プカシェルは45年前にハワイで生まれました。

そしてフィリピンで育ちました。

上の写真はいづれもプカシェルAクラスです。

下の2本が初期のプカです。上は後期のプカです。

後期のプカは肉厚で、初期の物は薄いのがお解りと思います。

むろん後期の物がすべて肉厚とは限りませんが概して後期の

プカが肉厚なのは、50年近く前の初期のプカは自然界の海で

永く波と砂に洗われて自然と薄くなったものに対して、

後期の物はある一定の段階で海から拾い上げ人工的に

作り上げたものだからです。

そのためにどうしても肉厚になりがちです。

 

さらにプカシェルと言っても大きいプカは大きいイモ貝から、

小さいプカは小さいイモ貝からできます。

イモ貝にも肉の厚いイモ貝、薄いイモ貝と千差万別です。

 

当初、プカはスーパーA、A,B,C,Dと区別されていましたが

私見ですが現在ではA,B,C,くらいに大別されるのではない

でしょうか。

上のプカはクラスAで下方が6~7mm、上が8~9mmです。

6mmのプカで1本に約180個前後の貝がついています。

当時、私が1年間にフィリピンから輸入したプカシェルは27万本

です。

180X27万本=48、600、000個(4千8百60万個)の貝が

必要なわけです。これは私個人の扱ったプカの個数です。

それも1本に同じ大きさのA,B,C,Dとクラス別の貝を通す必要が

あります。

当時、ハワイのみならず世界で売れたプカシェルは何千万?本

だったでしょうか。

個数にしては何千億か何兆個かでしょう。

 

ハワイ諸島で採れるイモ貝の数は知れています。

ハワイのブレイヤー商会などが7,000余りの島がある貝の宝庫

のフィリピンに目を付けたのも当然です。

当時はハワイのみならずフロリダなどからもたくさんのバイヤーが

セブに押し寄せていました。

目的はロッケーカントスエンタープライズ社でした。

 

最初の1年目はママさんことミセスポンセもプカシェルの存在を

知りませんでした。

ミスターカントスの独り舞台でした。

彼は私に借りを返すといって日本では私にのみプカシェルを

売ってくれたのです。

2年目はミスターカントスもミセスポンセもやはり私にのみ譲って

くれました。

2年目、3年目には他の貝の同業者もプカを求めてセブに

来ましたが、二人とも約束を守ってくれました。

当時のセブはカントスとミセスポンセが支配していました。

 

セブ島は南のミンダナオ島、北のルソン島の中間にあり

古くから貝の集積地でした。

カントスは3兄弟で次弟はザンボァンガでロカン・シェル、末弟は

マニラでカントスカンパニーを運営していました。

その頂点がセブのロッケーカントスだった訳です。

 

当時、アクセサリー仲間はハワイからプカシェルを仕入れて

いましたが、私は極秘にフィリピンから仕入れました。

当然、価格面で大きな差が出て、全デパートに当社のプカが

出ることとなり問屋さんが利益を得たはずです。

中には当社が出店していた銀座松屋で買って、他のデパートで

売った方も居たそうです。

 

これがプカシェルがハワイで生まれフィリピンで育った理由です。

 

40数年前、ワイキキビーチでカントスから贈られたプカを付けて

いますと外人(たぶんアメリカ人)が“何処でそのプカを手に入れ

たのか”と聞いてきました。

“日本からだ”答えますと、“日本でもプカが取れるのか”と驚い

ていました。

私の付けていたプカは当時のスーパーAでした。

ここでもフィリピンは極秘でした。

当時はプカシェルと云えばハワイと云われるくらいでした。

 

クラスBのプカです。

私はプカシェルナチュラルと呼んでいます。

永く砂浜に残り波と砂に洗われプカの表面が凸凹に浸食されて

います所以です。

変化に富んだプカシェルです。

私としては好きなプカです。

私がキムタクプカと呼んでいるプカシェルです。

程よく波と砂に洗われていますが大小のサイズがアットランダム

に通されています。

当初はCまたはDクラスに選り分けていました。

しかし、ある雑誌でキムタクがこのプカを付けてのサーフィン姿を

見て、目から鱗でした。

彼はナチュラルプカシェルを見事に自分のものにしていました。

勉強させてもらいました。

上がキムタクが付けていたプカシェルです。

彼はどこで手に入れたのでしょうか。

 

思えば30年近く前でしょうか。当社が鎌倉小町に小さな貝の店を

開いていた時にドラマでキムタクの恋人役の女性が当店で働き、

そこにキムタクが逢いに来る場面の撮影があったようです。

後日、店のスタッフから聞きましてキムタクと言われましてもピンと

来ません。

私の場合、キムタクと云えば広島カープの木村拓也選手しか

思い出せませんでした。

 

40数年前は石原裕次郎をはじめ数々のスター達がプカシェル

ネックレスを付けているのを見ましたがキムタクほどプカシェルを

着けこなした人は居ませんでした。

全てはハワイ生まれのプカシェルブームにあやかってのはやり

でしたのです。

 

