私が最初にフィリピンに行きましたのが、
1972年であったことは前のブログで述べました。
当時のセブはKING of SHELLと呼ばれる
ロッケーカントスエンタープライズとポンセシェルノベルティ
の2社がセブのみならず、フィリピンでの貝ビジネスの大半を
押さえていたと思います。
ロッケーカントスが標本貝とか原貝部門に強くて、
ミセスポンセは貝アクセサリーに強かったと思います。
当時はこの2社に行けば殆どの仕事は出来ましたので
非常に楽でした。
私の場合主にアクセサリーが主力でしたので
ミセスポンセとの取引が大きかった訳です。
カントスの方は表敬訪問程度でしたが、
必ず顔は出していました。
何故ならば
彼がKING of SHELLだからです。
ある時にカントスから
タイラギ貝のヒーシーを見せられ、価格はUS$5.00でした。
私は1,000本のオーダーです。
US$5.00(¥300)x1,000=1,500,000円です。
次にポンセに行きますと同じものがUS$3.00です。
US$3.00(\300)x1,000本=900,000円です。
その差60万円。
私が何故このヒーシーを買ったかと申しますと、
1ケ月程まえに目黒の雅叙園に宿泊しているアフリカ人から電話があり、
そこでこのヒーシーを見、非常に興味をそそられましたが
1本US$15,00で手がだせなかったことです。
買い急いで高い買い物をした自分と
売りつけたカントスに腹が立ち、
それ以降、数年間カントスへの表敬訪問は中止となりました。
ミセスポンセとは取引を続ける内に息子のような取り扱いを受け
終にはポンセの工場内の土地にゲストハウスまで建ててくれました。
随分手厚いもてなしを受けた訳です。工場は州政庁の裏手の丘に
あり、工場には300人ほどが働いていました。
この工場のある丘をミセスポンセに因んで
今でもポンセズヒルと呼ばれています。
余談ですが私のフィリピンの運転免許書の住所は
いまでもポンセズヒルになっています。
ミセスポンセとの付き会いは彼女が死ぬまで続きました。
数年後、カントスとはあることがキッカケで付き会いが再開され、
ミセスポンセとともに忘れられないフィリピン人の一人となりました。