amuro jet & namie amuro Final Space OKINAWA | 半狂人の晩年

半狂人の晩年

石井恒の「生きていてわるいですか」

 

どうしてFinal Spaceの沖縄会場だけこんなべらぼうに遠いのよ!?

沖縄ってだけでも遠いのに、例の宜野湾よりもっと向こうの沖縄市……

行こうかどうしようかしら…金が…でも行かないと一生後悔しそう……

…………――――…………――――…………

…………もうヤケクソだわ。ええ、行くわよ。

どうせ行くなら、amuro jetにも乗らなくちゃ。

でもamuro jetって、前日にならないとどの便がamuro jetで運航するのか判らないの。

羽田、中部、福岡――毎日本土の3カ所のどこかからは飛ぶとはいえ、

中部や福岡発なら乗る前夜までに自宅の埼玉からそこまではるばる移動しなきゃならないし…

行ける期間の数日前からamuro jetのサイトで

運航情報を毎日チェックして(もう忙しいったらないわ)……ある朝、

次の日のこの便!羽田発14時台、いい時間!空席わずか!乗るわよ!ってとっとと予約しようとしたら…

え?那覇じゃなくて石垣行き?…………瞬間手が止まるも、

その先のことなんぞ考えずとりあえず予約に決まってるわ。

17時35分に遥か行き過ぎの石垣に着いて、その日じゅうに那覇に飛ぶ便あるわよね……

あら?全航空会社満席╳╳╳╳。

石垣-那覇間の船便はあるかしらん?琉球弧を航海するロマンティックなフェリー、ありそうよね?

夜便だと宿代も浮くしいいわぁ…………ないの!?

その翌朝の石垣-那覇の飛行機は……これも空席わずか。すかさず予約…

義務的に泊まる石垣島のホテルも予約…

…羽田-石垣のamuro jet、石垣のひとりホテル、翌朝の石垣-那覇の飛行機…

主目的の沖縄会場にたどり着く前に既に計6万5千円…。

 

amuro jet搭乗日のウキウキの朝、しつこくその日の夜の石垣-那覇便をチェックしたら…

やだ、1席空いてる!予約よ、予約。

石垣のホテルにごめんなさいのキャンセル連絡をして、その夜の那覇のホテルをササッと予約して、

50の耳に無理矢理『DANCE TRACKS VOL.1』を流し込み、GO! GO!気分アゲながら羽田に向かったわ。

…96年7月に『SWEET 19 BLUES』が出るまでは、

安室奈美恵のアルバムはその『DANCE~』しかなかったから、

「Chase the Chance」「Don’t wanna cry」が街じゅうに流れ溢れまくり、存在が社会現象へ沸騰してた頃、

若い子たちがみんな微妙な『DANCE~』を聴いてた時代情景を思い出しながら…

いつもなら出発時刻20分前にしか羽田に行かないのに、amuro jetの機体写真も撮りたいから

出発時刻40分も前に羽田に着いたら…使用機材到着遅れのため50分延発ですって。

いいのよ~焦らしてちょうだい、amuro jetのためなら喜んで待つわ~。

新しい出発時刻の30分も前に、ラララ、搭乗口に行けば…あら?amuro jet様はどちら?

こちらからは見えない位置に駐機しております、とのたまう搭乗口の制服女。

え?どういうことかしら?機体の写真が撮れないじゃないのさ…

見渡せば…ソワソワしてるのは50がらみの派手なオカマ1人だけ。

みなさん、フツーに石垣島にバカンスにお出かけの家族連れとかカップルみたいなテンション。

そうね、わずか数名以外は、

amuro jet運航情報告示前からこの羽田-石垣便を予約なさってた行楽客のみなさんだもの。

どこかから機体が見えないかしらとあちこち動き回るも、amuro jetの気配さえどこからも見えやしないの。

右往左往せわしない実年のオカマはもう泣き顔になってたかもしれない。

石垣では見えると思いますよ、と再び搭乗口の制服女。

そうね、石垣で機体を撮ればいいわね、と他者発言をらしくなくやすやすと信じるオネエ叔父さん。

いつもなら最終案内でしか搭乗しないのに、

優先搭乗でそそくさと得意の速足オカマ歩きで先行く人々を抜かしまくって

乗り込もうとすると、入口右手に、奈美恵の写真がようこそ!

