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本日YAHOOニュースで、卵子提供で産まれた方の記事↓を拝見し、ドナー経験者として

書いておこうとしたためました。

卵子を提供した側の日本人の話です。

長いのですが良かったら読んでください。


🥚🐣🐥ーーー


実は私は、25歳くらいの頃にハワイで卵子提供の提供者(ドナー)になったことがあります。

当時はダンサー等 芸能の仕事をしていたのと、お相手の方にも配慮し、公にしてこなかったのですが、


今日のYAHOO記事を読んで、ああ、本当に卵子提供で産まれた方がいらっしゃるんだなと

嬉しくて久々にブログを書きました。


実は私も、ドナーになったものの

もしかしてあれは、卵子でクローン人間を作る実験とかに使われてるんじゃないか?

臓器売買とかだったのか?と

ちょっと疑問に思ったこともあったので🥹💖←STARWARSの見すぎかもですがꉂ🤣𐤔


私の体験を書かせていただきましたので

もし良ければ、ご覧下さい🥹💖


元記事↓ 🌴私の話はこの記事の後🐣

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「両親は日本人なのに…私だけハーフ顔」 54歳で出産した母、〝出生の秘密〟を知った娘の思いとは(まいどなニュース)#Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/0e78db3d464550202f900a69e37b311b6422f5ed


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 私が25歳頃、2010年頃のことです。 

 たまたまラジオ番組、東京FMさんで卵子提供ドナーを募集していることを知りました。


その当時私は、結婚を考えてはいたものの、

実際社会人になってみると紆余曲折あり、

やっと広告モデル兼ダンサーとして芸能界に入ったばかりでもあり、好きなことでやっと仕事ができるようになってこれから、というタイミング。


まだ結婚も出産も現実的には遠そうだけれど、

いつかどこかに自分の子孫は残したいな、という気持ちをぼんやりと抱えていた頃。


 不妊で悩んで国境を超えて超高額な卵子提供を受けてでも子供を授かりたいと悩んでいる日本人がいるのかと、

まだ子供を持つのは遠い話だった私には衝撃でした。


 最初はドナー登録だけ、登録者が増えれば誰かの役に立つかな、選ばれるなんてめったにないでしょ、くらいの気軽な気持ちでドナー登録しました。


 登録には経歴や身長体重など外見、病歴のほか、趣味や特技、性格など細かく記入欄が。

 私のプロフィールを見て、選んでくれる人はいるのかな?と思いながら、当時のありのままを書きました。


ドナーの会社から連絡があったのは、 登録から半年~1年後。


卵子提供希望者からオファーがありました、ハワイで行うのでお1人で、約1ヶ月の滞在をお願いします、と

メールで連絡が来た時には、まさか本当に自分に来ると思っておらずすごくびっくり! 


当時、 自分もちょうど大切な人と出会って、色々な転機だったので1人で日本を離れるのは少し気がかりでしたが、スケジュールも調整でき、英語も得意だったので初めてのHawaiiにウキウキでした。 


 卵子提供のためには、提供する側の私と、卵子を受け取る側のお母様のホルモンバランスを整え、上手く卵子が着床できるタイミングに合わせて卵子を成長させなければいけません。


 そのため私は、出発前から何度か指定の産婦人科(当時は東京)に行き、卵巣の検査と、ピルの服用を開始。

卵子の状態を見ながら2〜3ヶ月ほどの排卵調整を経て、HAWAIIへ渡航。


HAWAIIに到着後は週に何度か指定の病院に行き、

検査と、確か卵子を成長させるためだったと思いますが、注射を処方されました。


病院での注射💉ではなく、薬のように渡されて持ち帰って自分で打つスタイル。


病院でのやりとりは全て英語でしたし、海外で初めての場所で、

初めて自分で注射!?海外ってこうなの!?🙀と驚愕でしたが、


1日に数回、決まった時間に、お腹のたしか卵巣あたりに注射せねばならず、


昼間に散歩中に注射の時間になったときは、大手のホテルのトイレをお借りして、こっそりセルフ注射💉✨


ヤク中とか怪しい人と思われたらどうしよう🙀とヒヤヒヤしたのを覚えています🥹


(もちろん注射器は持ち帰りました、危ないので🙆‍♂️)


HAWAII行ってすぐの頃は、サーフィンやフラの体験、観光をしたりと楽しめていました。

(その頃は芸能事務所にいたこと、お相手様の事など諸々の事情を考慮しSNSには卵子提供のこと一切載せず、家族にも伝えずごく僅かな身内にしか伝えていなかったので、楽しいHAWAII〜とバカンスのようにしか書いていませんが、実際は使えるお金も身体も考慮してかなり慎ましく生活していました😂)


