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リーダーズノート
発売日 : 2011-04-29
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【出会い】
TSUTAYA西帯店で出会いました。僕は社会福祉士として働いていますので、現在高齢者介護に携わっていても、見逃せない内容の書籍です。
【本書紹介のねらい】
~本書抜粋より~
児童虐待っていったいなんだろう、なぜ子どもたちは無残に殺されつづけ、なぜ救いの手は一向に差し伸べられないのであろうか、我が子を傷つけ、放置し、平然と見殺しにする親の心に、いったい何が起きているのだろうか。
ここ数年、児童虐待の急増は大きな社会問題となっている、反面その数が多すぎて、個別のケースは詳細もわからないまま消えてしまう、世間の耳目を集めることもなく、報じられた翌日には忘れられるような児童虐待事件のほうが圧倒的だ、けれどそこには、「子どもが死んだ」という厳然とした事実がある。
~Amazonより~
できれば目をそむけたい。 でも現実に向き合わなければならない。 変化する家族、親や子どもが抱える悩み、 主婦の現状などを自分の目で確かめてきた著者が、 児童虐待の凄惨な現実を訴える。
福祉業界で働くあなたへ。特に児童関係で働くあなたへ。社会福祉士のあなたへ。
【響いた抜粋と学び】
著者の石川さんは2児の母となった1990年より、家族、教育、子育てなどをテーマに取材をはじめます。豊富な取材実績から、現代家族のリアルな問題を描き出す話題作を次々と発表してきました。ノンフィクション作品に『ブレイク・ワイフ』(扶桑社)、『家族は孤独でできている』(毎日新聞社)、『モンスターマザー』(光文社/韓国、台湾で翻訳出版)、『暴走育児』(ちくま新書)など多数。短編小説集に『小さな花が咲いた日』(ポプラ社/平成20年度高校入試問題・平成22年、23年中学入試問題採用作品)、『母と子の絆』(洋泉社)など多数ある。公式ホームページはhttp://ishikawa-yuki.com/
多数の児童虐待……身体的、精神的、ネグレクトなど、様々な事例が出ており、読むだけで思わず目を背けてしまう内容です。
あまりに無残な……むごい死に方をした子供たち、生まれて間もない子供たち、夢や希望を持つことすらできなかった子供たちが被害者です。そして、その子たちを死に至らしめた母親たち、父親たちのあまりの無責任さ、反省のなさに怒りがこみ上げてきます。
シンプルなタイトル……「誰か助けて」
このメッセージに秘められた内容を紹介します。
子どもの命ってそんなものなのか、と思うとやりきれなかった、私は懲役六年でも「軽い」と感じたが、素人の心情と法的解釈にはずいぶんと開きがあったらしい。
この事例では我が子を再婚相手の父と一緒に虐待死させた母親への懲役について、朝廷で傍聴していた素人が話していた内容を聞いてのことです。
裁判について話せば、親殺しの子どもについても同じようにほとんどの場合死刑にならない、と読んだことがあります。
というのは判決は、被害者、つまり親殺しの子どもへの判決は亡くなった親にとってどう判決して欲しいかを考えるようです。
ということは亡くなった親は、それでも子どもに死んで欲しい、殺して欲しい、と考えるだろうか? いや違う。更生して立派になってほしい、と思うだろう、ということです。
子どもを殺した親については亡くなった子どもにとって、それでも愛する親、母親です。子どもの立場になると、親を死刑にしたいかどうか? という考えになります。
そこから、更生して社会に役立てるようになってほしい、ということ。同じ過ちを二度としないこと、を求められるのかもしれませんね。
石川さんのように”人の命を奪った”ということから考えると、懲役六年は妥当かどうか……これは正直、わかりません。
虐待と聞くとどうしても、殴る、蹴るといった身体的虐待のイメージが強い、だが、衣食住など基本的な子どもの世話を放棄したり、愛情を示さないといったネグレクト事例は急増している、2009年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待件数は44211件だが、その内訳を見ると身体的虐待が17371件、ネグレクトは15185件拮抗している。
ネグレクト事例ではゴミ屋敷に幼い子ども3人が放置されていた、というのがありました。6歳の子どもに下の子の面倒を見させて10日間家を不在にしているなんて事例もありました。
親として生きるのは無理な人たちだと思うんですが、便利で豊かな現代社会ではなんとか生活できてしまう、子どもにコンビニ弁当を買い与え、紙オムツをつけっぱなしにして、最低限の生命レベルを維持することはできますよね、すると当の母親は、自分には子育ては無理だ、今の生活が無謀だとは気づけない。
発達した現代日本ではこのように、本来親としてやるべきことができなくても、最低限以下のレベルを保ててしまうんですね。料理の苦手な男性にとって、コンビニ弁当は頼もしい存在ですが、母親がこれでは困ってしまいます。残念ながら。
※ もちろん、父親と子どもの家庭でも同じですよ。
私は今まで、子ども時代に虐待経験を持つ母親を二百人近く取材した、彼女たちの中には、自分の子どもを虐待している人もいたが、まったくしていない人のほうが多かった、そうして自分の過去を必死の思い出断ち切った母親たちは、一様に連鎖の「誤解」に苦しんだ。
親との愛着形成が不完全な場合、おとなになってからも欲求不満を持ちつづけ、自分を愛してほしい、かまってほしいと求めやすい、自分の欲求を充足することが第一になってしまい、幼い我が子に対しても、自分を愛して、理解して、癒して、と求めるのです。
虐待は連鎖する、なんて話をよく聞きますが、それは虐待した親に聴いたら、その親も昔虐待されていた、というだけであり、実際はそれでも虐待していない親のほうがはるかに多いんですね。
僕たち福祉職はそういった事実を知って、不要なラベリングをしないようにしたいですね。
今まで何人もの園児が、虐待を受けている現実から救われないまま卒園していったという、むろん、担当部署には事あるごとに電話を入れ、視察や児童相談所への通告を頼んできた、しかし、児童相談所に通告してもらえたところで、事態はほとんど変わらない。
世間では、「つべこべ言わず、怪しいヤツは一網打尽にしろ」といった風潮が高まっているが、もしそれがすべての「疑い」のケースに適用されたらどうだろう、子どもが激しく夜泣きをしているだけなのに、いきなり児童相談所の職員が「虐待してませんか」と乗り込んでくることにもなりかねない。
もともと、家制度のもとでの日本では親子に親の親、さらにその上の親といった大家族で生活していたわけです。人の目が多かったわけで、一人が失敗したとしてもフォローできる環境だったんですね。
※ もちろん、完璧ではないでしょうし、大きな大きな密室という点は変わりないですから虐待などもあったんでしょうね。
現代ではその役割をすべて行政で担う、国民は税金を納めてその分で行政にチェックしてもらう、ということです。赤の他人が見ている状況です。
2つめの抜粋にあるように、「疑い」の幅を広げるとそれこそ大変です。我が家だって次男が夜泣きすることはたまにあります。上の子達が大ゲンカして大声を出すことだってあります。
そんなのをいちいち行政がチェック入ってきたらストレスたまりそうですね。
児童相談所は子どもを虐待する親を指導したり、相談に乗ったりしている、しかしそれは、親が協力的であればこそ可能で、逆に非協力の親、指導や支援を拒否する親に接触するのは容易ではない。
勉強にしても、スポーツにしても、なんでも同じで本人にやる気がなければ、どんなに素晴らしいことを言っても意味がないんですね。その人のコップがひっくり返っていたり、蓋がしまっていたら、まずは元に戻すなり、蓋を開けるなりしないとコップの中に水ははいりません。
アメリカでは州によって州法や対応システムが異なるが、カリフォルニア州は教師や医師など子どもに関わる職種に対し、虐待の通告義務だけでなく通告を怠った場合の罰則規定がある、「見て見ぬふり」をすると、自分自身が資格停止処分を受けたり、資格をはく奪されることもあるのだ。
アメリカの手法が書いてありました。僕はこれを読んで思うのが、この場合「見て見ぬふり」ではなくて、「気がつかなかった」と「気づかぬふり」をするんじゃないかな、ということです。
罰則があれば、ある程度の効果は発揮しそうですが、それでもまだまだ、と感じます。
さらに先程の抜粋にあったように親が非協力だったり、指導や支援を拒否していても、アメリカでは強制力を発揮できるとありました。その手法だけでなく、実際にどれだけの成果を出しているのか? 虐待件数がどれだけ減ったのか、という数字はなかったので、そのあたりが知りたかったですね。
※ なんでもアメリカやヨーロッパではそうしている、という意見を読むとついつい反論したくなってしまいます。
何度となく説得を試みても、母親は面会に来なかった、悲しい現実が突きつけられたが、洋介君は、「いつかお母さんに会って一緒に暮らせる日」をあきらめていない、「おとなになったら魚を扱う仕事をして、いっぱいお金を稼いで、お母さんを喜ばせるんだ」、職員には、そんな夢をけなげに語る。
これは読んでいて涙が出てきましたよ。虐待、育児放棄した母親のことをそれでも子どもは愛しているし、そんな母親のためにがんばる、と話しているんです。
でも、その母親は別の男と子供をつくり、このことを話す子供とは会わない、と話します。
どこで狂ってしまったのだろう、どこでおかしくなってしまったのだろう……。
