いわゆる決算期の仕事が少し落ち着いてきた。私はこの決算期が一番大嫌いである。まぁ、もちろん仕事が通常より多いから、大変であることが要因ではあるが、一番の理由は評価があるからである。それは評価すること、評価されることである。評価というのは、資本主義には欠かせない要素ではあるが、その評価の基準の曖昧さにある。確かに売り上げなど、完全数値化できるものがあるが、例え売り上げがよくても真に優れているかと言えば、どうなんだろうと思う。実際優れているものが、売り上げに直接繋がるかと言えば、そうでないのが現実である。その可否は、流行であったり、ブランド力や宣伝も含めた企業戦略によって左右されているのが、現状である。まぁそれも含めた評価であると言えば、確かにそうなのではあるが。
しかし、私の仕事は数値化がかなり難しい分野である。つまり、結果がすぐに反映されず、されたとしても10年後や20年後に少しだけ現れるか現れないかというレベルである。
かといって、評価をしない訳にもいかず、現段階の評価はするが、あくまでも目安的なものであり、自信をもって、こうだとは絶対的なものとは違う。自己評価は、自分で言うのはなんだが、私の性格の傾向上かなりシビアなものであり、ある意味毎日、毎時間自己を振り返っているから、自信がある。しかし、上記のこともあり、他者を評価したり、評価されるのは、私の中で相容れないものとなっている。
その仕事もあと少し。我慢してがんばるしかない。しかし、勘違いしてもらっては困るので、言うが私は他者をできるだけ正確に理解するための客観的資料の収集には、かなり力を入れている。困るのは資料があればある程、多面的かつ多角的になるのでより複雑化、抽象化したものになってしまうのだが。それが資本主義であり、高度情報化社会であり、知識基盤社会の盲点として、社会問題になっているのも事実である。
少なくとも言えるのは、私はよりよく生きていくための力を付けていきたいと常日頃から、考えていることである。