※こちらのお話は後編②の続きとなっております。ご注意下さい。
──夢は所詮夢。
だが悪夢は現実のままだった。
本当はもう少し早い時間に攻め込みたかったのだが、焦って葉月の体調が完全でないうちに挑むのは賢明ではないと判断したのだ。
そして連中が本陣を構えて居るであろう…光助が銅蔵に戦いを挑んだ場所まで戻ってきた。
つい数時間前…裏切りに遭い、殺し合った場所。
死体はそのまま転がっていた。
どうやらあの戦いは気付かれていないらしい。
だがその方が好都合だ。
気付かれていないのなら、奇襲を仕掛けられる。
それに幸か不幸か、今にも雨が降りそうな空。
こちら側に有利な状況を作れるかもしれない。
光助の提案に、しかし彼女は首を横に振り、自身の胸に手を当て、
「藤花の団、鉄の掟。誇り高き名を名乗り、正々堂々と盗め」
はっきりと、紡ぐ。
真っ直ぐにこちらを見つめるその姿に、なんだか自分が恥ずかしくなる。
どこにいたって、たとえ藤花の団が無くなったとしたって、彼女は藤花なのだ。誇り高く、気高い。
「…わぁったよ。けど、死んじまったら意味がない。それだけは、誓ってくれ」
そんな彼女に、今も昔も憧れていた。
妬むくらい、羨ましいと思った。
真っ直ぐに生きる彼女のように、自分もなれるだろうか。
菊川という一族の罪を告げようかと思った。
言えばきっと、彼女はわかったと受け入れてくれるだろう。
だが、なにも変わらない。
原因を知ってところで、現状が変わるわけではない。
光助は唇を噛み、それから口を開く。
「葉月。今回、藤花に恨みのあるヨソの山賊も参加してるって話だ。首を取っても、気は抜くなよ」
「ヨソの山賊…土佐組の竜さんは、大丈夫かな…」
光助の言葉に僅かに表情を曇らせた葉月。
土佐組の頭領とは今もまだ交流は続いている。
公に交流しているわけでもないし、個人的に、仲良くしているだけだ。
けどまぁ…
「あそこは守備固めに向いてる。あのおっさんのことだ、それくらいの危険は想定内だろう。それに…確認に行くことは出来ない」
助けを求めれば、彼らとの関係を知られることになる。
もっと言えば、自分たちの仲間を守るために見捨てられたっておかしくない。
そんな決断を、竜にさせたくはない。
…と、葉月が身を低くし、息を殺す。
「…行こう。戦い、終わらせる」
「ああ。頼むぞ、葉月」
葉月が刀に手をかけ、再び、歩き出した。
息が詰まりそうな空気。
この戦いを終わらせるのだ。
全てを彼女に背負わせるつもりはない。
湿った香りを身にまといながら、地面を蹴り駆け出した葉月を横目に気配を消す。
目を凝らし、奥に立つ男の顔をじっ、と見つめ…その堂々とした佇まいとこんな状況にも臆することのない表情に、一度目を閉じた。
良かった。
自分の知っている人だ。
菊川の屋敷に仕える、良識のある──面識のある人間だ。
気付かれないように地に伏せ、背後を取れる位置まで移動するために慎重に慎重を重ね地を這う。
途中甲高い金属音が何度も響くが、決して顔を上げることはしなかった。
葉月が簡単にやられることはない。
断言しても良い。
