朝日町と置賜こんにちは。 ニュータイプニャムロです。 今回はモビルアーマーで国道287線を走っていて感じたことを書かせていただきます。 この話題については25年来の問題意識に基づいてたりします。 そして朝日町の西郷亭さんがプロデュースするちょうちん弁当を食べて以来、ニュータイプへと覚醒した私の主観によるものです。 何かというとですね、陰陽地域論又はデジタル地域論というちょっと変わった観点が私にはあるのですね。 気候的には似てるけど文化的、歴史的に違う隣接した二つの村が在ったとしましょう。 この二つの村の間には川があります。 そして橋を渡って隣の村に足を踏み入れると、そこは明らかに別の空気に支配されています。 何が違うのでしょうか? 人が違う? それもあるでしょうが本質は違います。 なぜなら隣の村から越してきたら、その人は直ぐに馴染むでしょう。 経済力が違う? それもあるでしょうが本質は違います。 どこの村にも富裕な人とそうでない人がいます。 じゃあ何が違う? 私の見解はこうです。 地理的に川や山、そして時間によって育まれた文化の蓄積、個々人のレベルを超えた全体としての存在が私に訴えてくるのです。 「ここからは貴方がいつも居る場所とは違うんですよ。」と。 量子力学の開祖であるハイゼンベルクが不確定原理を提唱した後に書した「部分と全体」で語った事を、全体としての何者かが語りかけてくるのです。 実は首都圏に住んでいる時、多摩川を越える時に神奈川と東京との空気の違いに感づいていました。 物理的には違うはずがありません。 でも違うのです。 何が? それは私には解りませんが違うのです。 一種の自己暗示でしょうか? 否、それも違うと思います。 国道287線で同様の思いをつい最近経験しました。 私の家から287を通って白鷹町に向かっていた時のことです。 ある感覚が走ります。 なんというかですね、カラッとした空気が流れたと思ったら、南フランスのプロバンス地域からドイツのハンブルクに来たような感覚が通り抜けていくみたいな? 標識を見ると白鷹町に入ってました。 やっぱりね。 同じ山形県でも、村山と置賜は全くというと言い過ぎですが、別の空間なんだなと。 大都市のような様々な出身地から来た人達の集合地域より、地方の方がハッキリと地域の特徴が出るので解りやすいのです。 こんな事を経験すると「面白え!」と素直に思います。 白鷹町のお蕎麦の名店で食事を済ませ、帰路に着きます。 朝日町に近づいてくると、こう言われたような感覚が走ります。 「お帰り」ってね。 寒河江や大江町、山形市からの帰り道ではこのような感覚は走りません。 やはり最上・村山と置賜・庄内は違うのです。 全体としての何かが。 お読みいただきまして、ありがとうございました。