新版 敬天愛人 ゼロからの挑戦/稲盛和夫 | ブログ

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おはようございます。岡本大輔です。
本日の紹介はこちらです。
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【出会い】
12月の購入書籍の一冊です。僕は松下幸之助さんや柳井正さん、稲盛和夫さんが大好きなので、購入しました。


【本書のテーマ】
「いかに生きていくべきか」、「人間として何が正しいのか」を問い続け、学び続ける。


【岡本大輔の視点】
これからの時代に求められる「人間性」。

【気になった抜粋】
お客様に接する姿勢としては、お客様の召使いとも呼べる位置づけを甘んじて受け入れるように言ってきた、「甘んずる」という意味は、嫌々という意味ではない、自ら喜んで、気持ち良くお客様の召使いを務めるように言ってきたのである、お客様の召使いが務まらないようでは、どんな立派な販売戦略も絵に描いた餅でしかなく、また仮に一時的に成功したとしても単発に終わり、持続的な成功を収められるはずがない。

製品には、つくった人の心が表れる、粗雑な人がつくったものは粗雑なものに、繊細な人がつくったものは繊細なものになる。

私は、「世の役に立ち、自分も幸せだった」と振り返って感じられるような生き方が、究極的には人々の求めている人生の姿であろうと思う。

信じ合う仲間から称賛と感謝が得られるということが、最高の報奨なのであり、そのような人間の本質に基づいた考え方が、社員に自然に受け入れられるようになるためにも、前述した経営理念や京セラフィロソフィが必要不可欠なものになるのである。

「能力」や「熱意」の重要性については、誰でも分かっているかもしれないが、この「考え方」や哲学が、人生においてどれだけ大切かということは誰も教えてくれない、しかし、この方式式で分かるように、人生においては、正しい「考え方」を持つことが一番大切なのである。

人間と言うのは、一人では成長できない、志ある者たちが集まり、揉まれ合うことによって、より素晴らしい人間に育まれ、その集団もさらなる成長発展を遂げていく。

【響いた抜粋と学び】
お客様に対する態度、サービスだけは限界がない、だから召使いのように徹底して、お客様に奉仕しなくてはならないのである。

利他の心(思いやりや愛)とは、自分だけの利益を考えるのではなく、自己犠牲を払ってでも、相手に尽くそうという心であり、人間として最も美しい心である、私は、ビジネスの世界においても、この心が一番大切であると思っている。

僕の中で、稲盛和夫さんの書籍にはポイントが3つあります。

「利他」の心、完璧主義、そして、フィロソフィーです。


その一つ目になる、「利他」の心です。


これは”思いやり”だとか、”愛”とも呼ばれます。


本書を読み進めてすぐに、”お客様の召使いであれ”と大胆な発言をする稲盛さん。

その心は、お客様へのサービスを徹底しろ!という表れです。


介護サービスに置き換えてみても、態度やサービスについては限界がありません。

「このくらいでいいや」というものではありません。”相手に尽くす”、目の前のお客様のために尽くす姿勢が必要だと説きます。


そして、その心が”人間として”最も美しいと説きます。


その一方で稲盛さんはこう話します。


いくら、「利他」が大切だからと言って、競合他社に利を譲り、自社が不利益を被るということを、私が推奨しているわけでは決してない、経営とは厳しい世界であり、市場における厳しい企業間競争に勝ち抜かなければ、どのような企業であれ、いずれ淘汰されてしまうことになる。

”自己犠牲を払ってでもお客様に尽くす”とは話したが、それはあくまでもお客様に対してであり、競合他社、つまりライバルに譲ることを意味していない。


競争社会を勝ち抜くためには、他社を陥れることや出し抜けとは言わない。それは稲盛さんの哲学に反することだから。


しかし、正しい道で勝負することが必要だと説きます。


その競争がなされる中でお互いの企業が切磋琢磨し、お客様により良いサービスが提供できるのだと話します。



私は、完璧な作業工程のもとに、「製品の語りかける声に耳をすます」というくらいに、繊細で集中した取り組みで、「手の切れるような製品」をつくり上げるようにしなければならないと考える。

パーフェクトであろうとすることは、自分を甘やかそうとする気持ちを抑え、言い訳を許さず、仮借ない態度で常に自らを律することを意味する。

必要な瞬間にだけ集中すればいい、というような安易な態度ではない、張り詰めた緊張感で日々仕事に取り組み、あらゆることに真剣に対処する、そのような習慣を我がものとすることが必要なのである。

稲盛さんのポイント、2つ目の「完璧主義」。


いかがでしょうか、読者のあなたは「完璧主義」と聴くと堅いイメージがありますか?

僕は「完璧主義」と聴くと、「完璧主義」を貫くあまり欝になってしまい体調を崩した方を介護現場で見てきているので、良いイメージは持っていませんでした。


しかし、お客様商売において、「完璧主義」は極めて当たり前のことです。


先述した、お客様への”利他の心”を実践するならば、適当にやることは許されない。自らを律して真剣に仕事に取り組むこと、そ続けることが必要です。


私はすべての判断の基準を「人間として何が正しいか」ということに置いている、この「人間として」というところが大切である、京セラにとって何が良いかということでもなければ、ましてや私個人にとって何が良いかということでもない、一企業や一個人としての利害得失を超えて、人間として公明正大で天地に恥じることがないというような正しい行ないを貫いていこうということだ。

私の経営哲学とは、決して難しいものではない、「人間として正しいことは何か」と自らに問い、「正しいことを正しいままに追求していく」ということである、たとえば、子供の頃に両親や学校の先生から教わった、「嘘をつくな」、「正直であれ」などといったことであり、そのようなプリミィブな教えを判断基準として忠実に守り、実践することが大切であると考える。

稲盛さんが本書の中で繰り返し話すのは「人間として正しいことは何か」です。

僕自身もこの言葉を聴くと、僕にとって何が正しいことで、何をするべきなのか?問いかけるきっかけになります。


仕事に必要な技術や知識をつけることは必要です。それ以上に必要なのは、人間力です。


腕利きの料理人が研ぎ澄まされた包丁を持てば、素晴らしい料理を提供できます。


その料理人が料理人として、人間として何が正しいのか?を忘れてしまえばどうなるのか?


技術や知識の向上はしなくなるし、もしかしたらその包丁を使って人を傷つけるかもしれない。


「いかに生きていくべきか」、「人間として何が正しいのか」ということを常に学び、実践と反省を繰り返していくことに努めない限り、人間とは堕落するようにできている。


本来、人間と思われている僕達は、元々ヒト科のヒトです。”人間”とは成るものです。


将棋で言えば敵陣に切り込んでいった”歩”と同じです。鍛錬して、実践、反省を繰り返すことで”成金”になれるのです。


ヒト科のヒトが人間に”成れる”のです。


成金になって驕ってしまえば、せっかく”金”の働きができるのに、敵にやられてしまいます。


ヒト科のヒト、人間も同じです。


人間に成るからこそ、努力を怠れば人間からヒト科のヒトに戻ってしまうのです。



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