だが、ただ彼らに勝つだけではこの戦いは終わらない。
戦う彼女を、ただ見つめているわけにはいかないのだ。
大将の男の後ろまで回り込み、ゆっくりと身体を起こし、そのときが来るのをじっと待つ。
くるくると踊るように刀を振るう少女の姿は、酷く美しく、その動きに目が離せなくなる。文字通り、釘付け。
そしてそれは、自分だけじゃない。
光助は手を伸ばしながら息をゆっくりと吸い、
「動くな」
低く、言葉を紡ぐ。
手に握るは、菊川の家紋の刻まれた懐刀。
「…光助…?」
びっくりしたような葉月の声を無視し、大将の喉元に突きつけた刃に意識を向ける。
どんな些細な動きも見逃すわけにはいかない。
僅かな油断が、命取りになる。
「…お久しぶりです、倫太郎おじさん」
そして、呟く。
その言葉にぴくりと肩を揺らした大将の男──篠崎倫太郎は、僅かにこちらを振り返った。
「光助…坊ちゃん…なのですか…?」
「坊ちゃんなんて歳じゃないよ、もう二十二だ」
倫太郎が声を震わせ、その声に肩をすくめた。
幼い頃…まだ屋敷にいた頃、勉学を教えてくれたり、常識や作法を教えてくれた。風呂に一緒に入ったり、雪合戦したときもあった。
もしかしたら、実父よりも長い時間を接していたかもしれない。
「坊ちゃんは…いくつになっても、坊ちゃんです」
そんな光助の想いを感じ取ってなのか、疑うことなく、彼は慈しむように紡いだ。
これなら、これ以上無駄に命を散らせる事を防げるかもしれない。
光助はあくまで刃を突きつけたまま、口を開く。
「もうこれ以上誰も死なせたくない。頼む、こんな戦い…」
終わらせよう。
そう言葉を吐き出そうとし、だが不自然なほど自然に歩み寄ってくる男の姿に思わず意識を向ける。
なんだ?と眉を寄せ、そのすぐあと葉月が男に向けて刀を振り上げた。
敵だ。
光助が理解できたのはそれだけ。
葉月の刀より数瞬早くこちらの間合いに踏み込んだ男は、体当たりをするように倫太郎の腹に刃を突き刺し、さらに力を込めてきて。
やばいと思った。
よろめく倫太郎を支えていては、一緒に貫かれる。
光助は一緒になって後退りながら、葉月が刀を振り下ろしたタイミングに合わせ地面を転がり距離を取る。
さらに葉月が小刀を投げつけ自分と男の間に身体を滑り込ませれば、光助は男を睨みつける。
「藤花の団参謀…菊川光助…その首、俺が貰い受ける…」
しかし狂気の笑みを浮かべながら男が刀を構え、その身のこなしに眉を寄せた。
この男…どこかで…
思考を巡らせ、記憶と照らし合わせ、光助は目を見開いた。
「お前、あの時の糞野郎かっ!!」
刹那、光助は叫んでいた。
葉月の腕を掴み、こみ上げてくる怒りに意識が遠のくほどなにも考えられなくなった。
四年前のあの日──なにも知らぬ葉月を襲い、光助が決死の思いで追い払った、啄木鳥という山賊団の男。
また自分は、この男に全てを奪われようとしているというのか。
大切なもの、全てを。
「──っ!!!」
すぐ隣で、引き攣った悲鳴が上がり、硬直し、異常なほど見開かれた瞳がそこにはあって。
また、彼女を苦しめようというのか。
そんな事…させない!
