みなさん、おはようございます。
図書館の新刊コーナーを
のぞいていたら、
昨年、読んで涙した書籍
死ぬときに後悔すること25―1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた
の著者、大津先生が書いた
書籍を見つけました。
昨日・・・その前からの
流れで、
「看取り」
「死」
「殺人」
ときました。
本日は
「生」・・・生きること。
緩和医療の目的は?
医師として不治の病に
対して、治療ができない
完治させられない葛藤。
大津先生から
今回考えさせられたのは
「絶対はない」
ということ。
人はなぜ、「絶対」的なものを
好むのか・・・。
一言で言えば
楽だから。
これは「絶対」そうだから
の一言で
頭を使わなくて良い。
だから、人は
「絶対」を好む。
納得ですね。
逆に「絶対」がないと
~かもしれない。
~の可能性もある。
と頭を使わないといけないですね。
(僕はむしろそっちの方が
好きですし、福祉の考えでは
「絶対」はあまりないと
思っています)。
いじめ問題について・・・
いじめはいつかなくなる。
だから自殺はいけない。
いじめをしている人で
人生を楽しんでいる人はいない。
最近、上の子供の学級で
いじめがあったようで、
なるほどなと感じていました。
「いじめ」はなくならない。
そう感じます。
だから「いじめ」を
なくそうとする動きは
間違ってないし、
いいことだと思うけれど、
「いじめ」を減らすと同時に
いじめられても絶対に自殺はいけない
と教えるのも必要だと
僕は感じています。
「死」はすべての人間が
通る道。
幼いときから
「看取り」を経験するのは
トラウマではなく
「死」について考える
いいきっかけになる。
今年に入ってから
妻の親戚や祖母が
亡くなり、葬儀にも行ってます。
学校などあったので
本当に最後の瞬間までは
子供たちはいませんでしたが、
人が死ぬのは自然の摂理
それを言葉ではなく
実際に感じることも
「生きる」ことを
学ぶ上で必要なんだと
大津先生の書籍を読んで
感じたところです。
最後に・・・
僕たちが人生の意味を問うのではなく
「人生」が僕たちに問うている。
僕たちはその答えを
人生を歩みながら
出していくんだ
そう感じて
今日から生きていこう。