あの時、瞑想に出会って、目を瞑って自分の心の声に耳を傾けた。すると生まれてからその時までの記憶や、小さい頃の記憶、そして入院していた頃の記憶が浮かんできた。
「苦しい、悲しい」
心の奥に蓋をして閉じ込めていた様々な思い、特に入院していた時の感情を止めどなく浮かび上がらせて、気がつかないふりをしていた自分をさらけ出させ、涙を流れさせた。
「こんなに苦しんで、悲しんでいた。そんな感情を自分は閉じ込めていた」
静かな時の中で心の声を拾って、一つ一つ言葉にしていくと、隠れていた本当の思いがはっきりしてきて、解らなくなっていた自分自身を少しずつ変えていった。
「自分が何を感じて、何を思って、何がしたいのか?」
それまで存在しているという感が無くて、透明なくらい透けていて、何者でも無かった自分。
それが心の思いを知って、牢獄に閉じ込めていた自分自身が解放されて、少しずつ自分の身体が形を成していったように感じた。
「我思う、故に我あり」
これは哲学者デカルトの有名な言葉だけど、
「感覚を育てていく事が、自分を此処にいさせてくれる」
という意味なんだと解った。
瞑想は、自分自身の心の思いを感じさせてくれ、「自分は此処にいてもいいんだ」という感覚を育ててくれた。
「何を感じて、何を思い、何がしたくて、どういった方向に向かっているのか?」
そんなふうに感覚を研ぎ澄ませていくと、
この宇宙の全ての心は繋がっていて、全ての生き物は同じ方向へと向かっていると知った。
だからもし、誰かが心の思いを閉じ込めていて、幸せを感じられないでいるなら、それは皆んなにとっても同じ気持ちで、幸せになれない要素を作り出している。
そんな問題を解決に導く方法は、それぞれが目に見える物質的なものにこだわらないで、自分の感性を育てて、生を知って、愛を知って、死を知るという事で、 そして「此処にいていいんだ」という生きる実感を感じて、幸せになる事なんだと思う。
「人を愛し、自分を愛して、私たちが此処にいるという感覚を育てて、幸せを感じる」
この宇宙の心の全ては繋がっているから、1人が変わる事で、この世界は変われる。諦めなければ思いは必ず伝わるから、未来の自分がいつまでも夢を信じていて欲しいと思う。