◆◇◆◇◆
銅蔵が死んでから、藤花の団は少し形を変えていた。
葉月の姉代わりだった静は、銅蔵が死ぬ数日前に──光助と葉月が夫婦となったのを見届けたすぐ後に藤花を出ており、死んだことを告げたときはひどく動揺していた。
心配して戻ってこようとした彼女を、葉月は追い返し、それ以来、会ってはいない。手紙のやりとり程度だ。
腐れ縁の一人である七郎も、結婚を境に藤花から離れ、もしもの時の援護隊として山の麓の村に移り住んだ。
逆に、ヤスと名乗る少年が、藤花に入ってきた。
幼い頃に親を失い、ひもじさから田畑の野菜を盗って食ったところをとっ捕まり殺され掛けていたのだという。
怒りで我を忘れた畑の主達を持ち前のおちゃらけた話術で宥め、その少年を忍が拾ってきたのだ。
このヤスという少年がなかなか面白くて。
女が自分のお頭になるなんて嫌だ!なんて言いながら葉月に決闘を申し込んで、こてんぱんにされると、今度は光助に向かってきたのだ。
自分より弱い男にお頭の右腕は任せられない!と。
仕方なしに相手をすることになった光助は、十近く歳の違う少年相手に一切の手を抜かず拳を振るった。
十とちょっとの歳にしては、なかなかの腕であった。
だが所詮子供は子供。
葉月との戦い方で大体の動きは読めていたし、そもそも、だ。
こちらとて銅蔵を相手に、"負けなかった"男だ。
体力、場数、体格…負ける要素はどこにもなかった。
圧倒的な戦力差を見せつけると、ころりと態度を変え、子犬のようにこちらを慕い始めるのだ。
子供故の単純さ。
けれど、思い通りにいかず頑張り続けることに疲れ切っていた光助や葉月には、その単純さが有り難かった。
疑いを持たずに話すことの出来る、たいせつな家族の一人になった。
慌ただしく巡る日々の中で、山を下りては七郎の家に入り浸り散らかして帰ったり、土佐組の竜のところに行ってはくだんねぇことで悩むなと不安を笑い飛ばしてもらったり。
誰かの背中を追いかけ続けていたから、どこを目指せばいいのか、何が正解なのか解らなくなったりして。
それでも隣には葉月が居て、見回せば忍もヤスも、信じて付いてきてくれた仲間たちも、みんなが居て。
そうしているうちに、二年という年月が経っていたのだ。
団を忍たちに任せて葉月と街に出掛けに行くことも増えた。
いつもは頭領として──本人は若頭と名乗り続けているが──凛とした態度を取っている葉月の、へにゃりとした気の抜けた表情は、光助のなにもかもを幸せにしてくれて。
そんな中、忍と、ヤスと、ずっと藤花の団で葉月に好意を寄せ続けている文男というおっさんが、光助と葉月の挙式をしようと言ってくれたのだ。
銅蔵の一件があってから、ずっと先延ばしにしてきたのだ。
正直そんなものなくても愛し合っていける自信はあったし、山賊として生きている自分たちのはあまり意味のないことではあったのだが、女たちの圧倒的な賛成意見に圧され、執り行うことになったのだ。
何でも、東の山に変わり者の神主がいる神社があるらしく、そこなら立場も行いも関係なく式を挙げさせてくれるとか。
せっかく式を挙げれるなら、藤の花が咲く頃が良いな。なんて言ったら、異様なほど盛り上がってしまい、こちらが呆れるほどの夢を描くのだ。
神主にお願いしてくる!と意気揚々と山を下りていった三人は、だが一人しか戻ることはなかった。
ただ一人、ヤスだけが戻ってきた。
まだ幼さを覗かせる表情を痛みに歪ませ、血塗れの身体と虚ろな瞳は、誰が見ても彼の最期を悟らせた。
そして、彼は言う。
「文男の兄貴は、死にました」
喉から漏れる息がヤスの言葉を掠らせ、その場の全員が一音も聞き逃すまいと呼吸を殺す。
「忍兄さんは、奴らに捕らえられてます」
聞きたくなくて耳を塞ぎたかった。
