりました。

やんちゃなところは相変わらずです。

前の犬が11kgでしたが品種改良がされ8kgです。

 

白ヤタラのマクラメネックです。やはりSCRAP&BULDです。

80本あります。手前のヤタラ40cmが20本あまり出来るはず

です。到底元は取れないですが少しでも在庫を減らしたいため

には止むをえません。

 

1個1個拾わねばならず、内職に頼んでは売値より高くつきます。

指の運動と思い自分で拾います。

(注:数日後解体は完了しました。後はヤタラの拾いです。)

左上のようなサンゴのチューリップが3個とメタルのハートが

やはり3個点いたブレスが出てきました。

いかにもさびしいのでメタルハートを外しチューリップッを5ケ所に

2個づつ計10個付けますと、すぐに注文をもらいました。

5mm以下の白ジャンクヒーシーです。 

全てのヒーシーに就いてですが、ヒーシーの制作段階で

このような欠けたものが出来ます。

1本の釣り糸に3~6mmくらいの欠けヒーシーが通されています。

物好きでこのようなものまで奨められるままに仕入れました。

数十年経って糸は変色し、3~6mmですとあまりにも大きさに

バラつきがあります。

先ず、5mmのふるいで大小に分けて糸に拾っています。

上の写真は5mm以下のジャンクを拾ったものです。

ビニール袋に5~6袋です。200本くらい出来るでしょう。

 

手間暇がかかりますが、フィリピンの制作現場を思い出しますと

到底捨てる気にはなりません。

毎朝、2~3本の拾いです。

これもジャンクヒーシーの一種です。

ヒーシーにラスティプカをミックスしています。

右下方に金色のシールが数個見えますが40数年前までは

フィリピンに限らず輸入商品の1個1個に原産地国の表示する

シールの添付が義務づけられていました。

フィリピンの場合、MADE IN PHILIPPINESです。

 

その上、外貨の持ち出しも厳しいものでした。

パスポートの終面に両替銀行の両替外貨金額、日付等が記され

ました。

 

手前にラスティプカ3本拾ったのを並べてみました。

これこそラスティプカのナチュラルそのものです。

20cmの長さに拾いましたがネックレスにした方が良いのではと

思いサンプルを作ってみます。

ネックレスを作りました。

海から拾ったものに手を加えてないナチュラルプカです。

強いて言えば穴の空いてないものには穴をあけたことです。

ラスティプカのAクラスもかなり持っていますがこのほうがワイルド

感があります。

 

外したヒーシーは3.5mm、5mm、6mmのふるいにかけて物を

それぞれの大きさで拾う予定ですがこれが大変だと思います。

 

次から次へと出てくるSCRAP & BUILDのために私は何年生きれ

ばよいのか?。

見当がつきません。

 

3月初めNHK立川志らく演芸図鑑での対談で大津美子さんが

出ていました。

大津美子と言えば“ここに幸あり”を思い出します。

 

1972年、初めてセブに行き着いた夜、ホテルのクラブに

行きますと歌手が日本人の客が来たからと歌い出したのが

ここに幸ありでした。

 

47年前のセブと言えばフィリピン第2の都市とは言え、

車もまばらでタクシーはなくPUの時代でした。

PUとはメーターもなく運転手に行き先を告げて話し合いで料金を

決めるのです。

車は日本車のオンボロで中には座席の足元に穴が開いて地面が

見える状態の車もママありました。

マニラでも状況は同じでした。

PUは普通車の他に三菱ミニカ360ccが多く走っていました。

乗用車はほとんど(日本以外の)外車です。

日本車では三菱のコルトがアメ車DODGEの名で走っていました。

 

その後、ポンセのボーイたちと何度も場末のクラブで生ぬるい

ビールと30cmはある竹串に刺した焼き鳥を肴に

歌を聴きに行きましたが、必ず歌手たちが歌ってくれたのが

この曲でした。

ポンセのボーイたちがこの曲で”IF YOU~”と歌い出したのが

思い出されます。

これはたぶんフィリピンでの替え唄と思います。

 

