※こちらのお話は 後編① の続きとなっております。ご注意下さい。
中に足を踏み入れた光助は、数時間前に別れた自分の部下、幹夫と辰巳に再会を果たした。
どうやら彼らが、女たちを守りながらここまで移動してくれたらしい。
集まった女たちを前に、光助は今まで見てきたモノをすべて伝えた。
毒を武器に仕込んでいること。
もう何人もの仲間たちがやられてしまったこと。
奴らの方が上手であること。
自分たちも、無事に逃げられる保証はないということ。
黙って光助の言葉を聞いていた彼女らは、涙を流し、それでも、取り乱すことなく頷いてくれた。
不安と。
恐怖と。
それぞれにいたであろう大切な人たちへの想いを、飲み込んで、光助の言葉を受け入れてくれた。
「すまないみんな…俺の、認識不足だ…もっと、警戒していれば、ここまで酷い状況にはならなかったのに…」
謝って何かが変わるわけではない。
けど彼女たちの強い表情を前に、少し、甘えたくなった。
案の定、彼女らは謝る光助の背をバシンと叩き、豪快に笑う。
「私たちは、藤花として生き、藤花として死ぬ。とっくにその覚悟は決まってんだよ」
不安も、恐怖も、なにもかも受け入れた上で、信じると、言ってくれたのだ。
「こんな所で弱音吐いてる男に、若姫様は任せられないね」
「ほんと、男って追い詰められるとすーぐ駄目になるんだから」
「大丈夫です。光助さんがもし間違ったら、私たちが怒ってあげますから」
口々に、彼女らは笑う。
「私は、藤花のみなさんに…若姫様や、光助様に、救っていただきました。死んでしまいたいと思っていた毎日から、もっと生きていたいと思えるこの場所に連れてきてくださったのは、みなさんです。
だから…バラバラになったって、平気」
「…これ以上くよくよするなら、殺すわよ」
ああ、参ったな。
追い詰められたときの女たちはどうしてこうも強いのか。
ガリガリと髪をかき混ぜ、光助は低くて今にもぶつかりそうな天井を見上げた。
近すぎてなにも見えない岩の塊。
大きく息をすれば、自分に跳ね返ってくる。
「じゃあ…そうだな、なんか、飯くれ。腹減っちまったわ」
に、っと笑い腹をさすれば、彼女たちからドッと笑いが起こる。
緊張の糸が切れたかのように、涙目になりながらみんなして笑う。
「なんだか、若姫様みたい」
「葉月さん、帰ってくるなりいっつも『おなかすいちゃった…』ですもんね」
「今日もきっと、腹ぺこで帰ってくるわよ」
「なら、たくさん食べさせてあげないとね」
大量に持ち込んだのであろう食料袋をがさがさと探り始めた彼女たちは、火を使えないこの狭い洞穴の中で出来る限りのご馳走を、光助や数人の男達に振る舞った。
そのご馳走を食べ、光助は吉助に目を向ける。
「吉さんは此処に残って、彼女たちを守ってほしい。俺は、他の奴らを連れて大将を叩きにいく」
「……何処にいるのか、見当は付いてんだろうな?」
「川沿いに戦闘の跡はほとんどなかった。月望みの丘の方は行ってないからわかんねぇけど、たぶん、居ないと思う」
「根拠は?」
「背水の陣を好んで選ぶ奴は居ない。それに土地はこっちに利がある。罠だって、いくつも配置してある。内通者がいたとしたら、あえて選ぶなんてリスクは負わないはずだろ」
もちろん、そう思わせて…なんて裏を掻く可能性がないとは言えないが…むしろある程度の戦力を整えて人数で圧しつつこちらの攻撃に構えて備えた方がよっぽど効率的だ。
そうできるだけの戦力は、揃えてきているのだから。
飯を食べた後だからなのか、頭の回転がさっきまでと違うのが自分でも分かる。
僅かな灯火の向こうで、吉助が伸びをしようと両手を持ち上げ、「いて!」と声を漏らす。
格好がつかねぇなぁ、と笑い、彼は光助の肩を叩いた。
「行ってこい。留守の間は俺が女達と楽しんどくぜ」
「ヨメさんに半殺しにされるぞ?」
「良いんだよ。あいつだって俺に内緒で勝手してたんだ。勝手に、死にやがって」
嗚呼。
彼の伴侶は、もう…
光助は叫び出しそうなくらい溢れてくる感情を喉に押し込め、肩をすくめた。
「化けて出てくるぞ〜」
「けっ、来れるもんなら化けてみやがれってんだ。文句言わなきゃ腹の虫が収まらねぇんだ」