この先の展開なんて、容易に想像できる。
北東の塔に捉えられているという、親友の末路が。
宣戦布告をし、山狩りを…山賊狩りを始めようとしている奴らがいったいどこの誰なのか。
次第に弱々しくなってくる声で、彼は涙を流し、それでも伝えなくてはいけない言葉を吐ききると…葉月の手を掴む。そして、
「…もっと、生きたかったなぁ…」
そう呟いた彼は、悔しそうに幼い顔を歪め、死んでいった。
死ぬ間際、泣きながら、こんなクソみたいな世界をまだ生きたかったと…そう言いながら。
ああ、まただ。
また、目の前で大切な人が死んでいく。
また自分は、何も出来ずにそれを見送るしかないのか。
出来ることなら忍を助けに行きたい。
だがその先には罠が仕掛けられているのが目に見えている。
もし自分が逆の立場でも、同じように人質を使い相手の戦力を分断させるだろう。
なら、自分たちはどうするべきなのだろうか。
ヤスの身体を抱きしめただひたすら"痛み"を耐えている葉月の背中。僅かだが、震えているように見える。
いつかは死ぬ。こんな生き方をしているなら尚更。
何度も仲間の死を目の当たりにして、そうやって言い聞かせるように目をそらして傷つかないようにしてきたのに。
どうすれば彼女を、仲間たちを、守れる?
光助は拳を握りしめ、考え、今すべき最善を、選択していく。
彼女と、忍と、藤花の団のために何をするべきなのか。
…と、彼女が険しい顔でこちらを振り返り、光助の名を紡ぐ。
「ああ、わかってる」
そんな彼女の声に光助は頷き、自分を落ち着かせるために大きく深呼吸をする。そしてその場にいる面々を見回して、今すべき最善を、
「これより待避を始める。今日中には移動を開始するぞ!各隊長は伝達と準備!」
はっきりとした声で叫んだ。
「逃げるって言うんですか!?」
だが光助の吐き出した"逃げの一手"に、男たちが詰め寄り、掴み掛かってくる。
言いたいことはわかる。
立ち上がる葉月を横目に、光助は怒りに満ちた彼らの瞳を真っ直ぐに受け止める。
「逃げる?馬鹿言うな。俺達は山賊だぞ?武装した連中とマトモに斬り合って勝つ気でいるのか?」
「じゃあこのまま忍兄さんの事は諦めろって言うんですか!?兄さん達の敵討ちもしないで!?」
わかってる。
でも、今弔い合戦をすれば、犠牲は増える一方だ。
声を僅かに震わせ、次第に涙を溜める彼ら。
唇を噛みしめ、光助を睨みつけてくる。
ああもう、こんな事をしている場合ではないのに。
「あのな、もうちょっと俺の話を…」
「あたし、無能は嫌いなの」
一旦落ち着かせるため諭す言葉を口にした光助は、けれど掴み掛かる腕を掴み捻り上げる葉月の声に続きを遮られた。
しん、と全員が口を噤む。
「犠牲を増やさないために一時待避って言っているの。それとも、女子供も一緒に戦わせるつもりかしら?」
こういうときの葉月の言葉は重い。
彼女の言う通り藤花の団には、女子供が多い。
そうじゃなくとも、自分のように、戦闘を不得手とする者もいるのだ。
「相手の人数も分からないのに、思考も無しに攻め込むのは無能そのものよ。…あたしや光助の言いたいことの意味、わかる?」
葉月は掴んでいた手を離せば、彼に静かに問い掛ける。
ふんわりしてて何も考えていないような少女とは思えない、はっきりとした言葉。
この団を統べる者として、本当に成長したな、とこんな時なのに思ってしまう。それくらい、力強い瞳。
「安心しな。俺達だって、忍を見捨てる気はねーよ」
光助はまだ胸中を渦巻いているであろう不安を汲み取り、肩をすくめた。
「少人数で部隊組んで救出に…」
「あたし一人で忍のところに行くわ」
だが葉月は二振りの刀を手に取り、真っ直ぐに、こちらを見つめる。