人間は完璧ではないし、間違いを犯す。だけど、児童虐待は当然あるものなのでしょうか? いや違う。何かが違う。
どうしたらいいのか、自分には何ができるのか? そんなことを問いかけてくれる一冊でした。
※ Amazonのマーケットプレイスで本書を出品していますので、ご興味ある方は注文していただければ、と思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
コメントは自由制です。一見さんも読者も大歓迎です。
返信は24時間以内にいたします。
※心無い非難・誹謗・中傷等は削除させていただきます。
福祉業界で働くあなたへ。特に児童関係で働くあなたへ。社会福祉士のあなたへ。
【響いた抜粋と学び】
著者の石川さんは2児の母となった1990年より、家族、教育、子育てなどをテーマに取材をはじめます。豊富な取材実績から、現代家族のリアルな問題を描き出す話題作を次々と発表してきました。ノンフィクション作品に『ブレイク・ワイフ』(扶桑社)、『家族は孤独でできている』(毎日新聞社)、『モンスターマザー』(光文社/韓国、台湾で翻訳出版)、『暴走育児』(ちくま新書)など多数。短編小説集に『小さな花が咲いた日』(ポプラ社/平成20年度高校入試問題・平成22年、23年中学入試問題採用作品)、『母と子の絆』(洋泉社)など多数ある。公式ホームページはhttp://ishikawa-yuki.com/
多数の児童虐待……身体的、精神的、ネグレクトなど、様々な事例が出ており、読むだけで思わず目を背けてしまう内容です。
あまりに無残な……むごい死に方をした子供たち、生まれて間もない子供たち、夢や希望を持つことすらできなかった子供たちが被害者です。そして、その子たちを死に至らしめた母親たち、父親たちのあまりの無責任さ、反省のなさに怒りがこみ上げてきます。
シンプルなタイトル……「誰か助けて」
このメッセージに秘められた内容を紹介します。
子どもの命ってそんなものなのか、と思うとやりきれなかった、私は懲役六年でも「軽い」と感じたが、素人の心情と法的解釈にはずいぶんと開きがあったらしい。
この事例では我が子を再婚相手の父と一緒に虐待死させた母親への懲役について、朝廷で傍聴していた素人が話していた内容を聞いてのことです。
裁判について話せば、親殺しの子どもについても同じようにほとんどの場合死刑にならない、と読んだことがあります。
というのは判決は、被害者、つまり親殺しの子どもへの判決は亡くなった親にとってどう判決して欲しいかを考えるようです。
ということは亡くなった親は、それでも子どもに死んで欲しい、殺して欲しい、と考えるだろうか? いや違う。更生して立派になってほしい、と思うだろう、ということです。
子どもを殺した親については亡くなった子どもにとって、それでも愛する親、母親です。子どもの立場になると、親を死刑にしたいかどうか? という考えになります。
そこから、更生して社会に役立てるようになってほしい、ということ。同じ過ちを二度としないこと、を求められるのかもしれませんね。
石川さんのように”人の命を奪った”ということから考えると、懲役六年は妥当かどうか……これは正直、わかりません。
虐待と聞くとどうしても、殴る、蹴るといった身体的虐待のイメージが強い、だが、衣食住など基本的な子どもの世話を放棄したり、愛情を示さないといったネグレクト事例は急増している、2009年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待件数は44211件だが、その内訳を見ると身体的虐待が17371件、ネグレクトは15185件拮抗している。
ネグレクト事例ではゴミ屋敷に幼い子ども3人が放置されていた、というのがありました。6歳の子どもに下の子の面倒を見させて10日間家を不在にしているなんて事例もありました。
親として生きるのは無理な人たちだと思うんですが、便利で豊かな現代社会ではなんとか生活できてしまう、子どもにコンビニ弁当を買い与え、紙オムツをつけっぱなしにして、最低限の生命レベルを維持することはできますよね、すると当の母親は、自分には子育ては無理だ、今の生活が無謀だとは気づけない。
発達した現代日本ではこのように、本来親としてやるべきことができなくても、最低限以下のレベルを保ててしまうんですね。料理の苦手な男性にとって、コンビニ弁当は頼もしい存在ですが、母親がこれでは困ってしまいます。残念ながら。
※ もちろん、父親と子どもの家庭でも同じですよ。
私は今まで、子ども時代に虐待経験を持つ母親を二百人近く取材した、彼女たちの中には、自分の子どもを虐待している人もいたが、まったくしていない人のほうが多かった、そうして自分の過去を必死の思い出断ち切った母親たちは、一様に連鎖の「誤解」に苦しんだ。
