先日、火の鳥が飛ぶという神社で、火の鳥を目撃してきた。
火の鳥といえば手塚治虫の漫画「火の鳥」のような、
鳥をイメージするかもしれないが、
私がみた火の鳥はスズメのような短めの羽で
パタパタと忙しく羽を動かしながら飛ぶような鳥が多かった。
それは夜空の上空にオレンジ色に発光しながらとび、
火のように燃えながら飛んでいるようにみえた。
バカな私は眼鏡をもっていくのを忘れ、よくはみえなかったのだが、
周囲にいるたくさんのギャラリーがみな目撃し、
口々に「いたいた!」「あそこだ!」というようなかんじで、
まるで、流れ星鑑賞のようにどよめき、沸き立っていた。
確かにそれは、私を含むたくさんの人に目撃されていた、
平たくいえばそれは誰にでもみれる超常現象であった。
今日はそのときの話になる。
+ + +
今年の半ばくらいに、私はスピリチュアル好きの知人から、
そういう神社があるという話をきき、
機会があればたしかめに行こうと思っていた。
たまたま仕事がひと段落していたし、
東北方面に行く別の用事とあわせていくことができそうになり、
私としては、そうういうような道楽ともいえる目的で、
何年かぶりの遠出と出費をすることになった。
東京から新幹線や特急をのりつぎ3時間ちょっとかかって
最寄り駅のホームにおりると、
田んぼのさきの林の奥にその神社がみえた。
駅からくねくねした道をとぼとぼあるいて10分弱、
車で訪れる人もおおいのか、駐車場もひろい。
ホームページなどでどんな神社であるかをある程度知っていたものの、
実際に目の前にしてみると、自分が小人になったかのように感じる大きな建物と、
現代アートのような鳥居がこれでもかこれでもかというかんじに、
建ち並んでいるような印象だった。
神社というのは、古くなって、色もうすれているような古い木造の建物で、
木彫りの装飾なんかがほどこされていて、
金属の装飾もサビていたりハゲていたりくすんでいるくらいのほうが、
なじみがあるように思えていた。
しかしその神社は、どこもかしこもツルツルピカピカしていて、
神社テーマパークにいるような気分になった。
木造のものは賽銭箱くらいしかない、そんなようなかんじで、
大きなリカちゃんハウスの中にいるような、
不謹慎ながら、そんな気分になった。
+ + +
火の鳥が出没するのは深夜のため、
車できていない場合は終電もないし、路頭に迷う。
そういう人のために神社は宿泊の場を用意してくれているらしかった。
私が事前に知人からきいたか、または、だれかのブログでよんだかの情報では、
神社の宿泊はタダで、夕食も翌朝の朝食もタダ、ただし宿泊は雑魚寝、
というようなことだった。
神社のホームページをみたが、宿泊についての記述がみあたらず、
どんなものか、確かめることができなかった。
まあいいやとどうにかなればとでかけはしたのだが、
宿泊受付という看板と列があり、そこに並んだ。
すると、そこはどうやら予約済の人のなんらかの受付がメインのようだった。
しかし、当日受付というものも、あったような、なかったような、
そんな対応ではあった。
とにかくもう、雑魚寝はいっぱいになってしまって、
ロビーで一晩あかすことなら可能、毛布程度のものはでる、
といった状況であることが分かった。
それで、宿泊、夕食、翌朝の朝食、そして、札の祈祷のようなものがセットで、
5000円である、というような説明をうけた。
宿泊、夕食、翌朝の朝食はどうやら有料だったようだ。
そして、それらのことを当日受付で得るためには、
奥にある事務的な受付にいって手続きと支払いをする必要があった。
+ + +
そこでは、おそらく運わるく、
いわゆる不親切な市役所の職員のような中高年の男性が、
受付をしているところにあたってしまった。
私の順番がきたのに、その担当者は、
少しお待ちくださいとも何ともいわず、札束を数えていた。
対応はわかりにくく、とにかく冷たく威張った人だった。
神社で神に仕える仕事をしている人の中にも、
こういう人がいるのだなと思った。
もし、担当者の説明がもうすこし親切であれば、
