先のブログでプカシェルはハワイで生まれフィリピンで

育ちましたと書きました。

材料のイモ貝は日本を始め多数の国々に存在します。

なぜフィリピンだったのかは7000余りの島からなる

フィリピンにハワイアンが目を付けたからです。

むろん他の国ではネックレスに必要なだけのプカが

揃わないからです。

確かにフィリピンでは貝の総元締め的な"KING OF

 SHELL"ことロクェカントスに頼めば一度に済みました。

しかしこれだけ世界中でさわがれたのにハワイ以外の

他の国でプカネックが作られたとのニュースを聞いた

ことがありません。(注:ある程度の数量をです。)

 

私が不思議に思うのはインドネシアです。

フィリピンは島数が7000余りですがインドネシアは

倍近い13000余りです。

島があればビーチが存在します。

どのように考えてもイモ貝は生存してプカができてるはずです。

しかしインドネシアでプカはおろかヒーシーなどの貝製品も

見たことがありません。

考えられるのはこの国にはロクェカントスのような人物が

存在しなかったからでしょうか。

 

それともプカにしろヒーシーにしろ価格面でフィリピンに

叶わないからでしょうか。

それともヒーシーは3Kの仕事ゆえでしょうか。

不思議です。

プカの端切れです。

どれくらいあるか分かりませんが拾ってみます。

毎朝、3~5本拾っています。

20年くらい放ってありましたが、今後プカの入手も困難と想像され

ますと思うと貴重品に思えてきました。

やはりプカの端切れです。

ミスターカントスが私に償いをすると言って見せてくれたのが

プカシェルとの最初の出会いでした。

日本でも必ず売れるからと言ってくれましたが、上のような

”イモムシ”みたいなものが売れるかと半信半疑でした。

しかし、ハワイ帰りの若者たちから連日のようにプカの問い

合わせがあり、ハワイではプカに何か別のパーツを組み合わせ

ているに違いないと思いハワイに飛んだわけでした。

 

ワイキキの浜辺ではプカにクラスープを付けただけのものが

1本US$50.00で売られていました。

当時の日本円では1本15,000円です。

私がカントスから仕入れた価格はUS$3.50(1050円)でした。

それに航空運賃、関税を入れますと1300円くらいです。

当然、私の卸値は1800円近くになりました。

現在、当社のプカクラスAは600円です。

 

45年前にはプカが羽田に着けば、ただちに税関申告をして

許可が下りれば羽田まで引き取りに行き、団地の奥さんたちに

クラスープを付けてもらい翌朝の4時にはダッシュボードからの

集荷でした。

1000本、2000本のプカがその日のうちに無くなりました。

取引先の問屋からは責められ、心労と寝不足で不整脈になり

病院通いになりました。

 

プカが足りないときは日本旅行、西鉄航空などの旅行会社に

連絡をしてありツアー参加でフィリピン行きでした。

マニラに着けばツアーコンダクターの部屋で仮眠をさしてもらい

翌朝1時

起で4時、5時フライトでのセブ行きでした。

セブで2泊して2000本のプカを集めてマニラの国際空港で団体と

合流しての帰国でした。

2000本のプカは60kgでしたが団体旅行ですので100,200

kgでも重量の心配はなしでした。

時には旅行会社から明日の便が空いているが1万円でどうか

との話もありました。

2000本のプカを持ち帰れば旅行費用を差し引いても十分に

引き合いました。

2~3日後には本体の5000~10000本のプカが羽田に

着きました。

プカシェルのバラを5mm以下、5.5mm以下、6mm以下、

6mm以上に分けて拾いです。

サイズはふるいにかけて分けれますが品質のクラス分けは

困難で従って全てクラスB扱いです。

上は9mmと4mmのプカシェルクラスAです。

4mmのプカは5cmに42個付いています。

40cmでは336個です。

世界最小のプカではないでしょうか。

300個余りの同じプカを糸に通すのにはその数倍のプカの

中から選り分けねばなりません。

同じ大きさでもさらにクラスA、B、Cと品質の選別も必要です。

これはフィリピ以外では不可能です。

珍しいプカが出てきました。

タイガープカの竹の子です。

扱った記憶を思い出せませんがプカといえば全ての品を

揃えましたのでサンプルに仕入れたものと思います。

 

最近プカシェルが手に入らないと注文が増えてきています。

確かに私の仕入れ先のフィリピン人も廃業しており、

手持ちのプカがなくなれば仕入れは未定です。

現在のところ1500本余りではないでしょうか。

バラを拾って糸通ししても2000本は切っていると思います。

 

