何層にも渡るパラレルワールドがリアルに存在しています。
同じ時と空間を共有して共同作業をしているにもかかわらず、見えているもの、感じているものが違う。
同じ現実にいるようで
じつは、並行した別の世界にいるのです。
だから、分かり合えない。
相手も同じものを見、同じ感覚でいると信じているから、
「なぜ、わかってもらえないのか!」 と悩む。
でも、
お互いに違う世界を見ているのだから、分かり合えるはずがない。
私は子供の頃に、一緒に住んでいる両親や祖父母との関係で嫌という程、この感覚に悩みました。
きっと、親も「なぜわからないのか!」と思っていたことでしょう。
あまりに食い違う意識と価値観と信念。
ずっと、自分はおかしい、間違っていると思って育ちました。でも、どこかでここを飛び出すと私が住める世界があるのではないかとも思っていました。
大人になっても同じ世界にいる人を見つけられなくて、自分は欠陥があるのだということを思い知ることになりました。
子供の頃は、この閉鎖的な社会から出たら、自分の世界があるのではないかと、単純の自分の生まれ育った環境のせいにしていましたが、どこに行っても自分の居場所はありませんでした。
自分が異人種であることを隠すために、人の真似をして自分を押し殺し、認めてもらうために一生懸命働くとか、人のために尽くすと言うことが自分の習性になっていたように思います。
自分を隠し続けて人真似をしていると本当の自分がわからなくなって、今感じている自分の感情さえわからなくなって、自分という存在がいるかどうかもわからない…
でも、人真似しているとなんとか日々が過ぎるので、こうやって生きていくのだと思っていました。
誰かにわかってもらうということはない。同じ世界に住む人に出会うことはないと思っていました。
でも、それは違うんですね。
自分で自分を認めることなく、周りに理解を求めても通じ合えるはずがない。
まず、自分を認めて、自分という存在のいる場所を確認して、それから周りを見たら、見えるものが違ってくる。
自分の立ち位置を確認して、その高さの見えるものを見て、それから周りの人の目線に高さを合わせるとわかることがある。
同じものを見ていると思っていたけど、目線の先にあるものは違うものなのだとわかる。
目線を変えて人の世界を見た時に、初めて自分とは違う世界で生きているのだと言う事が理解できます。
わかちあえるところにいないことを認識すると「わかってほしい」という感情は癒されて、自分の世界も人の世界も尊重することができるのです。
そして
そこから本当の分かち合いが始まるのです。
自分を尊重して
相手を尊重して
お互いが違う世界で生きていることを認識すると
自分の意見を押し付けることも
自分の理想を求めることも
自分の価値観で判断することもなくなり
純粋な愛によってのみつながることができるのです。
違っても一つ。
別の世界で生きていても一つ。
同じ光から来た同族なのです。