もっと手早く手続きがすむだろうと思えた。
こちらが何も知らずきていることもどこかで分かりながら、
分かっていないことを見下し、
親切な判断をわざとせずに、こちらが困るだろう最大限の方法で、
まわりくどく手続きをすすめる、そんな雰囲気が漂っていた。
とにかく5000円を払って小さな用紙をもらった。
その用紙には3つのチェック欄がついていて、
札の祈祷のところはチェック済になっていた。
どうやら3つともチェックがはいらないと、
宿泊ができない、というようなことであるようだったのだが、
そこは、はっきりさせることができなかった。
それで2つめのチェックとして、
祈願をかく赤い大きなロウソクを買う必要があるようだった。
ロウソクは30cmほどの大きさのもので、
2本セット、願い事1つにつき2本を使うとのこと。
購入したロウソク2本には、油性マジックで同じ願い事を書くことになる。
その2本のロウソク、いくらするんだろうと不安になったが、
2000円だった、まぁ・・・いいかという範囲。
3つめのチェックは、奉納品、のようなものがかいてあった。
しかしすでに7000円も支払ったし、これ以上はいやだなと思った。
それで宿泊受付の場所にもどり受付の人にきくと、
それはマストではない、というような返答だったため、
チェック2つ分7000円でなんとか、ロビー宿泊の権利を得ることができた。
そこではあわせて食事をする場所や時間について地図をみせながら説明してくれた。
食事には引換券など必要かときいたところ、特にないとのことだった。
(一応かいておくが、こっちの説明担当の方は親切で感じがよかった。)
このような運営が毎年の常であるのなら、という話ではあるが、
おそらく、宿泊も、夕食も、翌朝の朝食もタダ、といっていた人は、
それらが有料であることを知らないまま、利用したのだろうと思われる。
+ + +
ロウソクを灯す場所は、祈祷や宿泊、食事などをするための、
たくさんの建物がある場所から、歩いて10分ほど坂道を上った別の場所のようだった。
私は夕方5時過ぎくらいについてしまっていて、
さっきのような、イライラする受付で時間をとられても尚、時間が余っていた。
ロウソクを灯すのは夜7時半からとのことで、
その前にそのロウソクを灯す場所にいってみることにした。
ロウソクの場所は山頂ときいてはいたが、
山頂へむかう舗装されたくねくねとした道は急な山道というわけでもなかった。
山頂につくと、再びツルツルピカピカした鳥居があった。
外壁工事中なのか足場をくんである大きな建物を左手に、
つらなる灯篭の間の坂道をあがると、
たしかに小高い丘なんだなという見晴らしのいい場所にでた。
道路のおくには左右にひろがるひろい駐車場があった。
右へまがってすこしいくと、ロウソクを列をなして並べるための、
コンクリートで作られたほそながいロウソク台が、
広い空間に整然とならんで広がっていた。
すでに赤いロウソクがそこにおかれはじめていたが、
火を灯すまでにはまだ時間があった。
様子を確認して、ヒマだなと思って、山を下った。
そこからどういう行動をしたかよく覚えていないのだが、
ヒマだなと思いながらブラブラして、
もう1回のぼっておりてきたくらいのときに、たしか、食事にむかった。
建物内を移動して、大きな食堂についた。
発泡スチロールのトレーに、
おからの和え物や、つけもの、魚の揚げ物、
切り干し大根の和え物、みそ汁といった、
和食をバイキング形式でいただくことができた。
白米も発泡スチロールの入れ物にはいって、
一膳分くらいのものをいただいた。
座敷の席にはいろんな人が集まっていたが、なにかににていた。
ああそうだと思ったのは、複合スパ施設の食堂だ。
この神社にはあと温泉施設があれば、まるで、
複合スパ施設だなと思った。
食事はありがたかったが、あまりすすまず、
白米はたべないまま、かばんにいれて持ち帰った。
+ + +
それでも時間があって、ブラブラして、
途中で露店がでていたことを思い出した。
焼きそば、おでん、たこ焼き、タイ焼き、りんご飴。
そうだ、たこ焼きをたべよう!