写真撮らなくちゃ…反応してるのは中年釜ただ1人。

あとのみなさんは気にも止めず黙々とご搭乗なさるのね…

amuro jet仕様座席カバーに興奮してるのも、周りでは1人だけ…

飛行中、ヘッドホンを付けてる人も周りでは1人だけ、ってことは

機内オーディオプログラムの奈美恵特集を聴いてる人も少なそう…

essential best、精選、って感じの絶妙な選曲なのに!

(7曲めまで『Finally』版だけど気にならない!)

「Don’t wanna cry」「SWEET 19 BLUES」

「CAN YOU CELEBRATE?」「NEVER END」「Say the word」

「GIRL TALK」「Baby Don’t Cry」「Mint」「Hero」「Finally」――

初期の代表曲4曲に、キャリアの転換点の曲と音楽的転換点の曲、

中期の最人気曲、近年の話題曲2曲に…締め。

(構成/ナンクルさん、素晴らしい!)

そして特にアナウンスもなくふいにモニターが下りてきて、唐突に「Contrail」のMVが始まるから

慌ててチャンネルを合わせるわけよ。

音声はヘッドホン経由なのに相変わらずヘッドホン人は周りにおらず、

それはビデオプログラム奈美恵特集を楽しんでる人もわずかってこと…

ちょっと、どうしてみんなそんなにクールなのよ!

解ってるわ、感動感激感謝のFinal Tourでさえ5/2東京ドーム天井際席では

小室時代曲以外座ったまま無反応観衆の多さに唖然とした後だから、

一般のみなさんがこんな風でも。

この貴重な機会をご体験なさらない方々…おかわいそうに。

小室時代曲のMVでも流れれば違ったかもしれないけど……権利関係かしら……

「Contrail」+『Finally』収録のMV曲-「Dear Diary」「Fighter」「In Two」

先の『DANCE~』の頃から、奈美恵楽曲には権利関係のモヤが漂っているよう。

(特に)docomoとコーセーのCMは、見る機会が限られるからうれしかったわ。

着陸したら乗客全員で拍手!って感動的情景を期待してたのに…なかったわ

ていうか降りる支度中、記念カードをもらってないことに秘めやかに気を揉み揉みするオネエさん。

降りる前に機上制服女に必ず訊かなくちゃ、忘れちゃダメ、必ずよ、と小声で唱えつつ

出口近くの制服女ににじり寄ったら…

あら、カードくれたわ、ありがとう。

お出口でamuro jetご搭乗記念のカードをお渡ししております、って

おっしゃっていただきたいわ。焦るじゃない。ていうか終始、

amuro jetに乗ってることを盛り上げるアナウンスとか何もないのよ!

まだ気を抜けないわ、機体の写真を撮らなくちゃ、

さぁお姿を見せてちょうだい、どこから見えるかしら?

出口→搭乗橋→搭乗口→と気を張って歩くも…

搭乗橋の小窓からかろうじて小さく見えただけ…

滞りなくamuro jetを後にする一般のみなさんの流れに乗らず、

羽田同様に半泣きでウロつく初老釜の他にもう1人、

あれ?見えないな…って表情で、搭乗口近くの降機ルート最後の窓から

機体方向を眺める男子がいたわ。同志…か?

 

単にトランジットの石垣空港で

石垣牛ステーキと八重山そばとジェラート食って

1時間半後に那覇行きに乗るミーハー釜。

今宵の石垣-那覇便用に、

「Get Myself Back」から始まるプレイリストを作りiPodに入れたわ。

那覇の夜のホテルで、

Final Space沖縄会場のプラザハウスまでのバスを小1時間かけて調べ…

…あら、複数の会社のいろんな系統のバスが

1時間に5本ぐらい那覇バスターミナルから出てて、よかったわ~。

翌昼、1996年に「おしゃれカンケイ」で好きな食べ物を訊かれ、

お母さんお手製の中身汁が空輸されてるのに、最初違うものを答えて

古舘伊知郎をしばしあたふたさせた天然奈美恵を懐かしみつつ

その中身汁を食ってから、いざプラザハウスよ。

奈美恵の巨大看板壁貼り中の琉球新報ビルを見上げて気分上がりつつ

那覇バスターミナルへ向かえば…え?工事中…

乗りたかった宜野湾会場近く経由の沖縄バス77番は、

那覇バスターミナルを名乗るも近くの道端から出るって案内に慌て、

どれでも着けばいいわと、ちょうど来た他系統バスに乗り、

ガラガラのまま那覇を後にすると…

…去年9月、列島大震撼直前、普通に25周年記念だと

のんきに楽しんだ沖縄ライブへの道中は

お友達と話が弾んで車窓をあまり見てなかったのね……

米軍基地のフェンスが左にも右にも現れ――――

――――リアル「ミスターU.S.A.」だわ!