私が歌手たちにリクエストしたのがいつも”ダヒル・サ・ヨ”でした。

ダヒルサヨの意味は”BECAUSE of YOU"だとボーイの説明を

受けました。

 

当時、セブの若者がTシャツに腹の大きい妊婦をプリントして

その下に”IKAW  KASI"と書かれているので意味を聞きますと

BECAUSE of YOUだそうです。

つまり”だってあなたのせいよ”と言いたいのです。

もっともTシャツを着た若者は”BECAUSE of I”、

俺のせいだと自慢したいのでしょう。

 

ダヒルサヨがタガログ語でイカオカシがビサヤ語でしょうか。

 

こんなTシャツもよく見かけました。

子供が裸で釣りをしています。

腹から下は水につかって釣り竿を垂らしています。

魚は餌に食いつかずに子供のシンボルに食いついて

その魚は水平に泳いでいます。

子供は驚いてポカーンと口を開けています。

光景を想像してみてください。

 

フィリピン人のユーモラスさが思い出されます。

 

その後の台湾でもここに幸ありの歌を何度ともなく聞きました。

その後、台湾で流行ったのは”北国の春”です。

台湾での題名は”榕樹下”(ガジュマルの下で)となっています。

北国の春がどうして南国の木であるガジュマルになったか

不思議です。

中国でもずいぶんと流行っていました。

 

その後はテレサテンの歌です。

 

3月です。羽田から香港経由でセブです。

香港ではセブ行きの座席をビジネスクラスにアップグレードして

くれました。

搭乗すれば先ずシャンパンのサービスです。

食事は白ワイン、むき身の生エビと野菜の前菜にガーリックパン

を希望。

メインは白身の魚とライスをチョイス。ワインは2杯。

ハーゲンダッツのアイスクリーム。

エコノミーで出されるのは半分の大きさです。

年寄には大きすぎました。

腹が張れば足を伸ばして仮眠。

セブ空港では荷物受け渡しのターンテーブルから出てくる

スーツケースを待つ。

以前、フィリピン人の荷物と言えば大きな段ボールが紐で縦横に

結ばれて丸くなって出てきたものですが、今ではあまり見かけなく

きれいなスーツケースばかりで私のスーツケースが一番

みすぼらしい。

 

それでも8時半、ホテル着。

いつもの通り水割りを呑み始める。

着いてもTM氏には電話せず。

思えばTM氏にお世話になって40数年。負んぶにだっこのセブで

した。氏もお歳です。出来るだけご迷惑掛けることを減らせねばと

思っています。

 

今回はヤコウ貝2個、タカセ貝6個、パウアアシェル18枚、

白蝶貝2枚持参。

タカセ貝4個をテーブルに置いてみると、手前の2個は底辺が

非常に広く、背は低いが奥の2個は底辺が狭く背が高い。

表面の模様も手前の縞模様はグリーンに対して奥の貝はピンク

がかかっています。

明らかに産地の違いです。

手前がインドネシア産で奥が沖縄産のはずです。

 

白蝶貝です。計っていませんが20cmサイズと思います。

廻りが欠けており、裏面には虫食いがあります。

長くそのままにしてありましたが処分するつもりで磨きのため

持参しました。

朝食前のサンミゲールビールとマンゴーフルーツ。

目玉焼きとハムにパンです。

 

昨年の5月以来の職人来。

彼に注文していたパーツ持参。

品質は良です。

1800個あまりです。

 

30年来の職人が途中まで仕上げていたのを完成してもらった

のが500個くらいです。

白蝶の菊彫りも廻りが欠けていましたのでカットしてもらい

裏貼りをしてもらいました。

フクロウを別の職人に頼んでみるからと預けたのが下の

フクロウで上が新しいフクロウです。

預けたもののたぶん出来ないだろうと期待していませんでしたが

先ず先ずの出来です。

早速、500個注文しました。

 