実際は、HAWAIIに滞在し10日ほど経つと、

処置のせいか、段々と身体に変化を感じ始め、


身体がだるくて重い、一日中眠くて、食事の買い出しに行くのがやっと。


幸い吐き気はありませんでしたが、

妊婦さんってこんな感じなのかなぁ?と思いながら、部屋でぼーっとすごすことも多くなり、


できることもないので絵を描いたり、1日1回は散歩に出ようと決めて夕日や海を眺めたりして、身体に気を使って安静に過ごしていました。


その点はHAWAIIを選んでくださったお陰✨

大変感謝しています。

(私の登録したところはアメリカ本土の施術もあるようでした)


HAWAIIなので街中はハッピーなムードで溢れているし、どこを見ても綺麗で癒されるし、


滞在したコンドミニアムの案内スタッフさんは陽気だし、街中で出会った素敵なご老人や日本人留学生とお友達になれたり🎶

(このご老人が神様のような不思議なおじいちゃんだったので、その話もいつか書きますね✨

いつもどこからともなく現れて、危ない人から守ってくれたりとてもスピリチュアルな体験をしました✨)


みんなが手をつなぎ

はしゃいでキスするような街で、

1人でいるのはちょっと淋しい時もあったけれど、


ビーチでまーるい水平線に、夕日が沈むのを見ていると、遠くの家族や友達とも同じ地球にいること、同じ太陽が巡るのを感じられて、愛や平和、これから生まれてくる命の幸せを祈ったり🙏

急な雨のあとの虹🌈を、知らない人と笑顔で眺

めてほほえみあったり☺

そうしていると、Happyな観光客や恋人たちの笑顔も自分事に思えてきて☺


HAWAIIも出雲大社があると知って、バスに乗って向かい、お守りを買って、私を選んでくださったご夫婦の幸せと生まれてくる命の無事、HAWAIIに神社を作った日本人のことを考えたりしながら、


ゆったりのんびりとその時を待つことができました。


滞在後期になると、見てわかるくらいに卵巣がパンパンになってきて、お腹も心なしか張っている感じですっかり妊婦気分✨🤰


卵子摘出の日は、朝から病院に行き、

寝台に乗って、診察を受けると、

先生が注射器を私のお腹の卵巣あたりをめがけて💉ぶっ刺し、卵子を摘出。


たしか麻酔とかはなかったし、痛みもそんなにはなかったかな?思ったよりあっさりだったけど、手を握っていて励ましてくれたおばちゃんナース👩‍⚕️の笑顔を凄く覚えてる。


14〜17個くらい取れた、元気でいい卵子が取れたよ、と言われたかな?


その時は、知らなかったので

わー、本当に卵子が🥹✨そんなにいっぱい採るの?まぁいっか、生理で出ていっちゃう事を思えばむしろありがたい✨行ってらっしゃい☺✨


くらいにしか思っていなかったのですが、


たぶんほぼ同じタイミングで、ご夫婦はHAWAII入りし、卵子を着床させるための施術を行ったのだと聞いています。


後から別の方に聞いたのですが、卵子提供は必ずしも成功するわけではなく、自分の卵子だったとしても 顕微鏡受精などで一度取り出し体外から子宮に戻すと、生理反応で排出されて失敗に至ることも多いんだとか。それだけでも何十万と費用はかかる。(10年以上前の話ですが)精神的・肉体的な負担はもちろんのこと。


私が、ドナーの会社マネージャーさんから言われたことは、

不妊治療において、

卵子提供は、ほぼ最後の砦。

希望されるご夫婦は、不妊の検査から始まり、国内でタイミング療法や体外受精など、ありとあらゆる手段を使ってもダメで、それでもどうしても、となって意を決して卵子提供となる事が多い。

そこに至るまでの労力、気力、経済的にも精神的にも、、、人によっては何年も悩んで悩んで、挑戦と失敗を繰り返して最後の望みで来る人が多い。

そのチャレンジに協力している。

それだけは心に留めておいてね、と。



40才になった今、やっと身に沁みてその意味が分かったけれど、

そのご夫婦は、HAWAIIに至るまで、そしてその後もどんなに辛い現実と葛藤の中、どれほどの想いで過ごされてきたことでしょう。


本当に、幸せを祈るばかりです😭


私自身、現在40歳で、現時点では子供を持つことをようやくあきらめ、その分自分が使える時間とエネルギーで、できることをしよう、と切り替えることがやっとできたところです。


自分の子供を持つことは当たり前の未来予想図だったので、30代の頃は結婚・出産が思うようにできない葛藤で、本当に本当に苦しみました。


特に、2人の妹や親友の結婚出産を心から祝えなかったとき。どうしても祝うより先に、胸が痛くなるほど黒い気持ちに支配され、その感情を表す言葉は未だ見つけられていません。


自分の黒さに、思い通りにいかない悔しさに、周りは幸せになってゆくのに、何で自分だけがこんな辛い思いをしなければいけないのか?

