介護と看取り/結城康博 | ブログ

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おはようございます。

岡本大輔です。





久しぶりに

介護関連の書籍を

紹介します。


↓↓↓















【本書のテーマ】

『看取り』です。

個々の経済状況や環境によって

誰もが避けられない「死」について

必ずしも平等な形で迎えるものでは

ないことを現場経験で感じた思いから

率直に述べられています。


それぞれの立場で

最期を考える一助になってほしい

というのが著者の結城さんの想いです。




【抜粋と学び】

「人はいつ死ぬかわからない。」

だからこそ、日頃から

自分の死や

大切な死について意識し、

語り合っておくことが

よき生き方にもつながる。


高齢の方は僕たちよりも

死が近いのですが、


必ず早く死ぬわけではありません。


若い世代でも

明日事故で亡くなるかもしれないのです。



だからこそ、

本書の抜粋にあるように

死ぬときにどうありたいのか?


を日頃から考えて

語り合っておくことが


結果的に

最期をどうしたいか・・・


それでは今をどう生きるのか?


につながるのでしょう。



僕が

よく質問することの一つに

「今死ぬとしたら、後悔する事はありますか?」


という問いです。


高齢者に失礼な!?


と思うかもしれませんが、


案外、みなさま真剣に考えて

応えてくれるのです。



人生の大先輩が生きてきたこと

学んだことを


吸収するチャンスなのです。


仕事でお金をもらいながら

一人の生き様を学べるのです。


僕は福祉職として

お客様と「死」について

話してもよいと思っています。

(もちろん、ケースバイケースですが)


自己責任論だけでは

語れない現実がある・・・

充分な教育や育児が

受けられなかった。


今の時代と違い

お客様の時代は

勉強したくてもできなかった時代です。


知恵を授かりたくてもその機会が

もらえなかった人もいるわけですから


「年をとって

何もわからないのは

あなたの責任です。」


とはいきません。



住み慣れた家で最期を迎えること。

在宅での看取りのポイント・・・

本人の意思がはっきりしている、

今まで行ってきた治療に充分納得できている、

家族が在宅で看取ることに納得している、

つらい症状の緩和がうまくいった、

他職種のチーム内で意思の統一が図れた。



住み慣れた家で最期を迎えること


というところに僕の感性が動きました。


なぜ、在宅がよいのか?

死ぬことだけでなく

生活するのも在宅が良いのか?


住み慣れていることはもちろん


そこが「自分の」家だから

自分が生きてきた証のある場所だから


と僕は読んでいて

思ったのです。


施設が嫌なのでなくて


自分が生きてきた証がなくなるのが

嫌なのではないか?


と感じました。


いくら、施設に自分のモノを

もっていけるといっても限られています。



今後は施設が増える一方で、


さらに将来は

いかにして在宅で生活し続けられるか?


高齢になっても

障がいを持っても

生活し続けられる


「家」・・・自分の城作りが

僕たち福祉職にも課題と

なりそうです。



施設入所ではなく


自分が最期まで生活できる

「家」・・・自分だけの「家」を

いかにして実現できるだろうか?




「人間の微笑み、

人間のふれあいを忘れた人がいます。

これはとても大きな貧困です。」

(マザーテレサ)



マザー・テレサの言葉は

僕の感性を刺激します。


人間の微笑みやふれあいを

忘れたことを


「貧困」と称しているのです。



僕たちがパッと考えつく「貧困」は


お金がない

食べ物、着るもの、住む場所が

みすぼらしい


という人間の取り巻く環境について

考えることが一般的な気がします。


しかし、マザーテレサは

人間の内面に


「貧困」は潜んでいると

言うのです。



そういえば、貧乏で

食べ物も着るものも住む場所も

ない人・・・


言うなれば、ホームレスは


肩を落として、無表情で

人とのふれあいはなくなって・・・


内面が貧困だから

環境も貧困なのかと考えました。



身内がいても

まったく関わらないケース・・・

暴力や借金で縁を切っている場合あり。


ケアマネで担当しているお客様や

デイサービスでのお客様の中には

色々な家庭の事情を持つ方がいます。


僕たち福祉職の立場では


なんでこの家族は

自分の親のことなのに

もっと介入しないのだろう?


と感じることがあります。


しかし、そこには

その家族の歴史があるわけです。


僕たちが考え付かないような

歴史があるわけです。


その積み重ねが

今現在の家族関係だと

考えてみましょう。



まとめとして・・・


・「死」について考えることが

今をどう生きるかにつながる。

「死」は否定することではない。


・時代の違い、環境の違いがあり

自己責任だけではお客様を

判断できないことを理解する。


・自分の「家」には

自分が生きた「証」が存在する。


・人間の内面の貧しさが

外面に現れる。気付いた人は

今、自分の内面を変える努力をする。


・それぞれの家族にそれぞれの歴史あり。

僕たち福祉職の想像を超える歴史あり。




本書では看護面に重点を置いて

書かれていますが、


福祉職の僕は

福祉面を中心に抜粋と

感じたところをピックアップしました。



深く学びたい方は


図書館で借りて読む

購入して読む


今すぐ行動です。






チェック項目21箇所。テーマは看取り。個々の経済状況や環境によって誰もが避けられない「死」について必ずしも平等な形で迎えるものではないことを現場経験で感じた思いから率直に述べられている。それぞれの立場で最期を考える一助になってほしい。「人はいつ死ぬかわからない。」だからこそ、日頃から自分の死や大切な死について意識し、語り合っておくことがよき生き方にもつながる。自己責任論だけでは語れない現実がある・・・充分な教育や育児が受けられなかった。住み慣れた家で最期を迎えること。在宅での看取りのポイント・・・本人の意思がはっきりしている、今まで行ってきた治療に充分納得できている、家族が在宅で看取ることに納得している、つらい症状の緩和がうまくいった、他職種のチーム内で意思の統一が図れた。病院で看取る・・・家族の負担軽減、自宅で死にたい・・・本人の想い、どちらを取るのか?最期に入院してしまう背景・・・症状のコントロールに難渋、家族への説明の難しさ。身内がいてもまったく関わらないケース・・・暴力や借金で縁を切っている場合あり。本人に病名告知の必要性・・・的確な投薬や手術が不可能になり結果的に適切な治療ができずに助かる命が助からなくなるから。看取りの質・・・寝たきりによって心身が機能しなくなったのではないか、終末期をどの状態で判断するのか、本当にターミナルか?看取りとは緩和医療・ケア、プロセスが重要。寝たきりアパートの現実・・・法的にはグレーゾーン。望まない孤独死・・・本人の選択?苦しんでなくなる人のケースを想定していない。最期の支えは家族との絆。家族と一緒の墓に入るのが絆を取り戻す唯一の希望。マザーテレサ「人間の微笑み、人間のふれあいを忘れた人がいます。これはとても大きな貧困です。」訪問看護師不足・・・06診療報酬改定。大病院が有利。看護業務は「命」を扱うため一時休んでしまうと技術・知識が低下して自身がなくなり怖くて職場復帰を諦める。訪問看護師は、在宅では医師がいないので自分の判断が大切になる。自分の判断一つが患者の生命を大きく左右させる・・・大きなプレッシャー。小規模多機能の契約・・・介護スタッフと合わないから別の事業所のヘルパーを利用できない。家族ができるターミナルケアの中でもっとも比重が高いのが、この精神的なケアといえる。昔は食べられなければ自然の流れで老衰していたが現在は胃ろうで長寿が可能になった。葬儀・・・人が死ぬにも30万円必要。無届の有料老人ホームが運営できるのはそれだけ需要があり公的な介護資源が不足している表れ。