死ぬ瞬間/エリザベスキューブラー・ロス | ブログ

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おはようございます。岡本大輔です。
本日の紹介はこちらです。
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【出会い】
大学四年のゼミで選考していた「倫理」にて、教授からいただきました。

9年が経ち、もう一度読みたくなり、押入れから引っ張り出してきました。



朝の読書会「NEXT READING」で読みました。


【本書のテーマ】
「死」の宣告を通じて通る人間の心のメカニズムを解明する。


【岡本大輔の視点】
人を知るために。



「NEXT READING」
(死の恐怖とはどんな恐怖?)・・・「死」は人間にとって忌むべきもの、「私たちは無意識のうちに『自分にかぎって死ぬことは絶対にありえない』という基本認識を持っている。」、死ぬのは殺されるときだけであり、自然現象や老齢のために死ぬなんて考えられないのだ、そのために死は、それ自体が報いや罰をまねくような悪い行いと認識される。


僕達は「死」について、身近にはない。僕は「死」を意識することはほとんどない。あるとすれば、高齢者介護の現場でお客様と接するときですが、高齢といっても、ターミナルの現場ではないので、「死」を意識することはありません。

ビジネス書や自己啓発書に「明日死ぬとしたら?」、「自分の葬式ではどう想われたいのか?」と書かれていることが多いです。


正直なところ、ピンとこないことが多いです。



(死の恐怖からのがれるためにどう考えるのか?)・・・”否認と孤立”、”怒り”、”取り引き”、”抑欝”、”受容”(感情がほとんど欠落した状態で死について語る。)、これらのメカニズムを援助者や家族が知り、本人の死と死への恐怖を受け入れること、座って耳を傾けそれが何か(要求)はっきりさせれば、満たされる。


(「死」を通じて知ること)・・・5段階のメカニズムは「死」に限らず、人が直面する課題で受けるメカニズム。「死」は人間を知る一つの方法。


これはガンの宣告に限らず、受け入れがたいことが自分の身に降りかかってきた時に同じメカニズムが働きます。


突然の震災、認知症の診断、不慮の転倒骨折、告白して振られる・・・「死」に特化した書籍なのでガンの宣告について、書かれています。


しかし、人間は自分の受け入れがたい出来事が起きた時、同じメカニズムをたどるのです。


「告白して振られる」を例にすれば、


(否認・孤立):振られたなんて嘘でしょ、今のは間違いだよね?

(怒り):なんで俺を振るんだ、バカヤロー、わかってねぇ。

(取り引き):これから毎日家の手伝いをするので、彼女の気が変わりますように

(抑欝):俺なんてどうせダメな人間なんだ・・・。

(受容):やっぱ、振られたんだ、俺は振られたんだ。

(希望):今回はダメだったけど、次の恋があるさ。次に進もう。


こんなところでしょうか。



(悲しみの解消方法は)・・・もう手の打ちようがない状態のときでも自分のことが忘れ去られていないのだと気づき、慰められる(夕刻の面会)。


映画バトルロワイヤルⅡの台詞で、「人は死ぬのが怖いんじゃない。忘れられるのが怖いのよ」とありました。


僕はまさにその通りだと思います。


死ぬことによって、存在そのものが自分の大切な人たちの中から消え去ることが怖いのです。


カーネギーの言葉で言えば「自己の重要感」が完全に消失することが怖いのです。


だから、仏壇を作るなどして、死者を忘れない習慣があるんでしょうね。




ここまでお読みいただきありがとうございます。

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