教え子が、ノーベル賞を受賞した本庶佑氏のことを語った。

一人は、PD-1を発見した奈良先端科学技術大学院大准教授の石田靖雅さん(57)。
もう一人は、PD-1ががんの免疫に関係することを突き止め、がん治療薬オプジーボのもとになる抗体を作り、実用化への道筋をつけた日本医科大学岩井佳子教授だ。

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ある意味では、この2人の貢献がなければ、今回のノーベル賞はなかったとも言える!
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本当は、この3人にノーベル賞を贈りたい!
(これは、ワシの意見だが・・・)

ノーベル賞の受賞者数が、一分野3人というのは、少な過ぎる!

とくに、最近は、共同研究が増えてきた。

場合によっては、3000人というのもある!
たとえば、巨大プロジェクトなどのケースだ!

最低、6人くらいにあげたい!
石田靖雅さんと、岩井佳子さんの2人だ!
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(c)harbeman181004
 “Deep thinking yields imagination” 


産経ニュースを引用するーーーーーーーー

「一言で言えばスーパーマン」「アイデアも行動力も」 教え子が語る本庶佑さん






ノーベル医学・生理学賞に輝いた京都大特別教授の本庶佑(ほんじょ・たすく)さん(76)の研究・開発姿勢について、教え子の日本医科大教授の岩井佳子さんは「すごく粘り強い方。本庶先生の信念によって、あのお薬は生まれました」と明かす。

岩井さんは平成10年に大学院生として本庶研究室入り。「PD-1という面白いタンパク質があるんだよ」と言われて研究を始めた。大所帯の中、PD-1のグループは2人だけで「すごく自由に研究をさせていただいた」。

 あるとき、重要な実験結果が出て、すