昼の紹介はこちらです。
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講談社
発売日 : 1977-10-19
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【出会い】
お盆に祖父母宅に帰省したときに発見しました。僕が幼少の時に買ってもらったものなのかな? 記憶にない。
【本書紹介のねらい】
~Amazonより~
この世に生まれた意味を問いかける絵本です。
100万回生きて、100万回死んだねこが最後に知ったのは? ぜひ子供と一緒に読んでみてください。
【響いた抜粋と学び】
~Amazonより~
著者の佐野さんは北京に生まれます。武蔵野美術大学デザイン科卒。’67年から’68年にかけて、ベルリン造形大学においてリトグラフを学びます。主な作品に『だってだってのおばあさん』(フレーベル館)、『わたしのぼうし』(ポプラ社)、『おじさんのかさ』(講談社)などの絵本や、『アカシア・からたち・麦畑』(文化出版局)などのエッセー集がある。『おじさんのかさ』でサンケイ児童出版文化賞推薦賞を、『わたしのぼうし』で講談社出版文化賞絵本部門賞を受賞しています。
この物語で記憶しているのは僕が小学校5年生(6年生?)のときの下の学年(3年生くらい?)が同作品の劇をやっていたんですね。
タイトルが特徴的でかなり記憶しているのですが……僕は当時、この劇の面白さがわからなかったのです。
「100万回生きたねこ~♪」
をひたすら繰り返していた劇と記憶していました。
あれから、20年が経ち、僕は大人になったようです。
お盆に帰省した祖父母宅……(僕は幼少~中学1年生まで祖父母と母4人で暮らしていたのです)。
荷物整理をして、ほとんどが処分された中で、僕の小学校、中学校、高校などの卒業アルバム、文集といった思い出たちと一緒にダンボールに入っていました。
「あのつまらない劇……」
僕が本書を目にした瞬間に感じたこと。
一度読んでみよう。
僕はこの絵本を手に取りました。
20年の歳月は僕に”ツマラナイ”という先入観を払拭したようです。
100万回生きたねこ……いつも誰かのモノだったねこは飼い主が嫌いでした。それと同時に自分のことも嫌いだったように思います。
あるとき、ねこはだれのねこでもありませんでした。のらねこだったのです。ねこははじめて自分のねこになりました。ねこは自分がだいすきでした。なにしろ、りっぱなとらねこだったので、りっぱなのらねこになりました。
誰にも飼われないとき、初めてねこは自分自身のねこになったのです。人間もこれは同じで、僕たちは何かに所属しています。生まれてすぐに「〇〇家」に所属します。
何かといえば、幼稚園(保育所)、町内会、小学校、中学校、高校、大学、会社……あなたのことを説明するときにまっさきに出てくるのは
「〇〇社に所属している岡本です」
というように所属先を話しませんか?
いつでも誰かのモノになっている、それは人間のことかもしれません。
ねこにはいつもメスねこが集まってきました。しかし、一匹だけ、美しい白いねこは彼に見向きもしません。
彼は初めてアプローチしました。
彼は白いねこと共に生きることになったのです。
子供が生まれ、親になり、そして子供たちが巣立っていきます。再び二人になったねこと白いねこ。
月日は過ぎ去り、ついに白いねこは息を引き取ります。
そのとき、初めて彼は泣いたのです。いつも、彼はモノでした。飼い主は彼が亡くなったとき泣きました。しかし、彼は泣きませんでした。
初めて相手のために泣いたのです。
100万回生きて、100万回死んだねこは初めて相手のために泣いたのです。
彼もついに息を引き取ります。
生きる意味を知った彼はついに生き返ることはなかった……100万回生き返ったのは、彼に生きることの大切さを伝えたかったのだろう……。
こんなに深い物語だったなんて……。
子供に読み聞かせても、わからないかもしれません。でも、きっと年を重ね大人になったとき、気づく日が来ると思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
コメントは自由制です。一見さんも読者も大歓迎です。
返信は24時間以内にいたします。
※心無い非難・誹謗・中傷等は削除させていただきます。
著者の佐野さんは北京に生まれます。武蔵野美術大学デザイン科卒。’67年から’68年にかけて、ベルリン造形大学においてリトグラフを学びます。主な作品に『だってだってのおばあさん』(フレーベル館)、『わたしのぼうし』(ポプラ社)、『おじさんのかさ』(講談社)などの絵本や、『アカシア・からたち・麦畑』(文化出版局)などのエッセー集がある。『おじさんのかさ』でサンケイ児童出版文化賞推薦賞を、『わたしのぼうし』で講談社出版文化賞絵本部門賞を受賞しています。
この物語で記憶しているのは僕が小学校5年生(6年生?)のときの下の学年(3年生くらい?)が同作品の劇をやっていたんですね。
タイトルが特徴的でかなり記憶しているのですが……僕は当時、この劇の面白さがわからなかったのです。
「100万回生きたねこ~♪」
をひたすら繰り返していた劇と記憶していました。
あれから、20年が経ち、僕は大人になったようです。
お盆に帰省した祖父母宅……(僕は幼少~中学1年生まで祖父母と母4人で暮らしていたのです)。
荷物整理をして、ほとんどが処分された中で、僕の小学校、中学校、高校などの卒業アルバム、文集といった思い出たちと一緒にダンボールに入っていました。
「あのつまらない劇……」
僕が本書を目にした瞬間に感じたこと。
一度読んでみよう。
僕はこの絵本を手に取りました。
20年の歳月は僕に”ツマラナイ”という先入観を払拭したようです。
100万回生きたねこ……いつも誰かのモノだったねこは飼い主が嫌いでした。それと同時に自分のことも嫌いだったように思います。
あるとき、ねこはだれのねこでもありませんでした。のらねこだったのです。ねこははじめて自分のねこになりました。ねこは自分がだいすきでした。なにしろ、りっぱなとらねこだったので、りっぱなのらねこになりました。
誰にも飼われないとき、初めてねこは自分自身のねこになったのです。人間もこれは同じで、僕たちは何かに所属しています。生まれてすぐに「〇〇家」に所属します。
何かといえば、幼稚園(保育所)、町内会、小学校、中学校、高校、大学、会社……あなたのことを説明するときにまっさきに出てくるのは
「〇〇社に所属している岡本です」
というように所属先を話しませんか?
いつでも誰かのモノになっている、それは人間のことかもしれません。
ねこにはいつもメスねこが集まってきました。しかし、一匹だけ、美しい白いねこは彼に見向きもしません。
彼は初めてアプローチしました。
彼は白いねこと共に生きることになったのです。
子供が生まれ、親になり、そして子供たちが巣立っていきます。再び二人になったねこと白いねこ。
月日は過ぎ去り、ついに白いねこは息を引き取ります。
そのとき、初めて彼は泣いたのです。いつも、彼はモノでした。飼い主は彼が亡くなったとき泣きました。しかし、彼は泣きませんでした。
初めて相手のために泣いたのです。
100万回生きて、100万回死んだねこは初めて相手のために泣いたのです。
彼もついに息を引き取ります。
生きる意味を知った彼はついに生き返ることはなかった……100万回生き返ったのは、彼に生きることの大切さを伝えたかったのだろう……。
こんなに深い物語だったなんて……。
子供に読み聞かせても、わからないかもしれません。でも、きっと年を重ね大人になったとき、気づく日が来ると思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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