不登校の話をしていると、時々こんな質問をいただくことがあります。
「どんな先生がいたら、学校へ行けたと思いますか?」
この質問をいただくたびに、少し考えます。
僕のまわりには、本当にいろいろな先生がいました。
小学校2年生の時、朝、仲の良かった友人を連れて、家まで迎えに来てくれた先生。
よく家庭訪問に来てくれた先生。
小学校6年生の時、数日に一度、家に来て勉強を教えてくれた先生。
中学校2年生の時、家で描いた絵を、定期的にクラスの掲示板に貼ってくれた先生。
今振り返ると、どの先生にも本当に感謝しています。
当時はまだ、今ほど「不登校」という言葉が一般的ではなかった時代です。
先生たちも、きっと手探りだったと思います。
それでも、それぞれの先生が、それぞれのやり方で、関わろうとしてくれていました。
ただ、正直に言うと、その関わりが、当時は少し苦しく感じられることもありました。
朝、先生が友人を連れて迎えに来てくれたこと。
家庭訪問に来てくれたこと。
それは、僕のことを気にかけてくれていたからだと、今ならわかります。
でも当時は、少し逃げ場がなくなるようにも感じていました。
先生も来てくれている。
友だちも来てくれている。
だから行かなきゃいけない。
そう思えば思うほど、体が動かなりました。
家に来て勉強を教えてくれた先生のことは、嬉しく覚えています。
でも、僕は学校に戻りたいと思っていたわけでなかったので、教えてもらいながらも、少し申し訳なくも感じていました。
中学校2年生の時、家で描いた絵をクラスの掲示板に貼ってくれた先生のことも、よく覚えています。
中学校は小学校以上に、ほとんど学校へは行っていませんでした。
でも一度だけ中学校へ行った時、クラスのみんなが僕のことを知ってくれていました。
自然な感じで同級生たちが話しかけてくれました。
学校へ行っていない自分の存在を、教室の中に少しだけ残してくれていた。
今思うと、それはとても大きなことだったのだと思います。
でも・・・
「どんな先生がいたら、学校へ行けましたか?」
そう聞かれると、僕の答えは少し申し訳ないものになってしまいます。
たぶん、どんな先生がいても、学校へ行けなかったと思うからです。
こんなことを言うと、先生たちの努力を否定しているように聞こえるかもしれません。
でも、これは今振り返って思う、正直な気持ちです。
僕にとって苦しかったのは、先生個人というより、学校という場所そのものでした。
人間関係をうまく作ること。
勉強についていくこと。
たまに学校へ行くと、みんなにとっては当たり前のルールが、自分にはわからないこと。
朝、決まった時間に起きること。
みんなと同じ行動をすること。
そういう一つ一つが、僕にはとても難しかったのです。
だから、どれだけ良い先生がいても、
どれだけ熱心な先生がいても、
どれだけ工夫してくれる先生がいても、
きっと、学校へは行けなかったのだと思います。
これは、誰かのせいにしたい話ではありません。
ただ、そういう子どももいる。
学校へ行くことが、どうしても難しい子どもがいる。
そのことを知ってもらえたらなと願っています。
もちろん、先生の関わりによって救われる子もいると思います。
でも一方で、その子にとっては、
「どうすれば学校へ戻れるか」よりも先に、
「学校へ行けない自分も、否定されていない」
と感じられることが必要なのかもしれません。
もし、あの頃に出会いたかった先生がいるとしたら。
それは、特別に優しい先生ではなかったのかもしれません。
気を遣いすぎず、まわりの子と同じように接してくれる先生。
そして、学校に通うことも、数ある選択肢の中のひとつだと考えてくれる先生。
そういう先生がいても、僕は学校へ行けるようになったわけではないかもしれません。
でも、もう少しだけ、自分を責めずにいられた気がします。
先生たちは、僕を学校へ戻すことはできなかったかもしれませんが、何も届いていなかったわけではありません。
絵を掲示板に貼ってくれた先生の記憶は、今も強く残っています。
学校へ行くことだけを正解にしすぎず、
その子の存在そのものを、静かに見ていてくれる先生。
僕が思い浮かべる「いてくれたらよかった先生」は、たぶん、そんな先生です。
このブログでは棚園の不登校経験や漫画制作について綴っています。
もしよろしければ、時々覗きにきてもらえたら嬉しいです。
⚫︎棚園の著作