なんかしらないがすごくやる気がでた。
たこ焼きはおいしかった、すこし元気が出た。
そのたこ焼きのあたりであたりは暗くなっていた。
寒いときいていたがその日は東京と同じくらいで暖かく、
日が落ちても寒すぎるということはなかったし、
コートをきてロウソクをともす場所へいくための坂道を歩くと、
汗ばむくらいだった。
たこ焼きを食べた後、私はまた山をのぼってみることにした。
そろそろロウソクに火をつける時間になっていた。
ロウソクには願い事をかくのだが、ほかのロウソクを見て回ると、
「心願成就」と書くのがスタンダードなようではあった。
心に思う願いが成就するように、ということであれば、
いろんな願い事をこまごまかかなくても済む、ということなのだろう。
自分の名前や住所などをかいている人もいた。
それで私は何をかいたかといえば、
「国防強化」
たぶんいないと思う、ほかに。
+ + +
ロウソクは時間差で灯していくようで、
並べられたロウソクのなかには、設置されているけれど、
まだ点火されていないものがたくさんあった。
奥のほうのロウソクはすでにたくさん点火されていて、
そこからたちのぼる煙にロウソクのオレンジ色の光がうつって幻想的だった。
花火もときどき打ち上げられて、みることができた。
たしかそのあとまた山をおりて、下でプラプラしてから、多少空腹になり、
かばんにいれたごはんをたべた。
フリカケをもってくればよかったと思ったがどうしようもなかった。
建物のどこかで演芸がなされていて、演歌がきこえてきた。
野外の仮説テントであたたかいうどんやそばなどを買える場所もあった。
そこのうどんやそばの受注の威勢のいい声は、とてもすがすがしく、
正月の餅つきのこえのようなかんじだった。
そのあとまた、ロウソクの山へ登ったころには、
ずいぶん沢山のろうそくが点灯していた。
+ + +
山頂の駐車場前の道路周辺には人だかりができていた。
ここにきて、私は一度も、火の鳥の話をしている人をみかけなかった。
しかしこの人だかりはやはり火の鳥をみにきているのかもしれないなと思い、
何組かの人に話しかけてみることにした。
1組目は60代ほどの女性たち、火の鳥をみにきたとのことだった。
まえにここらへんからよくみえたときいたからここにいるとの説明だった。
あまり情報をもっていなさそうだと思われ、
少し話した後、お礼をいってそこをはなれた。
2組目はもうすこし道をロウソクコーナーのほうに歩いたところにいた家族。
お父さんと思われる人にきくと、去年もきてみたから、今年もきたとのこと。
森ビルの創設者かなにかのブログにも火の鳥のことがかかれているとのこと。
そんな話をしている最中に、木の上のあたりで2匹とんだのがみえたようだった。
その2匹を私はみることができなかった。
家族はお父さん、お母さん、そして娘、息子、それからおばあさん。
家族総出できているようだった。
お礼をいって、もうすこし移動してみることにした。
3組目は兵庫からきた若い女性3人組。
そこは正面がロウソクコーナーくらいの場所だった。
彼女たちによれば10時頃、一度とんだとのことだった。
火の鳥がとぶと、歓声があがるからわかるとのこと。
早く歓声があがらないものかと思った。
+ + +
周囲にはおりたたみのキャンプチェアにすわってまつ人や、
しきものと毛布をもって芝生で輪になっている人もいた。
さならが、流れ星をまつ人たちのような感じだ。
とくに神妙な雰囲気はなかった。
流れ星をまつ、というのに加えていえば、
映画「未知との遭遇」で、人々がなにかに導かれて、
UFOが下りてくる場所に集まってしまった様子ににているとも思えた。
そんなことを考えているときに、とうとう私は歓声をきき、
そして、親切なたくさんの人があっちあっちと指をさしている方向の先に、
火の鳥が飛んでいるのをみた。
眼鏡をわすれていたからよくわからない部分もあったが、
高速道路からみる、田舎の景色の中にある
大きな送電線の高さより高いところをとんでいるようにみえた。
そういう大きな送電線は、あとから調べると100Mほどの高さであるようだ。
そうすると150~200Mほどの高さを飛んでいたのかもしれない。
しかし、そのくらいの街中の電信柱よりもずっと高い場所をとんでいるとすれば、
