しばらく、ブログを書くことができませんでした。
それは、あるメールをいただいてから、困惑と怒りの中にいたからです。
おそらく相手はここまで私が怒っているとは知らないと思うのですが、指摘されるとまだこんな反応をする自分に私自身が困惑しながら、自分の怒りと向き合っていました。
そして、
その奥に「悲しみ」を見つけたのです。
「いままでの努力や苦労をしならいくせに。。。」という思いと
「そんな細かいことをそこまで言う???」という思いと
「初めてのメールで、失礼な!」という思いと
そして
「こんな事にイライラする自分はまだまだだなあ~」という自己嫌悪と。。。
受け入れて、流してしまえばよいのに、
小さなことに反応していまう自分がいて
私の全存在を否定されている、もしくは、私が積み上げてきたことを否定されているというような気分になりました。
否定され続けて育ってきた子供の頃の傷は、こんな小さなことで顔をだすのだと。。。
内側に眠る「悲しみ」を見つめる時間でした。
相手に悪気があるわけではないのですが
悪気のない善意に傷つくことがあります。
過剰に反応するのは、
自分の過去の傷に障るからなのでしょう。
でも
相手の悪意で傷つくより、善意で傷つく方がキツいです。
相手を責めることができないからかもしれませんね。
でも、昨日のブログでも書きましたが
ブッダが
「この光は救済の光だ」と言ったのです。
いつものブッダとは違う強い口調で、
「すべてのものを救う光だ。
あなたがどんな解釈を加えようともこの光の本質が変わる事は無い」
と・・・
それで、私の悲しみと怒りは救済されてずいぶん楽になりました。