4. 德壽宮(トッスグン)
德壽宮 大漢門(テハンムン)
徳寿宮という名称は、禅譲した王の長寿を願うという意味にちなんだものである。本来は慶運宮と呼ばれていたが、高宗が皇帝職を退いてこの宮に住むようになってから徳寿宮と名付けられた。
◎ 徳寿宮の建立―世祖の最年長の孫である月山大君の個人邸宅
徳寿宮は本来、世祖の長男である桃源君の長男、すなわち世祖の最年長の孫にあたる月山大君の個人邸宅であった。世子に冊封されていた桃源君が18才の若さで亡くなり、世子嬪の韓氏が出宮することとなり、国はこの家を建てて韓氏が息子2人と一緒に暮らせるように取り計らった。だが、次男の者乙山君が王(成宗)に即位し、彼の母である韓氏も再び宮中に入ることになったため、月山大君だけが住んだ。
◎ 壬辰倭乱終結後、漢陽に戻った宣祖が行宮として用いた宮
月山大君が亡くなって104年が過ぎた宣祖25年(1592)、壬辰倭乱が起こり、義州へと避難した宣祖が、1593年10月に漢陽に戻って来たが、漢陽は住める場所がないほどの焼け野原で、廃墟と化していた。そのため、比較的状態の良かった徳寿宮を行宮(仮宮)とし、貞陵洞行宮と名付けた。しかし、月山大君の邸宅は境内が狭かったため、桂林君(瑠)の邸宅も行宮として用いた。また、宮闕内に必要な官庁は、初めは宮門外に隣接させ、徐々に木柵を広げて門を付けることで臨時の宮城とし、様々な官庁と衛士などをすべて宮闕内に取り込んだ。さらに、その横にあった青陽君沈義謙の家を東宮に、領相沈連源の家を宗廟として用いた。1597年には塀を築き、1607年4月には北側に別殿を建立した。宣祖は、1593年10月にここを行宮としてから1608年2月に正寝で崩御するまで、ここで内外の執政を行い、次に王位を継承する光海君もこの行宮の西庁で即位した。
行き方及び観覧時間
電車、地下鉄
1号線シチョン駅2番出口徒歩
2号線 シチョン 駅12番出口徒歩
住所
ソウル特別市中区世宗路99
02)771-9951
期間 | 出札時間 | 観覧時間 |
1月~12月 | 午前9時~午後7時 | 午前9時~午後8時 |
※毎週月曜日は休み