「飲まれんな葉月!!!」
強く腕を引き、倫太郎の腹から引き抜き振り上げられた刀を、持っていた懐刀で受ける。
重い一撃。
武器を使った戦闘は、自分でも意味が分からないほど下手くそだ。
だが、それでも。
「もう誰にも、葉月は触らせねぇ!!!」
歯を食いしばり、押し切られまいと競り合いながら、光助は男を睨みつける。
もうこれ以上、この男に好き勝手やられるつもりはない。
過去の産物は、ここで消えるべきだ。
それに自分は…──自分たちは、あの頃とは違う。
「葉月は俺の女で、藤花の若頭だ。てめぇ如きが気安く話しかけてんじゃねーよ」
無知で無力だったあの頃とは、違うのだ。
「さようなら」
光助の背中越し。
葉月が、刀を振り下ろした。
「ぐぁっ!」
肩口を抉る一振りは、誰が見たって致命傷で、ふらふらと後退する姿に少しずつ距離を取る。
油断はしない。
完全に間合いが外れるまで様子を見つめ、足下でかすれた声が聞こえれば目を向けた。こちらを見上げる、倫太郎の鈍い瞳。
「これが、貴方様の出した、答え、ですか…」
死を目前にして、彼は静かに呟いた。
これ…ね。
光助は、肩をすくめた。
「理解してもらえるなんて思ってはないよ。けど、後悔はしていない」
自分が屋敷にいた頃は、毎日楽しいことばかりで…遊びも勉学も、料理や洗濯の手伝いだって、なんだって、光助には興味深い事だった。
何一つ、苦労のない日々だ。
そんな平穏を捨てて、山賊として生きる。
こんな滑稽な話はない。それくらい光助にだってわかってる。
光助は倫太郎に向け微笑み、傍らにしゃがみ込む。
こんな形になってしまったが、ようやく自分の口から伝えることが出来た。
一緒になってしゃがみ込み倫太郎のために祈ろうとしてくれる最愛の人との未来を、ようやく。
懐刀を仕舞い、目を閉じた光助は、不意に葉月が動く気配に顔を上げ──背中を走る衝撃に、前へとつんのめる。
なんだ?
そう呟こうと口を開き、しかし零れ落ちた呻き声と共に焼けるような強烈な痛みに襲われ息が出来なくなる。
一瞬で身体が制御できなくなり、見開いた視界の端に映る血に塗れた白銀が自分の体の中に消えていけば再び痛みが襲う。今度は痛みを掻き回す、強烈で陰湿な痛み。
意識が飛びそうな痛みに為す術もなく、歯を食いしばり呻くしかなかった。
「はは、ははははは!!!」
そんな光助の意識に、突如として響き渡る嗤い声。
耳障りな、嗤い声。
ああ、葉月を守らなくては。
光助は痛みを堪え、うっすらと目を開く。
ぼやける視界には、こちらを見つめ、光助の頬に手を伸ばす彼女の姿。
今にも泣きそうな──感情を吐き出せないでいる、小さな女の子。
ほら、また。
不甲斐ない自分が、嫌になる。
こんな表情を、させたくないのに。
光助は葉月の頬に手を伸ばし、上手くできているかわからないけど、微笑んでみせる。
「泣かないでくれ、葉月」
そんな顔しないでくれ。
俺のために、そんな顔しないでくれ。
光助は体制を整え、泣いてなんかいないと意地を張る彼女のすぐ側に小瓶が落ちていることに気付く。
解毒効果のある、特製薬。
「つーか、傷口に指突っ込んじゃだめだろ。めっちゃ痛ぇ」
おそらく…傷を掻き混ぜるあの痛みは、そういうことだ。
光助は痛みに震えそうな声を必死に押さえ、不意に視界に入る男の姿に眉を寄せた。
今度こそ、殺すべきだ。
もう二度と…この男に邪魔されたくない。
だが光助や葉月が動くより早く──とん、と男の胸に刀が突き刺さった。
まさかと視線を彼に…倫太郎に向ければ、体を起こし虚ろな瞳で光助を見つめ…力なくその場に倒れ込んだ。
開かれたままの瞳。
光助は、唇を噛みしめた。
意識の遠くで、醜い笑い声が聞こえる。
まだ生きているのか。
ああでも、だめだ。
もう、動けそうにない。