その瞳は、揺るがない。
「は!?おま、何言ってんだよ。葉月が居なくちゃこの戦場は…」
「待避するだけなら、あたしの必要はないと思うの。それよりも、何人も戦闘要員を忍のところに向かわせるのは、ええっと、人が…勿体ない?」
言いたいことは分かるが、だってそんな。
光助は自分の中にある感情を上手いこと説明しようと口を開閉させ、しかし正論すぎて打破できない理性的な提案に頭をがしがしをかき回す。
こういう、感情論を含まない葉月の意見は、正しいのだ。
最善だけを選び、だからこそ…側に居たいとか、居ないと不安だ。なんて、情けないことが言えなくなってしまう。
「それが一番効率いいのは分かるけどよー…俺らの若頭を一人で行かせるわけにはいかねーだろうが」
「でも、何人も人を割けるほど…」
精一杯の抵抗も、彼女の言葉の前では無意味だ。
一人唸り声を零し、それから彼女の華奢な身体を抱きしめた。
「いいか、絶対に無茶はするなよ。それと、日が昇るまでには帰ってこい」
腹を括るしかない。
光助は覚悟を決め、葉月の匂いを胸一杯に吸い込む。
大丈夫、彼女は強い。
きっと忍と一緒に、いつも通りの笑顔で戻ってきてくれるはずだ。
葉月を、信じるしかないのだ。
「あたしが戻ってくるまで、生きて。あたしは…忍のお馬鹿さんを連れて、戻ってくるから」
彼女はこちらを見上げ微笑み、それから荷を確認すれば塔がある方向へ目を向けた。北東。光助もつられて目を向ける。
…一歩離れ、頭を下げた。
「…若様、御武運を」
「ええ、行ってくるわ」
光助の言葉に仲間たちも頭を下げ、葉月は歌うように返事をすればくるりと背を向ける。
僅かに重心を下げ、そのまま地面を強く蹴った華奢な肢体は一気に飛び上がり、今度は木を足場に強く蹴り出せばさらに上へ。
一瞬で見えなくなる、愛おしい人。
光助は馬鹿みたいに同じ顔をして空を…葉月が消えていった方向を見上げている彼らに苦笑いを浮かべると、深く息を吸う。
「ボサっとすんな!各隊に分かれて行動を開始しろ!上手いこと逃げ切れよ!」
「女たちに、伝えてきます!」
「頼む、俺も後から追いかける」
光助は、我に返ったのか緊張した顔で頷く彼らに片手を上げ、足下に横たわる少年に目を向けた。
「…ヤス…」
何をするのも真っ直ぐで、全然、山賊なんて向いてない…良い奴だったのに。
まだ成長しきっていないその身体は──死体特有の──…酷く重く冷たい。傷だらけで、赤黒く淀んだ肌と異常な形に盛り上がった骨。
こんなになってでも、よく戻ってきてくれた。
きっとすごく痛かっただろうに、よく知らせに戻ってきてくれた。
光助は彼の身体を見下ろしながら、肩をすくめた。
「悪いが、地獄で待っててくれ。んで、他の奴がそっちに行きそうになったら…追い返しておいてくれ」
こんなこと、信頼できる奴にしか頼めないことだからな。
光助は唇を噛み、きちんと埋葬してやれないことを心の中で詫びながら、顔を上げる。
自分の隊に所属する、四人。
「幹夫と辰巳は、忍とヤスの隊のところに行ってくれ。落ち合う場所は分かるな?」
「応よ」
「任せろ」
「吉さんと与作は、俺と一緒に頼む。何が起きてるのか、偵察に行く」
「ああ」
「了解です」
たった一言で光助が言いたいことを理解してくれる、有能な部下たち。
光助はヤスの身体を茂みに隠すと、吉助と与作に目配せをし、静かに地面を蹴った。
彼らは立場上光助に仕える形にはなっているが、実際の所光助なんかより全然強い上に、吉助に至っては十近く年上だ。与作も、年は一つ下だが体は光助より一回り大きい。
いざという時は、二人だけでもやっていけるだろう。
だがそうならないためにも…まずは何が起きているのかを把握し、現状を乗り切る。
そして全員揃って、葉月を迎えるのだ。
隠密で培った無駄のない動きで高く飛び上がり、音も立てず木の上を移動していく。もうすぐ山道に出るはずだ。
光助は風の中に紛れる音を聞き逃さないように感覚を研ぎ澄ましながら、視界の端で光った何かに瞳を釣られ──不安定な木の上でブレーキを掛けた。何事かと吉助と与作も動きを止める。
「目を凝らせ…鳴子だ。罠が仕掛けられてるぞ」
「鳴子ぉ?そんなもん、いったい誰が…」
「決まってるだろ。俺たちを狩ろうとしている連中だ。山から出さないつもりか?」
光助は目を凝らし糸の出所を慎重に見極めながら再び動き出せば、不自然に立ち止まっている数人の男の姿に息を殺す。
風に乗る会話に耳を澄ませれば、眉を寄せた。
「光助…」
「ああ、わかってる」
「貴族たちが、手を組んで…」
「連合軍ってか?冗談キツいぜ」
冗談ならどれだけ良いか。
聞こえてきた会話は、複数の貴族が藤花の団を潰すために手を組み、ゴロツキや傭兵など腕に覚えのある者を雇って仕掛けているという…たった一つの山賊団を潰すためとは思えない規模で。
分かってる。
自分たちが貴族や金持ちばかりを狙っていたからだ。
自分のような隠密が、相手の懐に入って裏切っていくから。
唇を噛み、拳を強く握り、目の前が真っ暗になるような吐き気をただひたすらに耐える。
「…光助さん…」
「…行こう。ここで戦闘になるのは避けたい。もっと敵のことを探るぞ」
奴らの策を、人数を、戦力を。
自分たちがどう動けば奴らを追い返し、どう動けば…最低限の犠牲で事を終わらせることが出来るのか。
どうすれば、またみんなで笑って過ごす日々を取り戻せるのか。
考えるのだ。
ここには葉月も、忍も、七郎も…銅蔵だって居ないのだ。
再び木の上を移動しながら、光助はぐるぐる、ぐるぐる、思考を巡らせる。
戦力にならない自分がやるべき事。
葉月が帰ってきたとき、無事に…笑って迎え入れるのだ。
まだ日は高い。
自分たちに有利な時間がくるまでは、かなりの時間がある。
木漏れ日すら、今は鬱陶しい。
「ある程度等間隔に兵を配置してるみたいだな。気付かれずにどこか一ヶ所でも穴を開けられれば、出し抜く足掛かりに…」
と、何度目かの見張りの存在に吉助が考えながら呟き、
「でもそれじゃあ、見張り同士の定期報告みたいなのがあったときに面倒ですよ。交代の時とか、合い言葉みたいのもあるでしょうし」
それに対し与作が難しそうに眉間にしわを寄せ言葉を返す。
「だが見張りの交代までここで待つって訳にはいかねぇだろ。運勝負ってのは俺も好きではないが、こればっかりは急がねぇと…」
そう。
急がなくてはいけない。
自分たちが住み着いたこの山は、ぐるりと川が囲むように麓の村まで流れている。
渡れないほど大きな川ではないが、状況が状況だ。ちんたら渡っていられるほどの余裕はない。
奴らに完全に取り囲まれる前に、山を下り、体制を整え、自分たちの家に土足で踏み込む無礼者たちを追い払うのだ。
勝手なのはお互い様。
何とかして先手を打たなくては。
光助は少し上がった息を整えながら、何か方法はないかと思考を巡らせ、正解を探し、二人組の見張りの男の顔をじっと見つめる。
二人とも体格が良く、引き締まった体はひと目で武術の心得があるだろうと思わせるほどだ。
小綺麗な顔をしているところから見ると、彼らは貴族が雇ったというゴロツキとは違うようだ。
つまり、彼らは金持ち連中の衛兵。
「…狙うなら、こいつらか…」
山道を囲う彼らの司令塔になっている可能性は高い。
ここを落とせば、多少の時間を、もしかしたら綻びを作ることも出来るかもしれない。
「やろう。ここを落として、道をこじ開けるぞ」
「がってん!」
「…やるからには、加減はしませんよ」
「ああ、一気に片を付けよう」
視線を交わし、呼吸を合わせ、二人が音もなく──彼らの目の前に降り立つ。間合いに半歩分踏み込んだ、危険な距離。
「なっ!!!」
驚き、目を見開いた男二人。与作の躊躇のない一閃が喉元を裂き、紡ごうとしていた声が消えていく。
「おっとお前は動くなよ。それとも一緒に死にたいか?」
崩れ落ちる片方の姿に帯刀していた獲物に手を掛けるも、吉助が獣のような眼光で睨め付けるとぴたりと動きが止まる。
良い反応だ。
だが、だからこそ、この男は自分たちみたいな悪党に利用されるのだ。
「質問は三つ。
今回の山賊狩り…首謀者は誰だ?」
光助は木の上から彼らを見下ろしながら、静かに、問う。
「その言い方、気にくわないな。まるでこちらが悪いことをしているみたいじゃないか」
「主観の違いだ。次に無駄口を叩いたなら、殺す」
こんな状況にあっても、奴の意志は折れることはない。大した男だ。
油断はするなと自らに言い聞かせ、言えとド突く吉助に目を向ける。
手加減はしているが、決して相手を気遣う力加減ではない。痛みに耐えれる、ギリギリを知っているのだ。
「例えこの命散ろうとも、我が主を売ることなど、あり得ない。木の上から、仲間たちが死んでいくのを見ていればいい」
ゆらり、と体を傾かせながら男は吉助に向かって唾を吐き、薄く、嗤った。
怒鳴り声を上げ、今にも殴りかかろうと拳を握る吉助。
なんだ?
だが光助は、その異質な笑みに言葉に言い表しようのない不安を感じ、眉を寄せながら意識をもっと広い範囲に向け…目を見開いた。
「与作その男から離れろっ!!!」
「は…?」
ぽかん、と驚いた顔でこちらを見上げ、数瞬後に与作は吉助と男から距離を取り、
「馬鹿そっちじゃない!!!」
怒鳴りながら光助は木を蹴り与作に手を伸ばしていた。
何がなんだか分からない、といった表情の与作。
そんな彼の足下で…首をかっ裂かれたはずの男が、いつの間にか握っていた短刀を振るった。
「っ!!」
弱々しく振るわれた刃は、与作のふくらはぎを斬り、しかしそこで力尽きたのかカランと金属音が響く。
「いって…まだ生きてたのかよ…」
傷は深くはないのか、痛みに顔を歪めながらも与作は何でもないように言い、必死な光助に肩をすくめる。
「大袈裟ですよ、問題ないです」
心配しすぎですよ、なんて笑う与作を見つめ、光助は拭い去れない胸の不安にぐるりと辺りを見渡す。
なんだ?
この違和感は、どこから来るものだ?
光助は訝しげにこちらを見てくる二人の視線を無視し、思考を巡らせ、地面に転がったままの短刀に、瞳を止める。
僅かに血が付着した刃。
その刃に…なにか、油のようなモノがてらてら鈍く光って。
最初、ソレが何なのか、分からなかった。
だが隣に立っていた与作の体が不自然に揺らめき、「あ、あれ…?」という小さな声と共に崩れていけばハッと息を飲んだ。
「毒っ!?」
与作を振り返ったときには時すでに遅し。
傷口は赤紫に変色し、血の気の引いた顔と虚ろな瞳は"その時"を告げていた。
すなわち…──最期の刻を。
「光助、さん…お、れ…」
「まてっ、しっかりしろ!駄目だ、死ぬな与作!!」
しゃがみ込み肩を強く掴む。
何が起きているのか分からないと言うような戸惑った表情で、与作は空を仰いだ。その瞳には涙が溜まり、彼は何かを紡ごうと口を開く。
しかしぴたりと動きを止めたかと思えば、そのまま全身の筋肉を弛緩させていき。
「おい…与作…?与作、おまえ、ばか…なんか言えよ、おいって!!」
乱暴に肩を揺さぶれば、開いたままの両の目から涙が零れ、頭を殴られたかのような鈍痛とめまいが光助の意識を混濁させる。
与作が死んだ?
目の前で、さっきまで普通に笑っていたのに?
当たり前のように、そこに居た奴が、目の前に横たわる彼が、もう目を覚まして喋って笑って一緒に何かをすることが出来ない?
意味が、解らなかった。
「おい…光助…与作は、どうした」
けれど、現実は何も変わらない。
震える吉助の声。
光助の体が邪魔で、何が起きているのか見えてはいないはずだ。
だが彼は馬鹿じゃない。
理解しているはずだ。
「何か言えよ光助っ!!!」
唇を噛みしめ、現実に、堪える。
逃げ出せない現実を、痛みで繋ぎ止める。
立ち上がり、吉助を振り返り、光助は口を開く。
「ははは、こんなに即効性の毒だったなんて、主様は、とんでもないお人だ。はは、これも優しさか」
しかしそれより早く聞こえてきた言葉に、一瞬で頭が真っ白になる。
気が付けば大きく足を踏み出し、拳を握り、男の頬を振り抜いていた。
咄嗟に手を離した吉助の後方へ飛んでいった男は、笑いながらふらりと立ち上がり、柄に手を掛けると抜刀する。
「てめぇ、やる気かよ…」
その姿に吉助も自らの獲物に手を掛け…煌めく白銀の刃が白い喉をかっ裂く様子を呆然と見送っていた。
男が自らの刀で自害するその姿を。
「お前…!!」
ごぼ、と息と共に血を零し、仰向けに倒れた男はにやりと笑う。そして不自然に体を震わせ、そののまま痙攣を繰り返し…やがて動きを止める。
地面に赤黒い液体が広がり、吸い込まれていく。
「…悪ぃ…堪えらんなかった…」
光助は、痛む拳を強く握り締め…俯いた。
殴るべきではなかった。
拷問して、もっと情報を聞き出すべきだったのだ。
なのに、我慢が出来なかった。
結果、何の情報も聞き出せないまま死なせてしまった。
「…俺だったら殺してたわ」
そんな光助の肩にぽんと手を置いた吉助は、しゃがみ込み、開かれたままの与作の瞳を閉じてやれば大きく息を吐いた。
「光助」
「…なんだ?」
「与作が死んだこと、無駄にしねぇぞ。早くみんなに知らせるんだ。毒のことも、囲まれてることも、全部伝えて、てめぇが完璧な作戦立てろ」
「吉さんは?」
「俺は、こいつを奥に隠してから合流する。それまで、死ぬんじゃねーぞ」
行け。
強い光を灯すその瞳が、真っ直ぐにこちらを見、頷く。
「…分かった。あんまり遅ぇと置いてくからな」
「おう」
「与作のこと、頼むな」
「任せとけって。おらさっさと行け、若姫様に悲しい顔させる気か」
「るせー」
光助は吉助に背を向け、助走を付け近くの木に飛び乗ると、強く唇を噛む。
もう会えないかもしれない。
それでも、行かなくては。
藤花の団の一人として、誇り高く、一度決めた決意を貫き通すのだ。
それにもし戦闘になったとしたら、自分はただの足手まとい。一緒にいない方が、吉助の生存率は上がるはずだ。
なにより…この奇襲、不可解点が多すぎる。
忍もヤスも、文男だって、それなりに腕は立つ。
よっぽどの奇襲を仕掛けない限り、三人をどうにかするなんて無理だ。
山道をぐるりと、しかも完璧なまでに藤花の住処を囲うように人員を配置させるなんて、不可能と言っていい。
けれど実際に、奴らはそれをやっている。
考えたくもないが、藤花の中に──それも親しい者の中に、間者がいる可能性が高い。
もしくは、銅蔵が…頭領が殺された際葉月には従えないと抜けた奴らか。
どちらにせよ、これ以上先手を打たれるわけにはいかない。
木の枝を移動しながら、光助は先に逃げた仲間たちを追う。
避難場所はいくつか在る。
とりあえず一番近い岩場の窪みに…
辺りを慎重に観察しながら強く枝を蹴り、木漏れ日に目を細める。
こうしてると、今まさに山賊狩りが行われようとしているなんて、誰が思おうか。
何もない平和な、いつもの光景。
いや、違う。
くん、と鼻を鳴らし、僅かに漂ってくる鉄臭い匂いに焦りが胸に広がる。