ほら行ってこい。
吉助は光助を追い払うように手を動かすと、暗闇の奥へと、進んでいく。
「…おし、お前ら。覚悟はいいか?」
その姿を見送り、光助はそれぞれに武器を手にした十人程度しかいない男たちに目を向けた。
正直、名前すら知らない奴ら…恐らく戦闘を苦手とする連中ばかりだ。
光助の問い掛けに返ってくる言葉はない。
だがその瞳には決意が見れる。
「行くぞ、大将の首をもぎ取る」
そして光助たちは洞穴から飛び出した。
橙に染まる森を駆け抜け、"見当"を付けたポイントへと最短のルートを選択する。
これ以上、好き勝手はさせない。
だが当たり前のように待ち構えている大男の姿に、光助は目を細める。
此処に彼らが居るということは、この先に大将が居る可能性は高い。
だったら、こんなところで立ち止まってなんかいられない。
「幹夫、辰巳。此処は任せるぞ」
「合点!」
「任せてください。片付けたら、すぐに追いつきます」
光助は信頼できる自分の部下を、振り返り、返ってくる答えに笑みを浮かべた。
闇色の着物の懐からクナイを取り出し、低く構える二人。
大男を前に、ビビる様子はない。
自分と同じく隠密行動を得意とする二人は、接近戦を好み、その度胸は藤花の中でも抜きん出ている。クナイ捌きも、どんな相手でも容赦のない冷徹さも、そのどれもが信頼に値する。
「頼んだぞ」
走りながら彼らの肩に両手を乗せ、一歩前へ出る。
向こうもこちらの存在に気づき、いかにも重そうな武器を振り上げた。
「させねぇぞ!!」
そんな大男に幹夫と辰巳がクナイを投げ付け、牽制をし、その横を光助たちは駆け抜ける。
襲いかかってくる数人の男たちを幹夫と辰巳それぞれが切り捨て、足を止め振り返り背を向け…──低く、低く、嗤う。
その死神のような衣がはためき、どろりと嗤う声が、暮れゆく森の中に反響し異様な空気が満ちていく。
そんな異様さを背に、光助は足を止めない。
どんどんと距離が離れ、聞こえてくる金属音は酷く遠い。
次々と襲いかかってくる輩を共に走る仲間たちが払いのけ、刀を振らせる前に、攻撃を仕掛ける。
刀に毒が仕込まれているのなら、刀を使わせなければいい。
それでも、一人減り、二人減り。
光助を残して次々死んでいく仲間たちに、唇を噛みしめる。
悪態ばかり、口から漏れる。
振り返ることも弱音を吐くことも、足を止めることすら出来ない。前に進むしか、道はないのだ。
前に。
奴らの大将がいるであろう、その場所に。
光助が葉月を妻として貰い受ける為銅蔵に戦いを挑んだ…あの場所に。
「光助さん」
と、名を呼ばれ、光助は少しだけ速度を落とす。目を向ければ、自分より若い青年が難しい顔をして近づいてくる。最近入ったのか、名前の見当もつかない。
「この人数で攻め込んでも、正直、厳しいと思います」
その彼が、はっきりと言う。
その言葉に、光助も肩をすくめた。
「だろうな」
光助の後ろには、五人の仲間。
その中で、戦力になるのは四人…いや、三人か。
それに対して、相手は数十を越える守りでこちらを出迎えようとするはずだ。
勝ち目はない。馬鹿でも分かる。
「じゃあ…」
「相手の陣形を確認する。幹夫と辰巳が合流して…日が暮れれば、葉月も帰ってくる。そしたら、一気に攻め込むぞ」
一応考えてるんだぜ、と笑ってみせれば、彼は小さく謝り、ぐ、と拳を握った。
「謝んなって。今みたいに意見を言ってくれると、こっちも冷静になれる」
光助はそういって笑いかけると、全員に目を向け、既に顔も分からないくらい暗くなっている木々の間で足を止めた。
僅かだが、傾斜がある。
此処をもう少し上れば、奴らが居るであろうポイントに着く。
いったんここで体制を整えて、それから…
光助は近くに身を隠せそうな場所はないかとぐるりと辺りを見回し、異様な金属音にその場を飛び退いた。
一瞬の間を置いて、風を切る音と…飛沫が、舞う。
呻く声が足下から聞こえ、僅かな光を纏った銀色が、光助に狙いを定める。
なにが起きたのかは、一瞬で理解出来た。
「裏切り者がいるとは思っていたが…まさかこんなに近くにいたとはな。驚きだ」
仲間が死んだのだ。