終わったのね、と小さく呟く声も、水の中で聞いているみたいだ。
動かしづらい身体と、雲の隙間から射し込む光。
長い戦いが、終わったのだ。
日にちにすれば、ほんの一日程度の。
彼女が光助から離れ、勝利の咆哮を上げる。
藤花の団を統べる者としての、やらなくてはいけないこと。
そんな様子を見て、成長したな。なんて、思ったりして。
血塗れの地面から見上げた俯く彼女の後ろ姿。髪の隙間から覗いた口元は、淋しげに弧を描いていた。
「…葉月」
光助は、愛しい名を呼ぶ。
傷口を布で押さえ、笑う。
「ここに居たって、仕様がねぇし、少し…休もうぜ。俺も、ちゃんと血止めしないと」
もう片方の手を伸ばせば、華奢な手が触れ、苦しそうに、辛そうに、表情を歪ませる。
ふわりと風が吹けば、どこからか藤の花の匂いがする。
いつか二人で見に行こうという他愛のない約束が、今になって蘇ってくる。
葉月に身体を預けながら、光助は目を細めた。
襲い来る強烈な眠気に抗いながら、ぼんやりと、天を仰いだ。
これが、自分たちが守ろうとしていた世界か。
血痕を残さないように細心の注意を払いながら、二人きりの時間を多く過ごした秘密基地へと逃げ延びた光助は、しかし強烈な眠気に耐えられず、意識を失った。
なにか夢を見ていたような気もするが、なにも思い出せない。
ゆっくりと目を開け、薄暗い岩穴の中葉月の泣き腫らした顔に覗き込まれればもう一度、瞬きをする。
じんじんと鼓動と共に痛みが広がり、霞んだ視界で彼女がまた、涙を零す。
けれどその涙を拭い、葉月は静かな声で、楽しげに言う。
これから二人、どうしようか。
遠く離れた地で暮らす静に会いに行くのも良いね。
それともどこか知らない場所で暮らす?
逃げ延びた子たちを捜して、またイチから始めるのもきっと楽しいわ。
少し辛そうに、でも楽しげに未来を描く少女。
当たり前のように、彼女の未来には自分が居て。
不自然なまでに自然な彼女の微笑みに、こっちまで幸せな気持ちになる。
幸せな…本当に、幸せすぎて困るくらい、愛おしい…
「なぁ葉月」
「なぁに?」
光助は相槌を打つのを止め、
「今、寒いか?」
そう、問い掛けた。
「…?ううん、平気。でももうすぐお日様沈むから、火を焚かないとかな」
少し不思議そうに彼女は答え、外を見ようとしているのか僅かに身体が離れる。
「じゃあ、まだ、明るい?」
「……空、橙色…だよ?」
薄暗い秘密基地の中。
光助は橙色だという世界を見ようと起きあがろうとするも、ぴくりともしない身体に自嘲じみた笑みを浮かべた。
「あ〜、そっかぁ…夕焼けか〜…」
自分の身体のことは、自分が一番わかっているのだ。
リミットが迫ってきていることは、自分が、一番…
「…こーすけ…?」
自分の名を呼ぶ彼女の声が、微かに震えていた。
葉月に名前を呼ばれるのが好きだった。
彼女の声で名を紡がれると、自分が此処にいて、彼女が自分を求めてくれていて、自分だけを見てくれている。そんな錯覚に酔えるのだ。
「光助っ!!」
なのに、そんな辛そうな声で呼ばれても、全然嬉しくない。
光助は深く息を吐き、
「ああ、くそ、こんな簡単に、終わっちまうのかよ…」
どうしようもない結末に唇を噛みしめた。
恐る恐る触れてくる手は温かく、そっと握り返せば光助にすがりつくように葉月が表情を歪ませる。
「光助、あたし、どうすればいい?どうすれば、光助、元気になる?」
こんな状態でも、自分と共に生きる未来を信じてくれるのか。
こんなにも…絶対的な別れが、迫ってきているというのに。
絶対的な、死が。
「葉月、よく、聞け」
光助は唇を動かし、葉月に伝えなくてはならない言葉を、吐き出す。
きっと、どうすればいいのか、考えているであろう彼女に。
これから彼女がどうすればいいのかという、最期の。