しかし、プカシェルA,Bを集めるのはイージーですがキムタク

プカを100本集めるとなると自信はありません。

しかし、今年になってプカシェルのマスターも廃業しましたので

A,Bなどのクラスも入荷は難しくなりました。

幸いにかなりの在庫は持っていますので当面の心配はあり

ません。

プカシェルクラスA竹の子です。長さは45cmです。

中央の一番太いところで13mmです。両端の細い部分で3~4

mmです。

一定の太さのプカを削ったものではありません。

自然でのプカを選り分けて作ったものです。

30本くらいあるでしょうか。

これも今後作られることはないと思います。

他のプカシェルの種類です。

タイガープカです。斑点の模様がありますので虎模様でタイガー

プカと呼ばれています。

このプカも今少し波と砂に洗われますと縞模様が消えて白い

プカシェルになります。

ラスティプカ(錆色)です。

どちらかと言いますとベージュ色です。

このプカができる貝は限られているはずです。

貝の種類は分かりませんが貝としては4~5cm以下の小さな

貝と思います。

穴は全て自然に開いており肉厚の薄さから大きい貝では

ありません。

7mmのプカです。プカシェルの形状はクラスA,、もしくは

スーパーAの貝です。

惜しむらくは艶がありません。

フィリピンに持ち帰り艶出しをしてもらうと生き返りますが、それも

手間と時間と金(タクシー代)を考えますと割に合いません。

が気にかかるプカです。

今少し手元に置いておきます。

これもキムタクプカの亜流です。

ネックレスにしますとワイルドなものになります。

ムラサキ色の珍しいプカです。

上の大きいので13mmくらいでしょうか。

たぶんマダライモ貝のプカのはずです。

プカ特大です。

大きいので18mmです。たぶんこれで終わりと思います。

プカの形状を見ますと手を加えることなくナチュラルなプカです。

今後出てきても数本でしょう。

プカシェルのブレスです。

ネックレスとかブレスを作っての7cmくらいの長さの物とかバラの

物が出てきました。

バラの物はふるいにかけて大きさを選別します。

取り敢えず白のブレスを100本、タイガーとラスティを各30本くらい

作ってみます。

竹の子ヒーシー。

上からココにトルコヒーシーコンビ、2番目、3番目は赤サンゴの

色を飛ばしてオレンジ、グレイに染めたもの、ヤシ貝の中央に

白ヒーシーのコンビ、次はヤシ貝のみ、次はエッグシェルのみ、

下4本は白ヒーシーの中央にバイオレットヒーシー、オリーブヒーシー、

マガキ貝(レッドリップ)、一番下がヤシ貝とのコンビの各竹の子

ヒーシーです。

エッグシェルヒーシー以外はもう少し細工をしたいと思います。

 

上から青サンゴ、グリーンシェル、ホシダカラ、ブラックペンに

サンゴの染めたもの、マベ貝、ブラウンペン、ブラックペン、下の

端がブラウンペンに白ヒーシーのコンビです。

これらも一工夫細工が必要に思っています。

 

SCRAP & BUILD の日々が続いています。

20年前に上の様なヒーシー竹の子を十数種類仕入れてあります

が気に入っているのは上のような4~5点です。

気に入らない竹の子ヒーシーを他のパーツと組み合わせて

自作のオリジナルヒーシーを作ってみました。

黒蝶貝のマベパールです。

マベパールとはマベ貝に出来る半円形のパールを云うそうです

ので黒蝶貝ではどうかと思いますが一応形状からマベパールと

云わせてもらいます。

タヒチからの黒蝶貝の中に数十個ありました。

フィリピンでカットさせペンダントトップを作りました。

残り5個となりました。

 

年初めに今夏は湘南海岸でプカシェルの販売に期待して

いましたがコロナ騒ぎで海の家も開かれず寂しい夏の風物詩と

なりそうです。

腐るものでもなし、今後の入荷も難しくなりそうですのでキープ

します。

今年は梅雨がなかなか開けず農作物の出来が悪くて価格が

高騰しているそうです。

我が家のゴーヤも心配していましたが実を付けています。

早速ゴーヤチャンプルを食しました。

緑のカーテンの役目も立派にしてくれています。

 

ゴーヤといえば沖縄、沖縄といえば泡盛、泡盛といえば肴は

フーチャンプル、ソーミンチャンプル、スルルのから揚げ、

シマナー、ポーク卵が日替わりでした。

最後の仕上げは沖縄そばです。

 

コロナさえなければ沖那覇に飛んで行きたいですが今は我慢

の時です。

ミサカエミノムシをシェルワールドに出していましたら、早速追加が

来ました。大小2種類です。

ミズイロツノガイです。

左の2個が9cmアップです。右の2個が5.5~7cm、下の2個が

7~8cmです。

シェルワールド行きです。

今夏の売れ行きには期待していませんが、コロナ禍でも少しずつ

でも注文をもらっています。

プカシェルも物置から出しています。

 

Go Toトラベルで沖縄での感染者も増えているようで心配です。

それに最近、米軍キャンプの感染状況のニュースが聞きません

がどうでしょうか。

 

W/コロナ(ウイズコロナ)と云われ、その気になっていましたが、

やはりコロナとは縁を切らねばなりません。

WITHなんて云っていてはコロナを助長させるだけです。

W/O コロナ(ウイズアウトコロナ)です。

 

戦後75年です。

軍票を出して眺めています。

日本軍がフィリピンでばらまいたものです。

1970年代にタリサイの海岸を歩いていた時にフィリピン人が

売りに来て買ったものです。

数枚を残して後は沖縄の戦争遺品を飾ってある方にあげました。

この偽札でフィリピン人から食料を奪ったのです。

 

タリサイは米軍が上陸して日本軍に壊滅的な攻撃を仕掛けた

海岸です。