生活指導運動実践史 6 | 「しょう」のブログ(2)

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 「生活指導」という言葉は戦前、綴方教師の峰地光重がはじめて用いたといわれますが、「生活そのもの(それを綴り意識すること)が子どもたちを成長させる」というイメージです。当面、「生活指導」や「生活綴方」を中心に書いていきたいと思います。

8、「学校差別」と久保田実践 



もちろん、そのように自己を肯定したいと切に願いながらも、「生きづらく」困難な状況の中で〈もがく〉場合というのは様々にありうる。ここでは、久保田武嗣(注1)の実践にでてくるS子の象徴的な言葉を紹介したい。

「私にとって城南高校とは、何だったのかを考えてみよう。中学時代から、それは、ひじょうに、印象の悪い学校であった。エンジ色のネクタイをしている人を見ると、『ねえ、あれ、城南高校』と言った具合に偏見の目で見ていたのだ。人間を人間として見ていなかったのだ。しかし、私は希望していた学校に落ち、考えてもみなかったこの学校に入ることになり、一挙に、その立場が逆転してしまった。その立場に立って、はじめて、その悲しみを知ったのである。高校が人生のすべてであると思い絶望して、この高校に通っていた。エンジ色のネクタイが嫌で、嫌で、何度、取って帰ったか分からない。どうして、こんなに目立つ色をしているのだろう。黒とか柑なら目立たないのに。この色は、世間に私は馬鹿ですと言っているようなものだ」。 

担任の久保田が、それまでの取り組みを振り返りながら色々S子と話をした後で、彼女が班ノートに書いた文章を手直ししたもの、それが卒業文集に残された次の文章である。 


「私にとって城南高校とは、心を鍛えてくれた場所だろうか。悲しみの中から人間とは何であるかを教えてくれた場所だろうか。何事も相手の立場に立って考えなければ、真の気持ちは分からないこと。友だちの大切さ、努力を惜しまずに前進するすばらしさ。相手を思う優しさ。プラス強さ。人間は1人の力で生きているのではないこと。人間は成績などで計りしれないこと。この学校であればこそ学べたことだ。(・・・)この学校を誇りに思って生きていけるだろう。そう、私にとって城南高校とは、人間のすばらしさを教えてくれ、心の翼をくれた場所。この翼を大きく、果てしなく広げていきたい。はばたく鳥のように」(注2)。S子は、この言葉を残して卒業していったのだという。


以上のように、S子は、自分自身の中で「他者に語れないままわだかまっていた体験」を言葉にすると同時に、「城南高校での自分自身と本気で向き合うこと」「そこで得られた体験の意味を真剣に振り返ること」で自分にとって「城南高校は心の翼をくれた場所」という言葉を発している。S子がこの「言葉」を発していくきっかけは、「三年時の進路指導」だった、という。久保田がS子と進路の話をしたところ、どうも話がおかしい。そこで思い切って「なぜ大学に行きたいんだ」と聞いたところ「城南高校を最終学歴から消したい」という本音を引き出す。久保田は「そのような考えを乗り越えるためにこそ、いままでさまざまなことに取り組み、価値のある体験をしてきたのではかったのか」とS子に迫る。そして、さまざまな話をした後で、S子自身も高校生活を本気で振り返りつつ発した言葉が、上記の言葉だったのだ。(注3)このような言葉を、つむぎだすことができた要因としては次のことが考えられる。


1、久保田がS子と真剣に向き合い、「自分自身の体験を振り返り、その価値を確認していくよう」強く迫ったこと。(S子と向き合い「対決」を行ったこと。)
2、S子自身が「赤点学級」(注4)や「学園祭」(注5)など、学級活動や行事を通して新たな人間関係をつくり、仲間への見方を変えることができたこと。すなわち「その価値を確信できるような豊かな体験」を得ていたこと、である。


このように、問題行動を起こさないS子も見えないところではげしくもがいていたわけであるが、「指導の難しい子どもたち」の多くは「いらいらする自分」「傷つき情けないと思っている自分」と、「誇りを持って生きたいと思っているもうひとりの自分」との間で激しくもがき、葛藤しているように思われる。そのような個人と向き合いながら久保田が行った一種の「対決」や、「豊かな体験を得るための舞台」を創っていく取り組みは、今もなお、われわれに多くの示唆を与えてくれるのではないだろうか。


注1:久保田の勤務校は上田西高校〔旧城南高校〕であったが、その長期にわたる学校づくり実践は高生研第38回大会紀要「私学における学校づくりと生活指導運動」で報告されている。

注2・3:久保田武嗣 講演記録(大阪私教連) 

注4:赤点学級は久保田が学級に呼びかけ組織した朝の学習会。勉強ができるS子は「小先生」になって数学を週間教えるが、その取り組みを通して「ただのガリ勉」だと思われていたS子に対する周りの見方が変わり、「いつも問題を起こす落第候補生」に対するS子の見方も大きく変わっていく。
注5:学園祭の一般公開決定を受けて城南高校生徒会は3000人の来校を目標とする。その中で久保田の学級は1割(300人)を引き受けようと決議。竹で作った玩具や作り方を展示することで子どもを集めようと取り組んだ結果、532人の来場者を得て感激する。