日々に新た ー 土光敏夫さん | 朝日町shellのブログ

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こんにちは。

今回は、私が人格形成期に影響を受けた「土光敏夫」さんについて書かせていただきます。

ドラッカーに次ぐ私が尊敬する人です。

土光さんに言われたら、逆らえないな。多分。
というか、土光さんだから逆らわないって感じです。
なぜなら言ってるのが土光さんだからです。それ以上でもそれ以下でもありません。

有名な人なので皆さんも名前は聞いたことがあるとおもいますが、一応念のため概略を。

石川島(現IHI)とか東芝の社長さんやって、会社立て直してから経団連の会長さんやって、第二臨調の会長さんも務めていろんな勲章貰った人です。

実績を見ると凄い人です。
まさしく経済界のヒーロー。

通称は、「メザシの土光さん」とか「怒号さん」とかだったかな?
眼光鋭く、メチャ怖い人。
風貌は経済界の荒法師。

幼馴染の家族同然だったオヤジさんが東芝に勤めてた時の土光さんの逸話聞くと、そこまでやる?って感じかな。
一緒に働いた役員さんたちは、見つめられると蛇に睨まれたカエル状態。
でもプライベートでは優しい人だったりします。
社長さん時代もハイヤーなど使わずに、横浜鶴見の自宅から横浜市営バスと京浜東北線を使って通勤してたりしてました。

東芝の社長として初出社した日の早朝、まだ誰も居ない時間帯に東芝本社に顔を出した土光さんは、警備員に不審者と間違われて呼び止められます。

「僕は今日からこの会社の社長として働く事になりました土光という者です。」

警備員さんビックリたまげたことでしょうね。


私がこの人に興味を持ったのは、その人生というか人格というか、まあ色々と変わった人だったからです。

土光さんが言った当時のセリフです。
「僕は定年したら、嘱託として会社のトイレ掃除してピカピカにしたかったんだ。落としたタバコを拾って、そのまま吸えるぐらいにピカピカにね。年寄が若い人の邪魔しちゃいけないしね。ところがやっと女房と静かに暮らせると思ったら、総理から第二臨調に引っ張り出されて引受けたけど大変だよ。」

財界総理やった人の言葉とは思えませんよね?
冗談とかでは無いです。
本当に奥さんとの時間を大切にしたかったのでしょう。
だって冗談とか嘘言わねえもん、あの人。
(僕は嘘で固めた人生かも。ボソ)
まあ、国家とか国民の為に引き受けたのでしょう。

印象を一言で表すならば、「無私の人」という事でしょうか。

東芝社長時代の年収が五千万位だったと記憶してるのですが、月々数万円の生活費を除いて全部寄付しちゃうんです。
お母さんが設立した学校に。

履いている靴があまりにも擦り減ってボロボロなので、会社の人が見るに見兼ねて靴をプレゼントしたというエピソードがあるという、物欲の無さ。

好物はメザシ。

朝食は家の庭で摘んだ菜っ葉をジューサーで処理して飲むだけ。

私のような者からすると、ちょっと理解に苦しむ方であったりします。
(参考までに私の好物はフグ、寿司、松坂牛の霜降り肉、あっぷるニュー豚や秋刀魚等。朝食は果物。)

でも憧れたりもする存在です。


この人ほど対外的に成功した人はあまり居ないと思いますね。

でも、この人ほど内面的な挫折感に満ちた人もあまり居ないとも思います。

第二臨調での挫折がその象徴。

病気で布団に横になっている土光さんを訪ねてきた記者さんに語った内容から、痛いほど土光さんの気持ちが伝わってきました。

当時、最強の国鉄労組を説き伏せて赤字の国鉄を民営化させ、JRとして黒字体質に変えた土光さん。
そして、国の借金が数十兆円規模だった財政問題に立ち向かって、政治家や官僚に敗れた土光さん。
それ以降、先送りを繰り返した結果、GDPの2倍の借金を抱える国になった日本。

現在の日本に対して、あの世から土光さんの怒鳴り声が聞こえてきそうです。
でも叱られて当然の事かと。

なぜなら私を含めた多くの日本人が、土光さんが引用したドラッカーの言葉、「マネジメントの本質は地位でも特権でも給与でもない。それは責任である。」を真に実践しているようには思えないからです。

「次世代へ安定した社会を引き継ぐ責任」、それを体現した土光さん。

多分、土光さんは実は当時の時代に負けたんだ。

そう思う時があります。

それから時代は流れ現在。

今度こそ。

土光さんがよく引用した「日々に新た」という言葉を信じて、過去に囚われずに前へと進む決意の下に。

お読みいただきありがとうございました。