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 広島駅に着いた。むせかえるような暑さが、いつのまにか慣れ親しんでしまった広島弁と一緒に、どっと押し寄せてきた。列車で、姑が一人で暮らす周防大島へ向かうのは4年ぶり。いつも、犬連れのため、車で移動していたが、やはり、栃木から瀬戸内までの1000キロの旅は、50歳も半ばになると、きつくなってきた。
 各駅停車の山陽線は、とことこと海沿いを、ひたすら走って行く。岩国を過ぎて、大畠へ向かうにつれて、急に、陽射しが明るくなってくる。そのまぶしさで、目が開けられない。ふと、いつの日であったか、「あぁ、どこかで」という思いが浮かんできた。あれは、たしか・・・遠い昔、かくれんぼで鬼になった時。「もう、いいよ」と言われて、目を開けると、あたりが急に明るくなった。その途端、いいようもない不安が体全体をおおってきて、怖くなったのを覚えている。今、あの時の気持ちに似ている。知らない間に春になり、夏になり、私だけがとり残されたような、そんな気がした。
 いつのまにか、キラキラ光る海の向こうに周防大島が見えてきた。本州と島を結ぶ大島大橋も近くに見える。あの橋を渡ると、そこは、まるで別世界。時を忘れた姑との生活が待っている。大畠駅から、防長バスに乗り込んだ。ここから島末の旧東和町まで約40分かかる。道行く人、バスに乗り込む人、ほとんどが年老いた女性だ。5月の連休にも来たはずなのに、「そうじゃけえのお」という島の言葉が、妙に、なつかしく聞こえてくる。私が、認知症になった姑の見守りのため、この島に通うようになって、もう、4年が過ぎた。「何が何でも連れて帰れねば」という当初の思いも、この島に滞在するようになって、次第に薄らいでしまった。しゅうとめの認知症が、あまり進まないのは、やはり、この慣れ親しんだ島の暮らしを続けているからだろうか。それにしても、少々ボケても一人暮らしできる不思議さ。それは、介護保険法によるデイサービスやヘルパーさんのおかげなことはもちろんのこと。だが、この島全体にただようおおらかさ、住む人たちの温かい人情によることもまちがいない。
 「ただいま~」と、私は、勢いよく、玄関の戸を開けた。すると、琴乃さんは、驚いた様子もなく、「私も、今、デイ(デイサービス)から帰ったきたところよ。あんた、今まで、どこへ行っていたの・・・・」と言った。仕方なく、私は、「ちょっと、そこまで」と言葉を濁した。さて、かくれんぼで鬼になった私は、この島で、今度は何を見つけようか。又、ゆっくりと、探してみよう。