その刃を見つめながら、光助は肩をすくめた。
今さっき会話をし、一緒に戦う仲間として心強くすら感じた青年。
刀を構え、
「…殺せたと、思ったんだけどな…」
青年は悔しそうに呟き、すでに息絶えた──仲間だった男に、刀を突き立てた。
肉を切る、嫌な音。
今日何度目かの、仲間の死。
脳の奥が痺れるようで、呼吸が荒くなる。
けれど、幾分か、冷静でいられた。
仲間が死ぬことに、慣れてしまったのかもしれない。
もしかしたら死んでいった彼らの、名前すら知らないからかもしれない。
でも、そのお陰で、冷静でいられる。
今取り乱してはいけない。
この先に居るであろう本体の奴らに、気付かれてはいけないのだ。
光助はゆっくり息を吐き、全身の力を抜いていく。
僅かな動きも見逃さぬよう神経を尖らせ、暗闇を睨みつける。
月明かりは、木々の青葉に遮られ殆ど入ってこない。
幸か不幸か…山賊の──光助の最も得意とする環境だった。
青年の身体が微かに、沈む。
大きな一歩を踏み出す、その瞬間より僅かに速く光助は地面を蹴った。
「っ!」
タイミングを完璧にずらされた青年は、しかし踏み込んだ間合いで刀を振るう。
その刀を半身を捻りながらかわし、捻った半身を元に戻しながら拳を突き出す。相手の右肩を狙った一撃。足下でかちゃりと刀が鳴った。
「おっと」
光助は咄嗟に握っていた拳を開き、頭を垂れるように青年の右手を押さえつけた。
「燕返しってか?」
振り下ろした刀を握り直し、斜め上に向かって振り上げ斬り付けてくるその太刀筋をかわすのは、容易なことではない。
だったら振らせなければいいのだ。
「くそっ」
悪態を吐きながら左の拳で殴りかかってくる青年。その表情には苛立ちが。段々に余裕がなくなっているのが見て取れる。
だが余裕がないのはこちらも同じ。
長期戦を得意とする光助の戦闘スタイルは、"攻撃を受けることを前提とした"モノだ。斬られたら即死の戦い方など、したことがない。
寸前で拳を避け大きく距離を取りながら、光助はぐるりと目だけで周辺を見回し、少し離れたところに落ちている刀に眉を寄せる。
刀は不得手だ。
だが、素手での立ち回りには限界がある。
光助は細く息を吐き、斬り掛かってくる攻撃を避けながら刀を拾い上げ──喉元めがけ放り投げた。
「このっ!」
体勢を崩しながらも青年は自分に向かって飛んでくる刀を叩き落とし、その隙に光助は一気に間合いを詰める。かちゃりと刀が鳴る。燕返しだ。
対処法は、わかってる。
だが同じやり方は通用しないはずだ。
光助はもう一度刀を握る腕を押さえるために手を伸ばし、けれど案の定こちらの手を警戒し肘で牽制してくるその動きに…光助は歪む口元を抑えられなかった。
「つーかまーえた」
伸ばした手を強く握りしめ、文字通り全力で肘に拳を叩き込む──力に圧され青年の身体が限界まで捻られ、握る刀の切っ先が揺らぐ。もう一歩、踏み込み──至近距離よりさらに近くへ──伸び上がるように側頭部めがけ頭をぶつけ合わせた。
目から星が飛び出るほど痛い。
その痛みに思わず顔をしかめ、けれどふらつく相手を前にさらに体を動かす。懐に仕舞われた大切な刀を掴み、青年の刀を握る手に向け叩きつけた。
刀が、地面に落ちる。
咄嗟に刀を拾おうと身体を折る青年の顎。思い切り蹴り上げた。
ゴッ、と爪先に固い感触が伝わり、大きく間合いを取りながらその手応えに息を吐き出す。
ふらりと揺れた青年はそのまま仰向けに倒れ、動かなくなる。
脳を揺らすほどの衝撃を与えたのだ。狙い通り、気を失ったようだ。
それでも慎重に青年との距離を縮め、光助は彼が持っていた刀に目を向ける。
暗くて見えないが、恐らく毒の塗ってある…血に染まった刀。
拾い上げ、月明かりを受け浮かび上がる白銀を…青年の首に、突き刺した。
刀越しに骨を抉る感触。
断末魔はない。
光助は刀を突き刺したまま放置し、息と、気配を殺す。
此処に留まるのは得策ではない。一刻も早く離れるべきだ。
これ以上の戦闘は、乗り切れる気がしない。
光助は懐刀を仕舞い、月望みの丘の方へと方向転換すれば進み始める。
頭の中がごちゃごちゃになってきた。
裏切り者は、殺した。
だが裏切ったのは彼だけなのか?