やたら明るい米軍基地ソングとしか感じず

ずっとノリノリで聴き流してきた私のバカ。

いま実際に、ひたすら分け隔てて長々と続くフェンス、

そのフェンス越しに

広大な地上げのように街並みの中に白々とどっかり鎮座する米軍基地を目の前に見る。

言語はヤマトと同系だけど、生活文化的には中華要素もあり、琉球王国の歴史もあり、

日本固有の土地とは言えない沖縄。もし日本領になってなかったら

こんな無残な土地の使われ方はしてないでしょう。

第二次世界大戦での米軍も、沖縄を大襲撃したってヤマト政府には応えないことを早く解るべきだったのに。

幾重にも複雑な沖縄の歴史のようでもある安室奈美恵。

県民栄誉賞受賞の席で流した涙の静けさ。

その時の“すごくやさしい場所でもあるし、自分にきびしい場所でもある”という言葉の重さ。

ふと車窓に、普天間宮と書かれた幟と鳥居と、その奥に大きな赤いお宮さんが見える。

米軍基地名でヤマトでは知られている普天間が、

厚い信仰を集めていることが一目で判る堂々たる神社の名前だったなんて!

でもその普天間宮は、米軍の敷地に窮屈そうに囲まれていた…なんてこと!

(帰って調べたら、普天間宮は琉球王国時代から続く神社で、

首里から普天間宮への参道のほとんどは米軍普天間基地の滑走路の下に埋もれてしまったんですって。

とんでもないこと!)

安室奈美恵は引退の理由を明確に語らない――――

沖縄に来なければ見えなかった景色。来てよかった。

 

プラザハウス前バス停で降りると、坊主頭の(たぶん)中学生3人。

私が行った大阪グランフロントも、渋谷ヒカリエも、それぞれの都市でいま最先端で賑わうビルで、

それは日本最高最先端のシンガーの展覧会らしいロケーション。

プラザハウス…本当にここかしら?と仰ぎ見ちゃったけど、

低層の外壁からちゃんと奈美恵がこっち見てた。

幹線道路沿いの郊外の風に吹かれ、

誰もいない入口に置かれた灰皿前に腰掛け、

年配の婦人が1人タバコを吸ってたわ。

内部も人の数も、

ガランとしたショッピングセンター。

ただ、アメリカ時代の1954年オープンで、

当初米軍関係者向けではあっても、

日本初のショッピングセンターなんですって。

どこも定刻に行って、

大阪グランフロントは10分、

渋谷ヒカリエは30分並んだわ。

沖縄プラザハウスは当日券待ちの列数人のみで、一瞬で入れたわ。

いきなり、轟音。

Dr.クロノスも元気が出るテレビの空手シーンも、ライブ映像もMVも混ざりまくって、

どれもよく聞こえないの、フフフ。

大阪も渋谷も、数十人ごとに分けられ若いスタッフの説明を受けたfirst spaceがあったけど、沖縄は説明もなく

いきなり、展示会場。

他の会場で見た映像も、ここでもちゃんと順番に見ましょうね。

ふと、気づく。平日昼間、1人で来てるオジサンがわりといるの。

そして、老若男女全員展示を熱心にじっくり見てる。うれしい。

大阪では、彼女に連れて来られたのか興味なさそでつまんなそうな若いイケメンが何人も目障りだったわ。

渋谷では、衣装展示の真ん前で、展示とも奈美恵とも関係ない話を

大声でずっと続けて動かぬ下品な3人組が邪魔だったわ。

5/2東京ドーム天井際席観衆の7割は、小室時代曲以外では出番待ちのようにじっと座ってたわ。

会場内の人数の余裕のせいもあるだろうし、どこも行った日がたまたまそうだったのかもしれない。

でも、沖縄プラザハウスまではるばる来てよかった。

去年までのライブみたいな、会場の一体感が、うれしい。

各映像の音も一体化してるけど。

どこの展示会場も衣装がメイン。小室時代は若かったのに

パンツスーツが多くて、紅白の衣装も毎年黒っぽくて地味。

2003年以降、ミニスカートが増え、

デザインも一気に凝って可愛くなるのね。

沖縄ならではの展示?県民栄誉賞の記念品、綺麗な飾りのついた指輪と、

長いスプーンに見えた方は琉球の伝統工芸品のかんざしだったわ。

(帰って調べたら、沖縄に1人しかいない金細工職人さんの

首里石嶺町にある工房で作られたんですって。なんて偶然!)

あの時の奈美恵さん、花束はともかく、記念品も流れ作業のように

お付きの人にすぐ渡してたわね……どこまでもクールね……。

Final Spaceで一番うれしかったのは、ディスコグラフィー展示でも重~いパンフでも

「TRY ME」とかのプレ小室時代曲がエイベックス時代曲たちと同等の処遇だったことよ。

公式ホームページではとうとう最後まで、空白歴史のままね……。

実は大阪会場のグッズ売り場では修羅場に遭遇したのよ。

若くないイカついデブが、

お前ら奈美恵をダシにして金もうけしとるくせに何じゃい!って、

ブチ切れた時の私より大声で怒鳴ってたの(グッズ売り場スタッフは別に儲けてないわよね)。

その横にはヒステリーのPTA会長みたいな口調でまくし立てる若めの家族連れの母親。

さらに十数人、一様に怒った顔でズラリ(蛭子能収のマンガみたいな光景)。

そして泣きじゃくる若い女性スタッフ。

あとでその子に訊いたら、その日の分のガチャガチャが終わっちゃって、みんな怒ってたんですって。

大阪では、ガチャガチャは別にいいわ、アタシ大人だし、って流したんだけど…

沖縄のグッズ売り場の超余裕っぽいガチャガチャを前にして…

5回分のお金払ったらなぜか

上限の10回分のコインくれたから10回回しちゃった…

私の周りの奈美恵ファンたちったら、

「Hero」とか「Just You and I」の缶バッジが当たって

ビミョーって言ってたけど、

10回もやったら大好きな

「Big Boys Cry」が当たってラッキー!

渋谷で5回やったら、

もっと大好きな『PLAY』が当たってうれピー!

 

会場を出たら、この一帯がライカムという地名で、それは

Ryukyu Command headquarters(琉球米軍司令部)の

略称って説明があったわ。

米軍による沖縄統治の本拠地があった場所ってことね。

なだらかに連なる丘の上。

沖縄会場になぜここが選ばれたのかは解らない。

那覇にいい場所がなかったのかもしれない。

プラザハウスも含め米軍に相当関係の深い場所であり、那覇からの1時間の道中、

普天間米軍基地や普天間宮を見ながら、

沖縄をリアルに感じながら来る場所…

本来、沖縄のファンのための開催で、

内地からはるばる飛んで来る物好きのために選んだ場所じゃないと思うけど、

華麗な経歴にふさわしい、東京や大阪、福岡のど真ん中のきらびやかな場所での開催だけでなく、

“自分に厳しい場所でもある”沖縄の、

深々とリアルに沖縄らしい場所での開催…

…帰りのバスから見えた海、それは宜野湾の海…「Tempest」を聴いたわ。

幻の20周年沖縄ライブで聴きたかったのに、

今回のFinal Spaceで初公開されたセットリストに……なかったわ……

 

那覇に戻り、琉球新報ビルで企画展<My Hero>を見たわ。

奈美恵の新聞記事の切り抜きが貼ってあって、手作り感が可愛いイベント。

大量の在庫ありの6/6奈美恵特集号を買って、

近くのタワーレコードでの奈美恵大プッシュも見て…

9/15~16の宜野湾イベントはオール落選でも、

Final Tour香港公演のアンコール前、

ある観客の呼びかけで会場みんなで歌った

“♫NE~VER E~ND NE~VER E~ND la~lalalalalala~la~la”が

目下の心の支え。