もうそんなに悩まないでと写真の中の母が言ってくれてるような気がした。 | あの日夢見た10年先へ【2nd season】

もうそんなに悩まないでと写真の中の母が言ってくれてるような気がした。

母が逝去してから来週で四十九日になる。



この世と来世とを彷徨う中陰の日。


49日を境に、自宅に祭壇している

母の遺骨ともお別れしなければならない。



来週の今日には、広島にある

祖父母のお墓に、納骨をしに行く。


そこで1週間に1度に縮小した

このブログもこれまでのように

不定期に戻そうと思う。



1か月が経ちその間、様々な世代の人達に

これまでの自分と母との関わり合い方や

後悔してること、悩んでいること、


今後の身の振り方を聞いてもらい、

少しづつ気持ちは浄化しようとしている。



周りからは、悩みすぎだし、

考えすぎだと言われることもある。


悲しみや苦しみはこの四十九日が

終わるまでに整理をつけようと


母へしてあげれなかった様々な後悔を胸に

毎日、自分を省みている。




数年前から母に冷たくしていた自身の姿は

あんなにも憎んでいた父親が母にしてきた

その様と似たものがあると気が付いた。




自分の体内には、彼の血が半分流れている。


そのことを考える時、血液を半分

抜き取りたい衝動に、今でも駆られる。




母は最後まで自分の生き方に後悔していた。




あんな父親を選んでごめんねと

何度も謝っていた。




どうしようもなく悔やみながら

弱っていく母を見るのが辛かった。




4ヶ月前、余命宣告を受けて直ぐ、


母がずっと行きたいと言っていたのに

連れていってやれなかった

プラハに行く覚悟を決めた。



しかし時既に遅し、

その体力は残っていなかった。


代わりに選んだ長野旅行。



僕が中学2年の時、

母と2人で訪れた上高地や松本に

最期の旅行をしようということになった。



片道3時間の車移動は体に負担が掛かり、

30分起きに休みながら、

車内でも横になりながら

5時間以上をかけて、訪れた。



質の高い温泉宿に泊まり、制限はあったが

食べれる美味しいものを食べさせてあげた。



2泊3日、母との最後の旅行。

人によっては、充分の親孝行だよ

そう諭してくれる。



しかし、僕が母にしてもらった

深愛を考えれば最後に、ほんの少しの

親孝行しかしてあげられなかった。



これを期に残された時間は国内の

色んな旅館に2人で泊りに行こうと

話していた。



母を避けていたこの数年間を取り戻そうと

これまで真っ当に育ててくれた

恩返しをしていこうと思っていた。



しかし、悪性腫瘍の進行は早く、

これっきりになった。





今日までは、辛くなる気持ちを避けるため

母関連の写真を見るのも避けていた。


しかし四十九日までに整理しないといけない

避けては通れない様数々のこと。



やっと見返す気持ちの余裕が出て

開いた長野旅行写真。



母が笑顔であればあるほど、

まだ、胸は苦しくなる。



49日を境に、僕の迷えるこの気持ちとも

お別れしなければならない。



もうそんなに悩まないでと

写真の中の母が言ってくれてるような気がした。