プカシェルと最初に出会ったのが37年前です。
プカシェルとはポリネシア語で“穴の開いた”と云う
意味のことは以前のブログで書きました。
①プカシェルの大小
小さいのは6mm、大きいのは16mm位です。
大半の穴は自然に開いたものですが、左の列の
プカは人工的に穴が開けられたものです。
“穴の開いた貝”からプカシェルの名は付けられた
のですが、プカシェルと云う貝が存在する訳ではなく
その材料となる貝はイモ貝(学名ではconus shell)
であることも、その種類は数百種類存在することも、
日本を含め世界に分布することも以前のブログで
お知らせしました。
②平凡社の世界貝類図鑑によるイモガイの仲間。
ています。
③プカシェルの元となるイモガイ。
左のアンボンクロサメガイは10cm、中央のスジイモガイ
は7cm、その右横のマダライモガイは2cm余り、右端の
イモガイは1.3cm位です。
従って大きいイモガイからは大きいプカシェルが小さい
イモガイからは小さいプカシェルが採れるのは言うまでも
ありません。このことから糸に通してネックレスにする
7-10mmくらいのプカシェルが採れるイモガイの種類は
限られてきます。
1本16インチ(40cm)に約140ケ余りのプカシェルが
通されています。従って少産、希産のイモガイでなくて
多産、普通、のコモンシェルのイモガイが生息する海が
必要です。(注=全ての貝は多産、普通、少産、希産
と区別され、貝の貴重性が問われます。)
1本のネックレスに140,150個の同じ大きさのプカシェルを
通すとなるとフィリッピン以外の国では先ず不可能です。
沖縄在住だった故安部井襄氏は沖縄瓦でシーサーを、
ビーチグラスで魚などの作品を作られましたがそれらの目
に使うプカシェル(4mm-6mm)がなくてよく送ったもの
でした。
沖縄で採れるプカシェルは14mm-18mm位の
大きなプカシェルで(従って大きいイモガイが原料)
大きさも不揃いです。それでも50個、100個集めるのは
至難のことでしょう。あるネットで1個150円から400円
位の値段が付けられていたと思いますが納得できます。
(当社のプカシェル16mm-18mmは1本200円です。
大体70-75個/本、位付いています。これはフィリッピン
から日本への運送価格です。損を覚悟の在庫処分です。
)
見たものです。
中央のマダライモガイには年輪のような輪が
見えます。死に貝のこの部分が波と砂に洗わ
れて丸く抜け落ちる訳です。そして中央の突起
したところが削られて穴が開く訳です。
スジイモ貝の左、マダライモガイの上の
小さい貝はすでに穴が開いています。
これはすでに死に貝です。
従って一口にプカシェルと云っても小さいプカなら
20年位で出来るのではないかと思います。
ネックレスに適したプカシェルのサイズは昔、
シガレットサイズ(7,8mm)でクラスAが
流行りましたが、キムタクの付けたのを見ると
男性では10mm位のクラスB,Cがむしろワイルドで
ナチュラルな感じがします。
上の2本が白いプカシェル、3番目と4番目が
タイガープカシェル、5番目がラスティプカシェル
(サビ色の)です。プカシェルは全て白ではあり
ません。数百種類のイモガイが存在しますので
色もまちまちです。ただ上のタイガープカも何年
か波と砂に洗われれば白くなるプカもあると
思われます。
37,8年前ハワイアンがプカシェルの存在を知り、
浜辺で拾って糸に通しネックレスを世に出したのが
最初です。
イモガイが死に頭部の輪のところから抜け落ちる
のには数十年歳月が要すると云われています。
(無論、貝の大小、厚さによって大きな差がある
はずです。)
ネックレスに適するプカシェルは10,11mm位の
サイズです。当然イモガイの大きさも限られてきます。
大体4,5cmくらいのまでの貝に限られるでしょう。
ただしハワイには大量のネックレスを作るだけの
イモガイは生息していません。
そこでハワイアンが目をつけたのがフィリッピンです。
当時、セブにはカントスエンタープライズとポンセ
シェルノベルティの二つの会社が存在し、この2社が
独占していました。
先ずハワイアンは“KING OF SHELL”ことカントスに
プカのことを持ちかけました。
カントスは夜半200名余りの人々をセブ近郊の浜辺に
連れて行き、スコップで掬った砂を金網でふるいにかけ
南京袋に詰めて持ち帰り、昼間は固く閉じた倉庫で
プカシェルを選りわけ糸に通しせっせとハワイに輸出した
訳です。
当時、カントスとは仲違いをしていた私でしたが
プカシェルがハワイで流行っていることを教えてくれ
10,000本のプカをL/Cなしで送って呉れました。
この頃のフィリッピンではL/C無しで商品を輸出
することは政府も銀行も到底認めていませんでした。
いかにカントスに財力があったかを知ることができます。
この年にはカントスから27万本のプカを仕入れました。
実際に彼の倉庫でプカの選りわけ作業を見せて
もらいましたが100名余りの人々がプカを選り分け
糸に通しているのは圧巻でした。
そんな訳ですので、世話になっているミセスポンセにも
1年間カントスのプカの件は伝えることが出来ませんで
した。
プカシェルが爆発的に流行ったのは3、4年位です。
先ず、都内のデパートから大阪などの地方都市の
デパートと瞬く間に流行りました。
翌年には観光地にも売り出されました。
日本にプカシェルネックレスをハワイ土産として
持ち帰ったのは当時22,3歳の若者です。
彼らもすでに60歳代の団塊の世代になっています。
この頃のハワイではプカシェルネックレスが1本
1万円から1,5万円でした。
その後プカシェルからヒーシーシェルと流行は変わって
行きます。
さすがのフィリッピンでもプカシェルの採取が困難に
なったのとやはりブームだったことです。
プカブームは去ってもフィリッピンの業者からプカを
買い続けること20年。20,000本余りのプカが当社に
集まっていました。
その時々の芸能人が付けることによって、小ブームが
起こり売り捌くことが出来ました。
最初のブームで数十万本余り、それから20数年で2万本、
その後10年余りの現在、1万本は下らないプカを仕入れ、
在庫しています。
頼まれればついつい買ってしまう悪い癖とプカに対する
特別の思い入れがそうさせたようです。
倉庫のアチコチにプカの箱が点在していてこれ程仕入れて
いるとは気が付きませんでした。
4月に引っ越しをして、自宅にプカのみの物置を作り
初めて在庫の多さに気が付きました。
⑤プカ専用の物置。
みかん箱20個余り、ひと箱に500本としても1万本は
優にありそうです。
2万本余りを売り捌くのに20数年掛かったことを考えると
1万本余りを売り捌くのには10年余りの歳月が必要に
なると、単純に思われる。
余命を考えるととても生きている内に売り捌けそうにも
ない。
これからのライフワークはプカシェル売りになりそうです。
⑥プカシェルにいろいろのヘッドつけたネックレス。
上の写真はなんとかプカシェルを売り捌きたく
いろいろのヘッドを付けてみました。
次回には白蝶貝とタカセ貝、マベ貝(茶蝶貝)の
違いについて書きたく思います。
まだこれ等が混同されて説明されている様です。