何か起きているのだ。
敵か味方か、どちらが血を流したのかは分からないが、戦闘になったのは事実。
さっきの男たちが使った毒が使われた可能性は十分にある。
敵にしろ味方にしろ、きっと誰かしら死んだのだ。正直胸糞悪い。
山賊として悪事を働いている以上、いつ誰に恨まれたっておかしくないのは理解しているし、人を殺めたことだって一度や二度じゃない。
でも、嫌なものは嫌だ。
光助は足を止め、静かに息を吐く。
太い木の枝の上、意識を遠くまで広げていく。薄く、広く、遠くまで。
きっと近くに、仲間たちがいるはずだ。
感情を鎮め雑念を振り払いながら意識を広げていき、僅かに空気を震わせる振動に瞳を開く。
音までは聞こえないが、怒号のような、不規則な揺らぎ。
「…こっちか」
光助は一人呟けば再び駆け出し慎重に振動の中心点へと距離を積めれば、広がる惨劇に息が詰まりそうになる。
敵も味方も関係なく…人の形をしたモノが、転がっていた。
その中で、ひとり、その場に立ち尽くしている男。
「…良太」
その男の名を、光助は静かに呼ぶ。
ぴくり、と肩が動き、ゆっくりとした動きでこちらを見上げると、
「光助…さん…?」
小さく名前を呼んだ。
「おう」
虚ろな瞳が光助の姿を捉え、彼の手から刀が落ちる。ガシャンと音が響けば、彼はその場にしゃがみ込み両の手で顔を隠し小さく声を漏らした。
「ああ…ひとりじゃない…」
血塗れになったその顔には、穏やかな──安堵の表情。
「俺、独りで死んでいくのだけは、絶対ヤだったんですよね…」
真っ赤に染まった着物。
返り血だけではない。腹部をえぐる傷が、生々しく、また痛々しい。
「すみま、せん…俺、みんなに…恩、返し…したかったん、です、けど…」
明らかに助からない出血の量。
毒も回っているだろう。
傍らに膝を付き、その傷に唇を噛みしめる。
それでも彼は、言葉を紡ぐ。
「こうすけ、さん…お、れ…」
良太は顔を上げ、口を開き…息を飲む。そのまま良太の手がこちらに伸ばされ、光助は背後の気配に振り返った。
刀を振り上げ、今にも斬り掛からんとする狂気に満ちた瞳と数瞬見つめ合う。──まずい。
咄嗟に懐に仕舞われたソレに手を伸ばし…しかし体がくんっ、と引っ張られれば後ろ手を地面に付き、背後から飛び出した良太の影に目を見開いた。
斬、と刀が良太の体を切り裂き、彼はそのままその場に倒れ込む。
声一つ、出なかった。
倒れた良太の向こう側に、良太によって刀を突き立てられ絶命している男の姿。
「はは…ざまぁ、みろ…」
うつ伏せに倒れ込んだまま力なく笑った良太は、ゆっくりと体を弛緩させていく。
「バカ野郎…」
ようやく呟けた言葉。
消えゆく灯火を前に、それしか言えなかった。
尻餅を付いたような体制で、仲間の死をただ見つめて。
なんて愚かなんだ。
なんて無様なんだ。
何でこんなに自分は、無力なんだ。
もう何度目かも分からない自問自答と後悔。
光助は立ち上がり、良太や、他の仲間たちを見下ろせば、息を吸う。
「俺は前に進むぞ。お前らの死を、踏み越えて」
血生臭い空気を、彼らの生きていた証を、肺一杯に飲み込む。
今ここで立ち止まるわけにはいかない。
まだ、折れるわけにはいかないのだ。
再び走り出した光助は、他の仲間たちと合流するために幾つか在る集合場所を巡り、しかしことごとく潰されている様子に苛立ちが募る。
途中、争った形跡も幾つか見かけた。
やはり、身内の中に内通者が、裏切り者がいるのだ。
そうでなかったとしたら、先回りして合流地点を潰したり、住処であるこの山を潜んで逃げる仲間たちに何度も遭遇出来るわけがない。
もちろん、生存者がいなかったわけじゃない。
