こんにちは。
昨日の夕方、山形駅の近くにある「佐五郎」というお店で山形牛を買って、今晩の夕食はスキヤキだ~!と考えながら朝日町へ帰る途中、四方を山で囲まれている風景を見ていた時に、突然閃いたイメージがあったので、日記としてまとめてみました。
私は昔から東北という地域が好きでした。
何故なら時々訪れていた東北の地に、自分が育った環境には無い独特の空気を感じていたからです。
西の方へ行っても土地柄は違いますが、根本では驚くほどの空気の違いは感じられないです。
それは当たり前の事で、現代の教育システムを通じて植え付けられた日本人の思考・行動様式は日本の西というか中央のもの、いわゆる大和のものだからです。
関東の人間が東北以外の土地に行っても、言葉はイントネーションの違い程度にしか感じずに会話は99パーセント成立します。時折耳にするその土地固有の単語を除けば。
しかし、東北に来ると言葉に苦労します。
東北の人の言葉は、時には全く分からない事もあったりで、困ることが多いです。
多分、ここまで分からないのは山形を含めた陸奥・出羽の文化圏以外では沖縄くらいではないでしょうか。
では、なぜそうなったのでしょうか?
それは歴史と気候を通じて代々の人間に埋め込まれた遺伝的要素が違うからと推測します。
古事記や日本書紀によると、越国、出羽、陸奥が蝦夷文明圏とされています。
蝦夷とは縄文時代の狩猟採集文化を色濃く残した土地を指します。
越の国及び奥羽の深層的意識の根本は農耕文化ではないという事なんですね。※
(※ただし、縄文でも稲作をしていた形跡は存在します。)
しかし、山形は米どころですし、新潟の魚沼産コシヒカリは私も毎年食べているお米の最強ブランドです。
では、東北に農耕文化とは違う何かを感じる理由はどういうことなのでしょうか?
話は少し前に戻りますが、私は山形に越してくる前まで、東北の人って無口で恥ずかしがり屋、でも頑張り屋という印象がありました。
東北出身の人を職場でも数人居たのを覚えていますけど、あまり喋らない人が多かった気がしますし、関西の人がズケズケとストレートにものを言うと、黙って聴いている印象が強かったからです。
つまり西の大和文化を色濃くする人達とは違う、話嫌いな人達だと思っていたのです。
しかし、山形に越してきて思った事は、関東はもとより大阪、名古屋、福岡の人よりもずっと話好きなんだということです。
居酒屋などでは凄まじいエネルギーで話をしているので、目から鱗が落ちました。
その時、そのエネルギーの源も大体ピンときました。
その正体はそれが全てではないにしろ、過去から現在に続くあるものであることを。
東北内で蝦夷文明を分かりやすく表現しているのは間違いなく出羽の国「山形」だと思います。
それは山形訛りが東北内で最も強い事とも当然関係があると思います。
山形は陸奥の国とは風土が違います。
そして同じ南東北に属するお隣の宮城とも明らかに違います。
その理由、陸奥は地理的に北東北に属しているが故、大和の影響が届きにくかったのか、大和の色彩が薄い。
宮城は大和の出先地みたいな側面があるので、蝦夷よりも大和に近い。
出羽は蝦夷と大和の境目にあり、更に山に囲まれかつ雪国という地理的条件があった為に、双方がミックスされながらも出羽内部での特異性を維持する事がし易かった、しかし内面では蝦夷と大和の葛藤が複雑な心情を醸し出す、独特の風土を持った土地柄なんだと思います。
更なる詳細はより調べてから書きたいです。
なぜならば、日本という国の深層を探る上で、山形という存在の根底を調べることはそれだけ興味深く、かつ価値があるものだと私個人として感じるからです。
現時点で断言できる事、それはこの山形の文化を知ることが、次世代の社会システムのビジョンを描く上で非常に重要な事だという事です。
はるか昔、日本の人口の9割を占めていたのは、東日本でした。
我々が教科書で習った事とは逆に、非常に高い教養と精神性を築いていた縄文の文化。
そして大陸からの異文化が流入してから誕生した大和朝廷。
それ以来、日本の日陰に位置していた東の土地が、実は日陰などとは真逆である事を私自身はかなりの確度で正しいと考えています。
無限の可能性を秘めた蝦夷文明の遺伝子を色濃く引き継いだであろう多くの子孫が醸し出す雰囲気を感じた時に、ワクワクする気持ちを抑えきれない気持ちが取り急ぎこの文章を書いた理由です。