なぜ大切な人の幸せを心から喜べないのか?


お祝いの言葉や気持ちより先にそれを考えてしまう自分にもショックで、


実際に大親友が先に結婚の報告をしてくれたとき、

すっごく嬉しいけど、本当はわたしも結婚したいのになかなかできなくてちょっとつらい、


というようなことを正直に伝えたら、


1番の仲良しだと思ったから伝えたのに、

1番に祝ってもらえなくてショック


と言われてしばらく距離を置かれてしまい。


その後も周りの出産ラッシュの中、

大切な人がいるのにレイプされ、

ショックでパートナーと別れ、誰にも本当のことを言えずに本当に辛くて、

ネットも連絡もほぼ絶って誰も知り合いのいないオーストラリアに移住してみたり、逃げ惑った果てに、精神病院に2度入院。


結婚、離婚、流産を経験。


大好きだった仕事も行けなくなり、

大好きだった音楽もダンスも辛くなり、

やっと見つけた安心できる居場所にも住めなくなり、どんどん周りが離れていく、離されていく。


そんな感覚で過ごした時期、最初の入院から7年かかって双極性障害と認定、ボロボロの30代を送りました。


しかし、どん底の時期に廃人となり認知症の徘徊老人のようになってしまった後、文字も言葉も自分がどこで何をしているかもよくわからなくなり、拒食、過食、水中毒、パニック発作で倒れたり失踪したりを繰り返していましたが、当時の旦那が良かれと、子犬を飼ったところから焦点が合うようになってきて✨


赤ちゃんが段々と、成長するように記憶を取り戻す過程で、不思議と歌を作れるようになり✨


また現在も一緒にいる素敵な同性パートナーとの出会いにも恵まれて、40才になった今は、

本当に心からやりたかった、ミュージシャン、踊り子、YOGA講師、占いなどができるようになり、大切な地元群馬と、仲間がいる湘南を行き来しながら、


元気いっぱい楽しく幸せに活動しています😊


先述の親友や家族も、皆家庭や状況が落ち着いて、あの頃はお互いに余裕がなかったんだね、と言えるくらい円満になり☺

心から幸せと言える日々を送っています☺



長くなってしまいましたが、

私の提供した

当時のドナーの子が産まれていれば今頃は

13歳、中1くらいでしょうか。


当事者同士の情報交換はNGで、わたしの卵子はどんな方に渡ったのか、無事生まれたのか、

男の子女の子どっちで今どこに住んでいるの

か、健康なのか。


何ひとつ知ることはできないけれど🥹


「優しくて仲の良い年上のご夫婦」

「Hawaiiで卵子提供に至るまで本当に苦労しお金もかけて、ほぼ最終手段という卵子提供まで至った方々だから、それなりの経済力と覚悟、信念があるご夫婦だから大丈夫」


と、コーディネーターさんに言われたことを信じ✨

とはいえ名前もわからないので

私の中では勝手に、ドナーで産まれた子のあだ名を

Lioくん♂︎(よく見上げるオリオン座から)、

と呼んで、光の子✨と思っていて😊


流産した子はぴょんちゃん♀、と呼んで、

音の子✨として大切に想っています😊


血が繋がっていても会えない 、世界中どこにいるかも分からないけれど、


いつも空に海に、

ステージではライトや音に。

この世界どこかで幸せにしていることを願って🙏


幸せでいて欲しい、という願いを

大好きな

歌や舞いにすれば届くかもしれない。


そうしてこの世界ぜんぶを幸せにできれば


きっとどこかで、笑ってくれると信じて😊


今の活動の原動力にしています😊



長い長い突然のご報告でしたが、

目を通して頂けてたら幸いです🫶


色んな子供、色んな人生、様々にストーリーはあるけれど✨


今辛い方も、頑張っている方も、きっと

闇の中にこそ光はあると信じて🥹✨


この世界にいる私が、生きてそれを証明してみせる✨☺


また、共感や応援をしてくださる方、

いつも本当にありがとうございます☺


皆様の力が後押しとなって、一緒に世界中を平和で幸せにしていければ


きっとどこにいても大丈夫🙆‍♂️


現在の私の活動は

ホームページよりSNSにて

更新していきますので

ぜひ応援のほど、宜しくおねがいします☺

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