連日の拾いでかなりの整理が出来ました。

まだまだ時間を要しますが山は見えてきました。

Mr.カントスが償いをしてくれた発端はペンシェルヒーシー2/3mm

です。

プカから3年前のことです。カントスからペンシェルヒーシーを

US$5.00で1000本買いました。150万円です。

その数か月前に目黒の雅叙園からの電話で数人のアフリカ人が

このヒーシーとイタリアのベネチアガラスの売り込みでした。

ベネチアガラスは数百年前にイタリア人が彼の地に埋めたものが

発見されたとの説明でした。

ヒーシーに興味がありありましたが1本3,000円くらいだった

と思います。

その記憶がありましたのでカントスの1500円に即買いでした。

 

しかし、カントスから数十分後、Mrs.ポンセに行きますと1本US$

3.50です。合計105万円です。45万円の差です。

その後3年間、セブに行ってもカントスを訪れることはありません

でした。

3年後にカントスの甥のマノロカントスがホテルに迎えに来て、

Mr.カントスとの再会でプカシェルに発展するわけです。

 

ヒーシーは買った私が悪いのであってMr.カントスに責任はない

のです。

 

彼はプカシェルで莫大な利益を挙げたはずです。

当時のフィリピンでは信用状(LC)なしでは銀行が輸出を認めて

くれませんでした。

しかし彼は自分の私財を使い私にLCなしで送ってくれました。

 

プカ後もサンタロサ島の彼の別荘に招待してくれたり、後々

大変お世話になりました。

 

ペンシェルヒーシー(タイラギ貝)の袋詰めが出てきました。

糸に通していたものを何らかの事情でバラしたものと思います。

必ず糸通して残すように言ってあったのですが。

ずいぶん前の品と思います。

たとえ3cmでも5cmでも糸通しで残されていますと大きさが判り

拾いが楽ですがバラですと先ずふるいにかけてサイズ別に

分けねばなりません。

コロナ禍です。気晴らしに1個1個拾います。

下が拾ったペンシェルのヒーシーです。

10本くらい出来るかと思いましたが11本と30cm取れました。

上はマガキの芯でのチューブと丸玉の糸通しです。

間に2mmのガラスビーズが入っています。

これも40cmに拾いました。

昔のヒーシーで色艶は申し分ないです。

ヤシ貝ランプの2作目です。

ランプ台、コードもありますので暇つぶしに作ってみます。

ヤシ貝だけでなく他の貝でも作りたくなっています。

これも未完成ですが取りあえず電球を差し込んでみました。

オウム貝17.5cmです。

写真のように木の台を付けて置物にました。

本来なら貝そのままの方が良いのですが実は台の部分に穴が

開いていた為の止む無くの処置です。

時間を持て余しています。

テング貝のランプ、オウム貝の破損品の箱から口のところが

割れているベビーオウム貝(幼貝)を取り出してランプに仕上げ

ました。

テング貝は9インチと10インチです。

 

コロナウイルスのお陰で10年、20年と箱の中で眠っていた

貝が眠りから覚めています。

オウム貝ランプ2個目(右)も完成しました。

貝としてはヤシ貝よりオウム貝の方が価値がありますが

ランプとしてはどうでしょうか。

私はヤシ貝のオレンジ色がランプの灯りで映えて好きですが

それぞれの好みです。

クチクロキヌタを200個塩酸に浸けました。

塩酸で痛めつけられて艶が飛んでしまっています。

この後の仕上げに手間が掛かります。

1個1個ワックスがけが必要です。

在庫は500個ですが取り敢えず200個磨きです。

取り敢えず20個ワックスがけしました。

クチグロの名の通り黒光りする貝が仕上がりました。

コロナでなければこんな手間暇も掛けれません。

 

プカ選びのみでは飽きがきます。

たまにはランプ作り、原貝の洗いなどで気分転換を図っています。

南太平洋ニューカレドニアの海底で生息するホネ貝を撮影した

ものです。

 

この写真のパネルは40x33cmの大きさで貝の部分のみを

カットしたものですがホネ貝の周りは砂のみで何一つ写って

いません。

ホネ貝は砂地に生息する貝だと分かります。

(写真は45年前に高知放送の多田写真部長が撮影したもの

です。)

当時、数種類の貝のパネルを店の飾り用に分けてもらいましたが

これのみが残っていました。