名前も知らない青年一人が、ここまで大きな事を成せるのだろうか。
これからどうすればいい?
藤花の団は、自分は、どうするべきだ?
草を踏む音。
枝を払う音。
虫の鳴く音。
自分の息づかい。
なんとか心折れないように保ってはいるが、このまま癇癪を起こした駄々をこねたい気分だ。
木々を抜け、視界が晴れるその手前。
光助はどすんと腰を下ろし、膝を抱えうずくまる。
上手く行かないことばかりだ。
逃げ出したい。
考えるのも面倒だ。
わかってる。
逃げたらきっと後悔する。
一生悔やんで…銅蔵にも、文にも、死んでいったみんなにも、顔向け出来ない。
それだけは、嫌だ。
藤花として生きる道を選んだ。
だったら、自分の選んだ道からは…
折れるな。
まだ、折れるな。
膝を抱え小さくなりながら念じる光助は、耳に届く草木の音に、ゆっくりと顔を上げる。
人の、足音。
敵かもしれない。
逃げるか、もしくは迎え撃てる体制を取らなければ。
でも、もう身体が動かない。
光助は息を殺し音の主を見上げ…──息を飲んだ。
見間違えるはずなんかない。
最愛の…誰よりも会いたかった人。
手を伸ばし、彼女の手首を掴み、
「んん…っ!!」
しかしあまりの勢いで引っ張って来るもんだから、思わず大きな声を出してしまう。
その声に動きを止めた彼女は…葉月は、大きな目をさらに見開き、光助の名を呼ぶ。
信じられない、といった表情だ。
「ほ、ホントに…光助…?」
けどそれは、彼女が此処に来るまでにどれほどの光景を見てきたのか知るには十分だった。
藤花の仲間を、家族を、本当に大事に思っている彼女には、とても辛かったはずだ。
彼女の痛みを思い、光助は自分が今まで抱えていた絶望に似た苦しさがどうでも良くなっていることに気付く。
逃げ出したかったはずの感情は、まだ折れるなと念じていた気持ちは、彼女を守りたいという想いを前に消え失せてしまっていた。
光助は一瞬の間を開け、微笑んだ。
「こんな色男、俺以外にいるか?」
「…いない」
ほら。
両手を開き、今にも泣きそうに瞳を濡らす少女を迎え入れ、抱きしめた。
「こ、すけ…っ!!」
「おうおう、光助さんですよーっと」
軽口を叩きながら、彼女の痛みをどうしたら拭ってやれるのか、考える。どうすればいいのか、考え、
「今日も最高に可愛いな」
いつも言っている言葉しか出てこなかった。
ああだめだな、と自分が情けなくなる。
こんなところで、こんな状況になっても、彼女の前では格好付けたいみたいだ。
葉月を抱き締めながら顔を覗き込み、
「一人にさせて、ごめん。辛かったろ?」
そう呟きながら瞳を閉じる。
彼女が戻ってくるまで何とかみんなを、藤花の仲間達を守りたかった。
けど葉月に見せた景色は、こんなに血に汚れていて。
「あたしこそ、光助を独りぼっちにして、ごめんね?」
けれど目を開けば、紅蓮色をした穏やかな瞳がそこにはあって。
頬に触れれば、微笑み、光助の手に自分の手を重ね合わせてくる。
「…ちょっと会わなかっただけなのに、すっげー良い女になってるんだけど」
なんだか、悔しい。
自分の知らないところで、こんなに、こんなに。
ガバリと覆い被さるように抱きつき、きょとんと首を傾げる葉月の首筋に鼻先を押しつける。
…と、彼女が小さく…不自然に、声を上げた。
ハッと顔を上げ、その強張った表情に気付く。
「お前、怪我してんじゃねーかよ!!毒!毒は平気なのか!?」
ぐるんと体を回し、羽織代わりの布をめくり上げられれば、葉月は一つ頷いた。
「毒は大丈夫よ」
「何でそう言いきれる?」