もしスズメくらいのサイズだったら点にしかみえないのではなかろうか。
人々は口々に、スズメみたいな感じの鳥といっていたし、
私もスズメみたいな感じと思ったが、
羽ばたいている羽の様子が分かったということを考えると、
スズメみたいに羽ばたいてはいるが、実際のサイズは
スズメより大きくて、カラス以上なんじゃないかと、思える部分があった。
+ + +
神社では異なるいくつかの場所で、いくつかの神事が行われていたのだが、
午前0時に大事な神事があるようではあった。
私がはじめに火の鳥をみたのは11時半ごろだったのだが、
それから12時半にかけて、4~5回、目撃することができた。
歓声があがっていたがみれなかったものをいれると、
さらに2~3回とんでいたのだろうと思われる。
3匹がVの字でとんでいたり、1匹がゆっくりとんでいたり、
2匹がすばやく飛んでいたり、大きめと思われる1匹がとんでいたり。
ゆっくりとんだ大きめの1匹については、
まるで大きな花火がうちあがったときのような歓声と拍手がきこえた。
それらは大方、小鳥が羽ばたくように小刻みに羽ばたきながら、
飛ぶ方向は直線的なものの、ひょろひょろと左右にゆらめきながらとんでいく。
ロウソクの火が反射したものなのではないかといっている男性がいたが、
100Mの送電線より高いようなところにあるものに、地上のロウソクの光は反射しない。
火の鳥は、自らがろうそくの光と同じようなオレンジ色に発光し、
光を放ちながらとんでいた。
そして方向を確認すると、大方、どの火の鳥も北から南という、
一方向にむかって飛んでいた。
+ + +
もしそれらを写真なりビデオなりにおさめようとするなら、
スポーツ報道用の望遠鏡みたいな巨大なレンズを用意しないと、
火の鳥の形状まで写すことはできないだろうと思う。
私はロウソクの様子などを写真にとれればいいかなと思っていたため、
大した望遠レンズを持参していなかったし、
火の鳥がそんな上空を飛ぶと知っていたらなんとかしたのになと、
思う部分もあったのだが、一応、写真をとった。
小さすぎるが、右上が月、中央のうっすらとしたオレンジ色の、
消えそうな点が火の鳥、遠すぎて鳥の形もわからない。
神聖なものであるから写真をとってはいけない、
というようなものなのかもしれないが、カメラ持参の人は多かった。
さがせば誰かきちんと写した人もいるかもしれない。
+ + +
その祭りで火の鳥が飛ぶ、ということは、
私が確認した限りでは神社のウェブサイトには書かれていなかった。
どのくらい前から飛んでいたのか、調べていないが、
ながらく秘め事として知る人ぞ知ることとしてあったのかもしれない。
CGの技術がないころから飛んでいる、といった話もどこかでみかけた。
しかしそこに毎年居合わせているような人にとっては、
この現象は当たり前になっているようにも感じられた。
たまにスピリチュアル好きできただろう女性グループをみかけたが、
集まっている人たちがみなスピリチュアルに関心があるといった雰囲気でもなかった。
ごく普通の人たちが、めずらしいものの見物できているのが大半に感じられた。
去年より今年は人数がずっと増えた、といった声もあった。
しかし今回より人数がふえたら込み合いすぎて大変だろうなと思った。
それぞれみな、この現象をどのようにとらえているのだろうということに、
興味がいって仕方なかったが、
「不思議だ、なぜだろう」
という感想を共有するところにとどまる人が、
多いのではないかと、勝手ながら、思った。
スピリチュアルで商売を考えているような人たちにとっては、
これをみたことが、自分の商売の糧としたり、ネタとできそうだから、
儲けものと思っているかもしれない。
私はといえば、もうすこし踏み込んで考えていたのだが、
幸い、最後に話しかけた男性が、そういう話ができる人で、
いろんな話をすることができ、
もしかしたら不謹慎かもしれない考えのいろいろを、ああだこうだと整理しながら
ある程度、共感・共有できたことは幸いだった。
+ + +
火の鳥はたしかに飛んでいた。
火の鳥なんかとばないんじゃないの?
ロウソクの火の粉がそうみえただけなんじゃないの?
たまに飛んでる芯のカスに反射したものなんじゃないの?
