一昨年は我が家のミカンも全くの不作でした。
昨年は不作ながら下のように僅か乍らも収穫が出来ました。
毎年一本の木をネットで覆ていますが網の目を掻い潜った
ヒヨドリ被害は20個くらいです。
皮は硬くて例年の出来とは違いますが実は甘すっぱくてまず
まずの出来です。
メジロが12月末から飛来です。
当初は市販のみかんをやっていましたがなくなりました。
年末年始の休みには連日酒を呑みながら飛来してくるメジロを
眺めています。酒とメジロでコロナ禍を癒されています。
市販のミカンも年明け早々になくなりました。
それでメジロたちは入れ替わりでやってきます。
根負けしてなけなしの我が家のミカンをやっています。
金網はヒヨドリ対策です。
ヒヨドリが来ますとメジロを追い払い瞬く間にミカンがなくなります。
ミカンといえば私が育った高知県の村は県内ではミカンの産地
として有名です。
昨今のコロナ禍で商品の整理をしていますと白蝶貝のバレッタを
入れている箱に下のような箱が見つかりました。
箱に十万温州と印刷されています。
気になり箱の他面を見ましと、
左下に長野柑橘園と印刷されています。
この箱がいつ手に入ったのか記憶が定かではありませんが
30年くらい前のものではないでしょうか。
経年で印刷の色が薄くなり気が付きませんでした。
十万温州の文字が気にかかり因みにネットで十万温州みかんと
検索しますとやはり1953年(昭和28年)高知県香美郡山南村の
十万可章さんの農園で発見されたと書かれています。
十万姓は主にこの村に多い姓です。
いな、十万姓の発祥の地ではないでしょうか。
可章さんとは親戚筋になり学生時代には存命でした。
久し振りに可章さんのひ孫に電話しますと今では”十万温州”は
お隣の徳島県の方で生産が盛んとのことです。
ついでにみかんの木の管理方法を聞きますと選定と有機肥料を
やれとの教えでした。
肥料はほとんど化成肥料か葉野菜の残りを埋めていました。
初仕事は解体作業です。
ストラップを解体しました。
当初ビーズはバヨンと黒はカマゴンのはずですが解体して
みますと黒は一部を除きほとんど白木の染めです。廃棄します。
付いていたパーツ類です。
先ずクジラのテール。300余り。
同じくデザイン違いのテール、150個くらいでしょうか。
イルカは200個くらい。
ドクロは300個余り。
これもカマゴン(黒檀)ですが、色を統一するために更に染色して
います。自然色の方が良いです。
合計1,000個の解体でした。
パーツ売りをしますが当然赤字です。
カマゴンは貴重品ですしデザインも良いので貴重品です。
私が世界で一番美しいと自認するエッグシェルヒーシーです。
東日本大震災の10年前に東京から藤沢に移転時は60cmで
1,000本余り。40cmにして1,500本余りを持っていました。
仕入れは30数年前、ママさんことミセスポンセから”ダイ貴重品
だぞ”言われ、積極的な販売は控えていました。
それでも10年の歳月は長く、残り少なくなりました。
今後作られることはないと思われます。
万一作られることがあっても価格は想像もつきません。
全てのプカ、ヒーシの類は私が扱った思い出に20本づつくらいは
残しています。
コロナ禍の現在、グリーンシェルヒーシーが残り少なくなりました
のでフィリピンの業者に問い合わせますと複数の業者が80%
近くの値上がりです。
これはコロナの影響で作業員不足で品物が出来ない状態での
品不足と思われます。
従って全てのヒーシーに当てはまると思います。
しかし世界がコロナ禍の状態です。
外国からの注文がさほど来ているとも思われません。
ただし、中国の動向は気になります。
中国市場で出廻っているヒーシーはフィリピン製のはずですが
買占めが気になります。
コロナが収まれば落ち着くと思いますが今後ある程度の値上がり
は覚悟せねばなりません。
ただし一部のヒーシー、バイオレットなどとエッグシェルなどの
製作は不可能のはずです。
コロナが収まれば一時も早くセブに行き生産者に会って現状を
確かめたく思っています。
中継ぎ業者からの情報は尾ひれがついて正確ではありません。
ソロバン型の4mmガラスビーズを整理しています。
各色100ヶづつPP袋に入れています。
14色です。
塩ビの板に100個の穴があけられています。
3mm、4mm、5、、6mmのサイズ板を台湾の謝さんから分けて
もらいました。
以前は手で数えていましたがおかげではかどりました。
一時期、スワロスキーのソロバン玉がブームになり当社でも扱い
ましたが、安価な商品も仕入れた時の名残です。
値段は半値以下です。
処分のため更に値下げしてシェルワールドです。