「…この傷は、忍の刀で付けられたものだから。忍の刀には、毒は付いてなかったもの」
詰め寄るような光助の言葉に、やはり彼女は笑みを浮かべて、それから小瓶を取り出す。
「これ、もみじからもらったの。二刻程度だけらしいけど、毒の進行を遅められるって」
「もみじが…?」
「ええ。そのときに、手当もしてもらった。だから…問題ないよ」
だいじょうぶ。
小さく呟いた言葉は、まるで自分に言い聞かせるかのようで。
きっともみじは…藤花イチ薬草や薬の調合に詳しかった彼女は、もう、この世にいないのだろう。それくらい、容易に想像できた。
と、彼女は光助の髪に指を絡ませ、目を細める。
「それより、他のみんなはどうなったの?女子供は…」
「俺の隊が女子供の護衛に回った。だが状況は良くない。他の隊には、各自待避を言ってあるが、どれだけ逃げられたか…」
洞穴に立てこもった彼女たちは、無事だろうか。
幹夫や辰巳も、どうなっただろう。
考えれば考えるほど、息苦しくなる。
その苦しみを、強く拳を握り、堪える。
「ならあたしは…ちゃんと決断しなくちゃね」
そんな光助の拳を包むように両手で覆い、笑い、葉月は背を向けて歩き出した。
「葉月…?」
はっきりと、しかしどこか弱々しい声に…彼女がなにを考えているのか、わかってしまう。
決めたのだ。
藤花の団の…未来を。
「ねぇ光助」
立ち止まり、振り返り、眉尻を下げ、
「例え藤花がなくなっても、ずっと、一緒にいてくれる?」
いつものように、笑う。
辛いときほど、彼女は笑うのだ。
光助は葉月の問いに、目を閉じる。
風が吹き抜け、ここが月望みの丘のすぐ手前だということを、思い出す。
──彼女と永遠を誓った、場所。
光助は無言のまま葉月の腕を掴み、そのまま森を抜け、月望みの丘を目指し歩き出す。
「こ、光助…?」
戸惑った声。
当たり前だ。
岩場まで行けば身を隠すことは出来るが、その岩場までは見通しがいい。見つかれば、戦闘は避けられない。
抵抗する葉月の声に立ち止まり──目的の場所で足を止めれば、
「ここが何処だか、覚えてるか?」
そう口にした。
その言葉に彼女は首を傾げ、
「あ…」
光助が言わんとしていることに気が付いたのか、僅かに俯いた。
あの日彼女が知ったのは、恐怖という絶対的な感情だ。
一瞬で身を強張らせるほどの、消せないモノ。
でも、それだけじゃない。
「俺はあの日、葉月に永遠を誓った。ずっと、お前を守るって。ずっと、側に居るって」
その恐怖ごと、包み込みたいと思った。
守りたいと思った。
彼女が知ったのは、恐怖だけじゃないはずだ。
「だから葉月。もう一度、誓わせてくれ」
あの日と同じようにもう一度手を取り、月明かりの下で。
「命の限り、お前を愛し続ける」
あの日と同じ約束を、
あの日より強い意志で。
「葉月は、自分の信じた道を進めばいい。自分が正しいと思った道を、前だけ見て歩いていけばいいさ」
額を合わせ、微笑む。
大丈夫だからと、想いを込める。
もし信じた道が間違っていたとしたら…
その時は、一緒に怒られてやるさ。
にしし、と声に出して笑えば、葉月は小さく頷き、そっと唇を重ね合わせた。
なにも迷う必要なんてない。
月望みの丘の──崖のように突き出した先端に並び立てば、互いに繋ぎ合った手を強く握る──闇夜に向け、低く、吼えた。
それは狼が遠吠えをするかのように、空高く何処までも響くように、三回。
それは…藤花の仲間達が知る、合図。
藤花の団を解散するという、酷く無責任な、最悪なモノ。