そういうことではないことは、常に疑い深い私であっても、保証できる。
スピリチュアルでいわれるような、不思議現象の中で、
それが妄想や願望でしかないと思われたり、客観性・実証性が乏しすぎることについては、
知人友人のいうことであっても否という手厳しい私であっても、
火の鳥は物理現象としてたしかに飛んでいたということができる。
なぜならそこに居合わせた数百人はいただろうギャラリーもまた、目撃していたからだ。
それで問題に思うのは、なぜ飛ぶかということだ。
2つくらい可能性があるように思う。
1つは、その神社にまつわるなんらかの霊とか神が姿をあらわしている。
もう1つはUFOにのってるような宇宙存在がホログラムとして火の鳥を映し出している。
もし神社にまつわるなんらかの霊とか神の場合、
火の鳥はその神社の神秘性をたかめ、信者獲得に貢献したり、
信者ではなくとも日本人のなんらかの信仰心を守る役割を担うことになるのかと思う。
しかし意地悪い私はこの可能性よりもう1つのほうが気になる。
宇宙存在がみせるホログラム説だ。
例えばディズニーランドのホーンテッドマンションなんかでは、
すでにホログラムの技術が使われている。
最近のミュージシャンはホログラムを使った3D動画を
ライブでリアルタイムに映し出すこともあるようだ。
人間の世界でもすでに、ホログラムは使われている技術であるから、
もし空でそれをやるとすれば、
UFOかなんかを、地上からみえない加工をして、やっているのかもしれない。
でもそうであれば、なぜ、宇宙存在はそんなことをするのだろう。
日本という国の神社信仰が廃れないように、手助けしているのだろうか。
または、その神社が信者を集められるように、手助けしているのだろうか。
いやもしかしたらそんなようなありがたいことではなくて、
通常は目に見えない霊的な存在がいるかのように技術で演出し、
人間がおどろいたり、ありがたがる様子を笑いながらみているってことも、
あるかもしれないし、
宇宙存在がいるということにいつか気づくように願いながら、
ホログラムをみせてまっているのかもしれない。
+ + +
火の鳥は0時半をすぎたころには飛ばなくなった。
沢山あつまっていた人々も、それにあわせるように帰っていった。
ロウソクの火もだんだんと消え、まばらになっていった。
私は深夜1時半ごろまでそこにいて、人々の様子や、空や、
ロウソクの様子をみていた。
今年、私がみた範囲で火の鳥がとんだのは、
この写真の左から右にかけての上空で、方角としては北から南となる。
私がいたのはローソクの列をなす場所より車道側。
写真には映っていないが車道は水平方向に左右にのびていて、
この写真でいえば黒い空と地面の境目の水平線のあたり、
そのちょうどその中央くらいの位置付近に私はいた。
ロウソクの列の中ではロウソクの煙で空がみえにくいため、
火の鳥をみたい人たちは車道周辺に固まっていたのかと思う。
写真で距離を説明するのは難しいが、このアングルで火の鳥をみたとすれば、
左はじから右はじの距離を飛ぶくらい長距離のこともあれば、
半分くらいで消えたものもあれば、
中央くらいから現れて、画面をぬけて、さらに飛んでいったものもいた。
ろうそくの煙でみえにくいこともあったし、
空の雲でみえにくいこともあった。
去年も火の鳥がとんだようだが、一昨年は雨で飛ばなかったといった話もきいた。
去年はどちらの方向からどちらの方向にとんだのだろう。
気になるが確かめられなかった。
とにかく火の鳥は飛ばなくなってしまったし、いよいよ寒くなり、
ドンキホーテの歌に神社のなまえをあてはめて、
アタマの中でうたいながらロウソクの山を下った。
ツルツルピカピカした鳥居をみるたびに、
どうしてもドンキホーテが浮かんでしまった。
+ + +
寒いし眠たくなっていた私は、
毛布で眠れるということになっていたロビーへむかった。
すると、そこにはすでに毛布でくるまって就寝している人で、
埋め尽くされていた。
埋め尽くされるというか、もうすこし詰めれば人は入りそうだが、
互いの間をストレスなく歩けるスペースをあけつつ、
思い思いの場所で横たわっていた。
毛布はすでに使い尽くされていてのこっておらず、
どうやら床にそのまま座るか寝そべるしかなかった。
中には寝袋持参の人もいたのだが、
私もそうすればよかったなと思いつつ7000円のことを考えた。
床は固いし寒いしで、眠れたものではなかった。
もうすこし早くくるべきだったのだろう、
毛布を1人で2枚使っている人もいたがどうしようもない。
午前2時ごろからロビーのよこの大広間的な拝殿で、
なにやら神事がはじまった。
男性の神官のお経のような感じの祝詞や印象的な静かな歌が、
低くて落ち着いた声でひびき、ここちよかった。
ヒマすぎた私は近くへ行って正座して聞いていた。
みな眠っていて、それをみていたのは、私以外にもう1人くらいだった。
人のいないがらんとしたそこで響く音は、いいかんじだった。