しかし、気をつけねばならないのは出来上がりの品です。

大体サンプルは丁寧に作り、注文すれば粗製乱造になりがち

です。

この品が上味く出来れば新しい展開が望めそうです。

淡い夢を抱きながら、夢破られた40数年でしたが、

それでもなお夢を抱き続けます。

出来上がりのパーツを見ながら水割りです。

左の中段の木の葉、花、下段のカモメ、ハートの4点は新しく

作って貰ったパーツです。

取りあえず100ペアづつ注文しました。

これらもバレッタの失敗作をカットしてもらい前の職人がやり残した

ものを完成してもらいました。

オウム貝が高騰しており貴重です。

パーツとして生かせる喜びを堪能しながら夕刻は水割りです。

 

前回、老眼鏡を失くして新しく2個作って貰いました1つのガラスが

すぐ外れましたので持参し、ついでに下のメガネに老眼のガラスを

嵌めてくれるように頼みました。

1個はダンヒルで他は本べっ甲のフレームです。

ダンヒルは枠が大きすぎてガラスがなく、べっ甲は私の顔に少し

狭いので広げてくれないかと頼みましたが、枠そのもの狭くて

広がらないとの事です。結局持ち帰りました。

 

べっ甲の方は中安氏からもらったものです。

昔、中安氏にザンボアンガまで同行を頼まれ、氏が彼の地で

仕入れたべっ甲(タイマイ)を大阪の業者さんに送り、小切手が

送られてきたので金額を見ると氏の想像した額より1ケタ多かった

との話でした。

確か100万近かった額だった思います。

(注)今は輸入が禁止されています。

貝屋に行き、べっ甲カサ貝、クチムラサキサンゴヤドリスライス、

マダライモ貝、コブヒトデを仕入れ。

クチムラサキは他の業者に磨き(ガシャ)を依頼。

他は発送を依頼。

クチムラサキは在庫がありますが、ある時に買いです。

酒の肴が無くなりました。スーパーでドライマンゴーを買いましたが

甘いです。

パウアシェルのダイスを作らせました。

張り方を指示してサンプルを作らせ注文をしたら貼り方が違って

います。この職人(NO.2)はいつものことです。

ホテルに預けてあるスーツケースから白蝶貝の丸が15個

出てきました。貝型を作らせます。

 

ウッドの職人、水牛の職人が商品を持参しましたがまだ航空便

には不足です。

出荷をずらして出来るだけ作るようにハッパを掛けてきました。

 

帰国の日です。残りのゴルフクラブを持参してチェックインを

しますとスーツケースとゴルフバッグにPRIOLITY タッグを付け

搭乗券と別にセブ、香港でのラウンジの招待券です。

 

ラウンジ(各航空会社共用)に行き改めて搭乗券を見れば

私のマルコポーロメンバーの頭にSL/RUBYが冠されています。

つまり、グリーンカードからシルバーカードメンバーに昇格

されたのです。

シルバーからゴールドカードに戻るのは到底無理で諦めています。

 

ならば祝いの水割りです。

食事はホテルで済ませてきました。

酒の肴は見当たりませんでしたのでマカロニサラダ、スイカ、

オレンジを採りましたがマカロニは甘すぎ、スイカは水ポイ、

オレンジは酸っぱくて期待外れ。

 

出発時間なので搭乗口に行けば1時間遅れ。

香港での羽田行きの乗り換え時間は1時間です。

香港に近づくにつれ座席前のテレビモニターにはCX542は

映し出されません。

今宵は香港泊と諦める。

出口で渡されたのはCX542ならずCX524の成田行きの搭乗券

です。しかも翌日の午前1時25分発です。

時に午後4時半。約9時間待ちです。

ラウンジで水割りにピザ、水割りにサラミ、水割りにシューマイと

呑みますが酔いません。

それでも時が経つにつれ30分くらい寝たでしょうか。

あとはテレビを視ていました。

 

成田着は6時半。

ホテルを出てからわが家に着いたのは24時間後の9時半。

フィリピンもだんだん遠くなりだしました。