危険を冒しながらも川を渡り山から離れたという連絡もあった。
襲い来る奴らを何とか追い払い、逃げ隠れてた者も多い。
だが想定より圧倒的に少ない。
何より、忍とヤスの隊の所に行った幹夫と辰巳、それに戦えない女たちの姿が見つからない。
無事に逃げられてるのならいいのだが、そんな楽観的な状況ではない。
人数が人数だ。
全員で移動をしようとしたなら、行ける場所は限られている。
光助は川沿いから方向転換をし、山を少し登ったところに在る洞穴を目指す。
女子供が目指すとしたら、そこしかない。
光助は木から降り、辺りを警戒しながらも木々を抜けて山を登る。
よく見れば、無数の足跡と獣道のように僅かに開けた道が続いている。
この先に、誰かがいる証拠だ。
急かす心を抑え、一歩一歩確実に斜面を登る。
息が上がり、少しだけ、注意が散漫になるのが分かる。
しっかりしなければと言い聞かせ、似たような景色を見送りながらようやく見えてきた洞穴。
誰か居る。
一瞬疲れが消え、思わず頬を緩めながら坂を駆け上がり…
音もなく現れた気配がダンっ、と後頭部を押さえつけ、地面に押し倒され組み敷かれてしまう。ざわり、と背中を恐怖が駆け上がる。
「馬鹿が」
訳も分からず目の前に突きつけられた『死』の予感に目を見開き、しかし降ってくる声に、動きを止めた。
「…吉さん…?」
「おう。少し遅くなっちまった」
こちらが落ち着いたのを確認してか、ゆっくりと力を抜いていった声の主は、数時間前別れた自分の部下、吉助だった。
あのときの言葉通り、追い付いてきたのだ。
「仲間が生きてるかもっていくら嬉しくてもな、そのまま突っ込む馬鹿がどこにいる。散漫になってんじゃねーのか?」
吉助に言われ、ハッとなる。
気を付けていたつもりだったが、彼の言う通り注意が足りなかったようだ。
「まあ?あそこにいるのはミッちゃんだし、問題はないんだけどよ」
「ちょ…俺を殴った意味ないじゃんかよ」
「まぁな。それより、状況は?」
起き上がり、服に付いた土を払う。と、自分の着物が酷く汚れていることに気付き、肩をすくめた。
「最悪に近いよ。毒の件を伝えようにも、かなりの人数がやられてる。思ってた以上に…追い詰められてる」
「やっぱりな…こっちも、ろくに生存者に会えやしねぇ。こりゃあ、マジでやばいぜ」
何でもないように吉助は言うが、その表情からは悔しさが滲み出ている。恐らく彼もまた…与作以外の仲間達の死を見送ってきたのだ。
それでもこうやって再会できたのだから、まだ諦めるわけにはいかない。まだ、立ち止まるわけにはいかないのだ。
「とりあえず、女たちを何とか逃がす方法を考えよう。あとちょっとで日が暮れる。そしたら、反撃開始だ」
光助が低く紡いだ言葉に、吉助も"悪い"顔で嗤う。
「よし、ならまずは…腹ごしらえだな。お前も、なにも食ってないんだろ?」
ああ、そういえば。
朝適当に果実を食って、それっきりだ。
緊張と疲労で気付かなかったが、思い出してしまったが最後、空腹が酷い。のども渇いている。
茂みから顔を出し、辺りを警戒しているミッちゃんに手を振れば、光助は吉助と共に洞穴に足を踏み入れた。
例え此処の存在が奴らに知られていたとしても、そう簡単には攻められまい。
中は暗く、天井が低い。
入り口こそ今にも崩れそうだが、中の地盤は固く、火薬を積まれたところでそうそう崩れることもないだろう。籠城に適した場所である。
安心できるほど何か状況が変わったわけではないが、ひとりじゃないだけで、心強い。
迎え入れてくれる女たちのほころんだ顔に笑みを返しながら、光助はひとりで戦っているであろう彼女へと、思いを馳せる。
どうか、無事でいてくれ。
ただそれだけを、願う。
後編②へ続く…