高い天井には金色の菊のご紋が四方八方にしきつめられていた。
あまりにその数が多くて、靖国神社でみた菊のご紋のような、
荘厳さが失われている感じがして、すこし残念だった。
石油ストーブのそばにすわって、本をよんでしのぐことにした。
三島由紀夫の「仮面の告白」をもってきていて、
ここでよむには少し不謹慎だったなと反省した。
あたりが白みかけるころ始発でここをでるという中年の方が、
毛布を譲ってくれた。
「はやく気づけばよかった、気づいていたら半分づつでも使えたのに」
そんなやさしい言葉をかけていただいた、ありがたかった。
その毛布で少し眠り、7時ごろには神社をあとにした。
朝食はとらなかった。
+ + +
駅へむかう道で40代くらいの女性と道を共にした。
どうやって知ったか、どこから来たか、そんな話をしたのだが、
電車を待つ間と、電車で一緒だった間に、
多少、迷惑だったかと思うが、さらにいろんな話をした。
私がスピリチュアルで聞くような不思議現象の存在には肯定的だが、
信憑性についての仕分けが手厳しいといった話。
そうであるから火の鳥についてもいろいろ思うという話。
さっきの火の鳥を宇宙人がみせてる説であるとか、
そこから宇宙存在の話、ユダヤ陰謀論。
911自作自演説や311地震津波テロ説については、
彼女はまったく知らなかった。
日本での偏向報道の話、私がロウソクに「国防強化」とかいた話。
あとはスピリチュアル左翼の存在について話し、
最後のほうで、虎ノ門ニュースをすすめた。
きっと疲れさせただろうなと思う、
彼女は神社めぐりがすきでここへきたという人であったから。
+ + +
そんなこんなで私はそこから次の場所、山形へむかった。
山形で合流した人たちに火の鳥の話をしたが、おしなべてそれに関心がないようで、
話をもっとききたい、という雰囲気はゼロだった。
しかしその中の1人はこんなことを私にいった。
「その火の鳥をみると、なにかご利益がある?」
私は分からないと答えた。
もともとスピリチュアルななにかが
存在するということには肯定的である私にとっては、
火の鳥をみたからといって、それがスピリチュアル存在を信じる
きっかけになる、というような衝撃的なことでもなかった。
一昨年の夏だったか、スプーン曲げを目の前でみても、
そこから人生がなにか大きく変わったかといえば、
変わっていないのとそれは同じだ。
火の鳥をみたり、スプーン曲げをみたからといって、
その日から、どこへいっても火の鳥がみれるとか、
スプーンが曲げられるというわけでもない。
それらによって私の人生は、大きく変わるということはなく、
ただただ話のネタがふえたというくらいかと思う。
心が純粋だから火の鳥がみえたということにしたい人にとっては、
自分に箔をつけることに成功したってことになるかもしれないが。
ついでにいえば、私がみたがっているUFOなんかも、
そういうものかもしれない。
しかしUFOっていうのは一度みると縁ができて、
たびたびみれるようになるっていう話も聞く。
そうであっても1つ1つ、コツコツと、やるべきことをやる毎日を、
つづけるしかないのだろうなと思うばかりだ。
+ + +
山形では出羽三山の1つ、羽黒山へいった。
石の階段をのぼると次々と現れる、美しい滝や国宝の五重塔、
たくさんの木造の小さなお堂、樹齢の高い立派な木々、
山頂には荘厳な本殿や拝殿、歴史的な建物の数々。
羽黒山は2度目だが、とてもすがすがしかった。
スっとする場所、聖域、そんな場所だ。
そういう場所でスっとさせてもらうことで、
1つ1つ、コツコツと、やるべきことをやる毎日が、
しっかりとできるように思える。
火の鳥をみることができたのは嬉しいことだったが、私にとっては、
羽黒山を訪れることのほうが、感じたり、得たりするものが大きかった。
火の鳥の神社の名称はあえてかかなかったが、
「火の鳥」「神社」などのキーワードで検索すればでてくる。
火の鳥が飛ぶのは11月初旬、年に1回の火祭りのときのみとなる。
私は不謹慎でニブいからか、
火の鳥の神社からは神聖なものを感じることができなかった。
あえて感じるものがあったのは山頂にある古木の化石だけだった。
そこには静かで重たい磁力のようなものを感じた。
たくさんの建物や鳥居、そして火の鳥でさえも、
その古木の化石から気をそらすためのものであるように思えなくもなかった。
しかしそれもまたニブい私のいっていることであるから、
あまりあてにならない話の類だ。
心がきれいなほど火の鳥がみれるとかそういうような話をみかけることに、
なんか釈然としない部分があったり、
宿泊手続きの人の役人仕事ですっかりイヤになったとか、
ほかにも神職であるとか、神社内で働いていると思えないような、
乱暴な話し方、乱暴な動作をする人たちをみかけたこともあって、
あまりいい話をかくことができなかった。
しかしそういう私であっても火の鳥をみることができたということは、
やっぱり火の鳥はホログラムなんじゃないかと、思ってしまう。
どうなんだろうな。