親との愛着形成が不完全な場合、おとなになってからも欲求不満を持ちつづけ、自分を愛してほしい、かまってほしいと求めやすい、自分の欲求を充足することが第一になってしまい、幼い我が子に対しても、自分を愛して、理解して、癒して、と求めるのです。
虐待は連鎖する、なんて話をよく聞きますが、それは虐待した親に聴いたら、その親も昔虐待されていた、というだけであり、実際はそれでも虐待していない親のほうがはるかに多いんですね。
僕たち福祉職はそういった事実を知って、不要なラベリングをしないようにしたいですね。
今まで何人もの園児が、虐待を受けている現実から救われないまま卒園していったという、むろん、担当部署には事あるごとに電話を入れ、視察や児童相談所への通告を頼んできた、しかし、児童相談所に通告してもらえたところで、事態はほとんど変わらない。
世間では、「つべこべ言わず、怪しいヤツは一網打尽にしろ」といった風潮が高まっているが、もしそれがすべての「疑い」のケースに適用されたらどうだろう、子どもが激しく夜泣きをしているだけなのに、いきなり児童相談所の職員が「虐待してませんか」と乗り込んでくることにもなりかねない。
もともと、家制度のもとでの日本では親子に親の親、さらにその上の親といった大家族で生活していたわけです。人の目が多かったわけで、一人が失敗したとしてもフォローできる環境だったんですね。
※ もちろん、完璧ではないでしょうし、大きな大きな密室という点は変わりないですから虐待などもあったんでしょうね。
現代ではその役割をすべて行政で担う、国民は税金を納めてその分で行政にチェックしてもらう、ということです。赤の他人が見ている状況です。
2つめの抜粋にあるように、「疑い」の幅を広げるとそれこそ大変です。我が家だって次男が夜泣きすることはたまにあります。上の子達が大ゲンカして大声を出すことだってあります。
そんなのをいちいち行政がチェック入ってきたらストレスたまりそうですね。
児童相談所は子どもを虐待する親を指導したり、相談に乗ったりしている、しかしそれは、親が協力的であればこそ可能で、逆に非協力の親、指導や支援を拒否する親に接触するのは容易ではない。
勉強にしても、スポーツにしても、なんでも同じで本人にやる気がなければ、どんなに素晴らしいことを言っても意味がないんですね。その人のコップがひっくり返っていたり、蓋がしまっていたら、まずは元に戻すなり、蓋を開けるなりしないとコップの中に水ははいりません。
アメリカでは州によって州法や対応システムが異なるが、カリフォルニア州は教師や医師など子どもに関わる職種に対し、虐待の通告義務だけでなく通告を怠った場合の罰則規定がある、「見て見ぬふり」をすると、自分自身が資格停止処分を受けたり、資格をはく奪されることもあるのだ。
アメリカの手法が書いてありました。僕はこれを読んで思うのが、この場合「見て見ぬふり」ではなくて、「気がつかなかった」と「気づかぬふり」をするんじゃないかな、ということです。
罰則があれば、ある程度の効果は発揮しそうですが、それでもまだまだ、と感じます。
さらに先程の抜粋にあったように親が非協力だったり、指導や支援を拒否していても、アメリカでは強制力を発揮できるとありました。その手法だけでなく、実際にどれだけの成果を出しているのか? 虐待件数がどれだけ減ったのか、という数字はなかったので、そのあたりが知りたかったですね。
※ なんでもアメリカやヨーロッパではそうしている、という意見を読むとついつい反論したくなってしまいます。
何度となく説得を試みても、母親は面会に来なかった、悲しい現実が突きつけられたが、洋介君は、「いつかお母さんに会って一緒に暮らせる日」をあきらめていない、「おとなになったら魚を扱う仕事をして、いっぱいお金を稼いで、お母さんを喜ばせるんだ」、職員には、そんな夢をけなげに語る。
これは読んでいて涙が出てきましたよ。虐待、育児放棄した母親のことをそれでも子どもは愛しているし、そんな母親のためにがんばる、と話しているんです。
でも、その母親は別の男と子供をつくり、このことを話す子供とは会わない、と話します。
どこで狂ってしまったのだろう、どこでおかしくなってしまったのだろう……。
人間は完璧ではないし、間違いを犯す。だけど、児童虐待は当然あるものなのでしょうか? いや違う。何かが違う。
どうしたらいいのか、自分には何ができるのか? そんなことを問いかけてくれる一冊でした。
※ Amazonのマーケットプレイスで本書を出品していますので、ご興味ある方は注文していただければ、と思います。
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発売日 : 2011-04-29
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