葉月に続き、自身も吼え…何よりも大切にしていた居場所を、自分たちの手で壊してしまったのだと理解する。
大切だから、壊すのだ。
失いたくないから、無くすのだ。
葉月が光助の手を離し、一歩、前に出る。
崖の、先の、端。
「我が名は藤花の団若頭、藤花葉月!!!」
高台から見渡せる森の、山の、どこかに居るであろう仲間に向けて。
「──生きて!!!」
すべての想いを詰め込んだ最後の命令を。
祈るように感情を吐き出した彼女は、力なくその場に座り込んだ。
赤子の頃から此処で育った葉月にとって、藤花が無くなってしまう喪失感は光助の感じるそれとは比べようのない…計り知れないものだろう。
藤花として、山賊として居きる方法しか、知らないのだから。
暗闇に叩きつけられたように感じてるのかもしれない。
「葉月、立て。こんなところで、立ち止まってらんねーぞ」
「…光助…」
「ここから、また始まるんだ。藤花葉月としてじゃなくて、菊川葉月として」
でも、だったら。
光助は葉月の腕を取り、立ち上がらせる。
藤花の団の若頭としてではなく、菊川光助の妻として、生きていけばいい。
見えなくなってしまった未来を、一緒に歩けばいい。
それに。
光助は彼女から視線を外し、目を閉じ、耳元に手を持っていく。
聞こえるのだ。彼らの声が。
至る所から響く、狼の咆哮が。
「ちゃあんと、みんなには伝わってると思うぜ?お前の想い」
空気を震わせるかのように果てなく広がる幾重もの想いは、反響し、じんわりと染み渡っていく。
「大丈夫だって。俺たちみんな、大事な家族だろ?こんなもんで、終わったりなんかしないって」
いつだって、繋がってる。
口の中だけでそう紡ぎ、肩をすくめた。
ひとまず、この場所からは離れた方がいいだろう。
今のやりとりを聞いて、誰か来るかもしれない。
そうでなくとも、
「まだ話さなきゃいけないことはあるしな」
話さなくては。
誰が逃げ切って、誰が死んで、誰が裏切っているのか。
葉月が一人きりで戻ってきた、その理由を。
今自分に出来ることは、誰よりも正確に、今の状況を把握すること。
そして、彼女を不安にさせないこと。
落ち着ける場所を探すために動き出しながら、光助は暖かな手を強く握った。
まだ、守るべきモノは此処にある。
まだ、負けるわけにはいかない。
大きな木の根本に腰を下ろし、互いの温もりを求め身を寄せ合いながら今までのことを話した。
洞穴に残してきた女達も、無事にしているかもわからない。
光助がこれまでのことを話し終え、今度は彼女が、口を開く。
危険を知らせようと七郎とお絹夫婦の家を訪ね、しかし既に惨殺された後であったこと。
忍を助けに行くも、あと一歩のところで間に合わなかったのだと。
何度も何度も声を詰まらせ、彼女は紡ぐ。
ただ形見として彼らの刀を持ち帰ることしかできなかった…と。
葉月は、自分の背中の傷のことは何も言わなかった。
それがどういう意味なのか光助にはわからなかったが、彼女が言うべきではないと決めたのなら、それで良いと思った。
それに…いまいち、実感が沸かなくて。
忍と七郎は、ずっと一緒にいたのだ。
喧嘩も、何度もした。
本気の喧嘩だ。
でもその度に、仲直りをした。
忍も七郎も、頑固で。いつも光助が折れたのだ。
葉月と四人、何度も団を抜けて遊びに行けば、しょっちゅう静に怒られ、銅蔵に怒られ、その度に全員分の洗濯の罰を受けて。
葉月と結婚を前提とした交際を始めたと報告したときの忍の喜びようは、今でも昨日のことのように思い出せる。
そんな大事な、『最愛』とも呼べる彼らが…死んだ?
