生活指導運動実践史 3 | 「しょう」のブログ(2)

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 「生活指導」という言葉は戦前、綴方教師の峰地光重がはじめて用いたといわれますが、「生活そのもの(それを綴り意識すること)が子どもたちを成長させる」というイメージです。当面、「生活指導」や「生活綴方」を中心に書いていきたいと思います。

3、戦後の生活指導運動に影響を与えた「集団主義教育」(注1)

さらに、戦後の生活指導運動が大きな影響を受けた、マカレンコの『教育詩』に登場する少年たちは、すべて法律違反の経験者として施設(コローニャ)に送られてきた個人である。マカレンコはその実践の中で、彼らが施設に送られてきた過去については一切問題にしていないが、そのような過去の中に「そうなってしまった何らかの背景」があったことは疑いない。『教育詩』で描かれているのは、「生きづらさ」や様々な問題を抱えた少年たちが「民主的な集団の自己教育力」を通して成長していく実践だったことにも注目すべきであろう。

そして、「喜びを組織する遊びと文化と自治活動」を統一的に発展させていった彼の「集団主義教育」は現代においてもしっかり受け継いでいけるものであると考える。(注2)

マカレンコの「集団主義教育」という言葉は「高生研の指標」からもはるか昔に消えてしまったが、大切なことは、言葉にまとわりつく悪い印象を払拭するためになし崩し的に用語を消し去ることではなく、その時代において大きな影響を与えた理由・歴史的な意義に学びつつ実践していくことであると思われる。

注1:ロシア革命後のウクライナにおいて未成年の法律違反者を収容した労働・自治の少年施設でかれらの再教育に取り組んだマカレンコが理論化した教育方法。

注2:『教育詩』(機関誌掲載の拙文を抜粋して内容紹介としたいが、あえて個人的体験に触れておくと、『教育詩』は「教員を辞めるか、それとも続けるか」、真剣に思い悩んだ私自身のその後の人生を左右するほど決定的な影響を受けた著書であった。

〔以下抜粋〕

彼らは農作業、演劇などを含むさまざまな「部隊ごとの活動」や、施設内での問題をテーマに「指揮官会議」そして、その上位の決定機関である「総会」で徹底議論しながら集団的実践をすすめていく。(・・・)

さて、マカレンコにとっても一番苦しい時期、コローニャは「笑いも喜びもない」ものにおちこんだという時期に、彼は何と軍事教練をはじめる。

「コロニストはこういうことには乗気になった。作業を終えてから毎日一時間か二時間ばかり、広い正方形の庭で全コローニャをあげて教練をおこなった。(…)子どもたちはこの遊びが大好きになり、まもなくわれわれの手にほんものの銃が与えられた。」①

意外にもこの「軍事教練」が発展して、コローニャの全メンバーが総会民主主義にもとづく集団を形成していくのである。実際、メンバー(コロニスト)はいくつもの「部隊」に編成され、部隊ごとに任命された指揮官が指揮官会議で農作業や演劇活動等の方針を議論・提起していく。(・・・)さらに、この集団は必要に応じて「混成部隊」といわれる臨時の作業部隊を次々に形成し、それが重要な役割を果たす。このような一定期間内の臨時作業の中で、「常設部隊」の指揮官はしばしば「混成部隊」の指揮官の指導を受けることになるのである。(・・・)(まさに対等平等でダイナミックな集団が形成された)。

しかしながら、組織はあっても動かない(動きを止めてしまう)集団は山ほど存在する。なぜ、コローニャという集団はこれほどまでに生き生きと活動し、個人を成長させることができたのか。(・・・)

コローニャが集団として生き生きと活動し続けたのは、そこに「喜びと展望」があったからである。マカレンによれば「けっこうな食事からも、サーカス見物からも、池の掃除からもはじめられる」が、コロニストたちが最高の「展望」である人格の価値に目を開いた大きな機会は、「ゴーリキーの夕べ」だったという。

「わたしはゴーリキーの生活と創作について子どもたちに語った。(…)数人の子どもが『少年時代』の一説を読んだ。」②「マクシム・ゴーリキーの生活はまるで私たちの生活の一部になった。彼の物語の部分部分は(…)人間の価値の尺度となった。」③

(…)「ゴーリキーの夕べ」は、人格の価値に目を開かせただけでなく、コローニャにおける集団活動の土台である「文化と遊び」を創り出していたとも考えられるのである。(・・・)

そして、そもそも、集団的活動の出発点になった軍事教練自体が「遊び」だったことにも注目すべきだろう。(・・・)以上のように、当初、展望の見えない現実に苦しみ悩み続けたマカレンコは、コロニストとともにそれを突き抜け、「喜びを組織する遊びと文化と自治活動」を統一的に発展させていく。活動的・前進的になればなるほど、一人ひとりが個性的に成長していく素晴らしい集団を形成していくのである。

〔①~③は『教育詩』からの引用〕