息を吸い、全身に回る痛みに顔を歪め、言いたくないと叫ぶ感情を押し殺し…微笑んだ。
「お前は、幸せになれ」
その言葉が彼女をどれほど苦しめるのか、理解した上で。
徐々に黒く染まっていく世界で、ただただ微笑む。
「まだまだ世界には葉月の知らないことがたくさんある。楽しいことや…旨い飯も、そりゃたくさん、な」
良いことばかりではない。
きっとたくさん辛いことがあって、でもそんな彼女を支えることは出来ないから。
「そういう知らないことをたくさん経験して、自分の感情をちゃんと吐き出せるようになって…誰よりも、幸せになれ」
鉛のような腕を持ち上げ、彼女の頬に触れ、一つ息を吐く。
残り少ない時間で、出来る限りの言葉を…
「葉月は……、俺の自慢の嫁さんだ。知らないことは多いけど、相手を思いやれる、優しい…」
と、彼女の手が光助の手に重ねられ、こつんと額同士が触れ合う。葉月の涙が──落ちる。
また、泣かせた。
ただ彼女に、幸せになってほしいだけなのに。
ぼたぼたと頬に落ちる雫。
「光助がいれば、あたしは、それだけで幸せ…他に何もいらない。光助さえ居てくれれば、あたしは、なにも…」
嗚咽混じりに彼女は光助にすがりつき、お願い。と強く手を握って。
その言葉だけで、もう、十分すぎるくらい幸せで。
「しっかりしろ葉月!俺は、もう、むりだ…。でも、おまえは…歩き続けなきゃいけないんだよ…っ」
光助は彼女の手を握り返し、力を振り絞り叫ぶ。
葉月が一人で、歩いていけるように。
それが彼女を傷付けることだとしても
「やだっ!!こーすけ言ってくれたもん!ずっと一緒だって!ずっと守ってくれるって!!俺が、幸せに、するって…」
駄々をこね、何度も交わした約束に涙するその姿は、幼い少女のようだ。
月夜に誓った、永遠の約束。
彼女にとって光助との約束は、どれほどの存在であれたのだろうか。
自分という存在は、彼女にとって…
「お願い…側にいて…」
「はづ、き…」
光助の胸に突っ伏し駄々をこねる葉月の頬に、もう一度手を伸ばす。
「一人にしないで…もう、怖いのはやだよ…」
怖いのはやだ。
そうだ。
一人は怖い。
誰もいなくなった世界で生きていくことは、きっと、とても怖いことだ。
「葉月」
真っ黒に染まった世界に、声を、落とす。
残された時間で、伝えなくては。
「愛してる」
例え自分が死んでも、変わることのない感情を。
「これからお前が出会うどんな奴よりも、葉月のことを愛してる」
彼女が決して、独りではないということを。
「これからおまえを愛するどんな奴より、葉月のことを愛してる」
自分が彼女のことをどれほど愛していて、
「一緒に居れなくても、ずっと…永遠に、葉月だけを、愛し続ける」
どれほど強く想っていて、
「葉月…生きてくれ…」
どれほど彼女に生きてほしいと願っているかを。
「こー…すけ…」
何度も鼻をすすり、しゃくりあげながら、葉月の唇が…触れる。
もうなにも見えないのに、それが彼女の唇だって事がすぐわかってしまう。
何度も重ね合わせた、彼女の温もり。
「あたし、も…こーすけのことが、好き。あたし、わからないことたくさんで、愛…せてるのかも、わかんない。でも、あたしには、こーすけしか居なくって、あたしは、あたしは…」
何度もつっかえながら言葉を吐き出す彼女の声は、震えていた。
きっと葉月は…今もまだ、自分には感情が無くて相手の気持ちをわかってやることも汲み取り理解してやることも出来ないと思っているのだろう。
何一つ上手に伝えられないと、自分の無力さを悔いているのだろう。
自分の気持ちを伝える方法は、言葉だけではないのに。
痛いくらいに、伝わってるのに。
こんなにも葉月の想いは伝わってるのに。
くそったれ…
何でこんな事になってしまった?
幸せになれって?
自分じゃない、他の誰かと?
ふざけんな。
「俺が…っ、葉月を幸せにしたいのに…っ」
ずっと側にいて、一緒に歳取って。
二人でしか見つけられない幸せを、手にするはずだったのに。
それを、自分じゃない他の奴なんかに…
「取られてたまるか……俺の、葉月…」
指を絡ませ、真っ直ぐに葉月を見つめてくる光助の瞳から、涙が、溢れた。
彼女の顔が、見えない。
愛しい彼女が…
「くそ…死にたくねーよ…葉月と、生きていくって…決めたのに…っ」
何度も誓った永遠を、約束を、決意を。
もっと、見せたい世界があるんだ。
もっと、知らない世界を。
もっと、ずっと、一緒に。
「くそ…葉月…俺は……」
「こーすけ、あたし…っ」
ごめん。
そう謝ろうとした光助の唇に、また、温もりが触れる。
「あたし、こーすけに出会えて、一緒に過ごせて、夫婦になれて、本当に、本当に…」
葉月が紡ぐ精一杯の言葉は、悲しいくらい遠くで響く。
どこまでも、この真っ黒な世界は、残酷で。
「光、助…っ」
「ごめん…ごめんな、はづ、き…ずっと、お前だけを、想って…」
「やだ…まって、いかないで…!」
「は、づき…俺の、葉月…」
意識が、世界が、なにもかもが──遠く、遠く。
「………いきろ」
恐怖はない。
ただこの胸にあるものは、
「幸せに、なって、く…れ…」
自分では叶えられない、ちっぽけな願い。
ああ…くそ………
葉月。
俺の、葉月。
どうか、どうか。
そして全てが、白に変わった。
世界の全てか、白に。
そして真っ白な世界で、聞き慣れた声が明確な殺意を持って、
「てめぇまじでふざけんなよ」
そう、怒鳴る。
顔を上げれば、やはり見慣れた顔。
見慣れた…怒った顔。
「葉月をっ!!!守るんじゃねーのかよっ!!!幸せにっ、すんだろ!!お前がっ!!」
座り込む光助の胸倉を掴み、無理矢理身体を引き上げる彼の目は、泣き腫らしたように、赤い。
真っ白な世界。
真っ白で、気を抜くと自分が消えてしまいそうな、そんな空間に…忍と、七郎と、ヤスと、文男と。
同じように怒った顔をしている七郎と、オロオロしているヤスと、なんとか場を宥めようとしている文男を見上げ、光助は口を尖らせた。
こっちだって好きで死んだ訳じゃないのに、いきなり怒鳴られたって。
これでも、がんばったんだぜ?
光助は「悪かったよ」と降参するように両の手を挙げ、
『───…!』
響く声に、視線を向けた。
遠く、遠く、遙か向こうで、必死に何かを叫んでいる…その姿に。
暗闇から手を伸ばす、その姿に。
「光助」
「光助兄さん」
「ちゃんと、言ってやれ」
「…おう」
最期に、彼女に残せる言葉を、紡いだ。
「今日も、最高に美人だな」
ありふれた日常を。
何でもない幸せを。
届くことのない、最愛の願いを。
そして光助は、目を閉じる。
全て、お仕舞い。
統べて、お終い。
…───────────────…
長い長いお噺を、読んで頂き、本当にありがとうございます。
彼女と彼の紡ぐ、十数年の何でもない日々は、これにてお終いとなります。
葉月、という少女に出会って5年…
彼女の生きた軌跡をこうして形に出来て、本当に、本当に…。
けど、もうしばらく、『願う』シリーズにお付き合いいただければ幸いです。
彼と過ごした日々と、友人と過ごした日々に、彼女が何を感じ、何を掴むのか。
蛇足にならないように、頑張ります。
改めて。
ここまで読んでくださった貴方様に最大級の感謝を。
誤字脱字乱文ご容赦願います。
今度は近いうちに更新出来ると良いなという希望を込めつつ。
…2018.09.24…
……柊 皐月……