感情が、付いてきていない。
他の仲間達が死んだときよりもずっと…
光助は葉月を抱きしめ、遠退く平衡感覚に眉を寄せる。
だめだ、気を抜けば倒れてしまいそうだ。
光助は唇を噛みしめ、しかし葉月が
「そうだ葉月。もう一つお願い。アイツに伝言頼めるか?」
と呟けば、彼女の顔を覗き込んだ。
「伝言…?」
聞き返す光助を見つめ返し、さらに続ける。
「そ。そんな大した内容じゃねーけどよ」
それは明らかに葉月の口調ではない。
だがそれが誰の言葉なのかすぐに理解し──思わず喉が鳴った。
脳裏によぎるのは、にかっと笑う、彼の笑顔。
「地獄で待ってる。遠い未来に、地獄で会おうぜ」
力なく笑う葉月の大きな瞳からは、今にも涙が零れそうで。
光助を見上げ、泣かないように堪えながら、困った顔をするのだ。
「忍、最後まで、笑ってた」
光助の服を強く握り、
「ありがとうって、笑って…」
声を震わせながら。
「あたしのこと、自慢の妹で、自慢の、頭領だって」
それでも言葉を吐き出し続ける。
──彼女の瞳から、涙が溢れた。
それを見て、光助はぼやける視界を袖で拭い、
「ったく、馬鹿じゃねーの」
盛大にため息をついた。
「…光助…?」
「あいつ、ほんと、なんにもわかってねーなぁ」
片手で葉月を抱きしめ、もう片方の手で自分の髪をかき混ぜながら、空を見上げる。木に阻まれてなにも見えない、闇色の空。
風が葉を鳴らす音と、僅かに香る、藤の花の匂い。
今の今まで気付かなかった、世界の色。
「俺たちみたいな超優等生が、地獄になんて行くわけねーだろっつーの。美男美女は天国に行くって決まってんだよ」
自分でも無茶苦茶言ってるのがわかる。
でも、悲しみ涙することを、彼らは望んでいないはずだから。
目を閉じ、今にも騒がしく戻ってきそうな悪友達の顔を思い出す。
どうしようもなく馬鹿で煩わしい、切っても切れない、かけがえのない絆で繋がってしまった、彼らを。
そして、
「葉月、もう寝ろ。この戦いを切り抜けるには、お前だけが頼りなんだ。ゆっくり、休んどけって」
光助は、そう微笑んだ。
光助も…と渋る彼女を無理矢理自分の膝に倒しぽんぽんと頭を撫でる。
しばらくなにか考えこみ、それから小さく頷いた彼女は、刀を抱え、目を伏せる。
長い睫毛。
段々と、葉月の意識が遠退いているのが手に取るようにわかる。…と、
「ねぇ、光助…」
葉月が小さく名を呼ぶ。
力ない、ぼんやりとした声だ。
「……なんで…こんな事になっちゃったのかなぁ…」
そんな声で吐き出されたのは…疑問とも後悔とも取れる、独り言。
光助は口を開き、しかし眠りについた様子に唇を噛みしめた。
何でこんな事になったのか。
光助はどうしても彼女に言えなかった事実に、拳を握る。
──ヤスを看取り、葉月を見送り、敵陣の偵察に向かったあのとき。
聞こえてきたのは、複数の貴族が結託し、藤花の団を壊滅させようとしているという話だった。
そしてその貴族の中に…菊川という商家の名が、入っていたのだ。
菊川という…光助の、生家が。
一瞬、意味がわからなかった。
けど思考が停止したのはその一瞬だけで、すぐに状況を理解し、冷静に、そのことを分析している自分が居た。
どういう経緯があったかは知らないが、この件に実父が噛んでいることは明白。
なんでこんなことになったか。
答えは一つだ。
父親に見捨てられた日の、続き。
あの日死ぬはずだった運命が、急速に、動き始めたのだ。
「…負けらんねぇ」
今更菊川の連中がどうなろうと興味はない。
けど、この戦いはこの手で終わらせる。
自分が招いた戦いは、自分で。
握りしめた拳をゆっくりと解し、光助は夜風に目を閉じた。
このまま朝がきて…なにもかも、嘘だったらいいのに…なんて、くだらない夢を思い描きながら。
後編③へ続く…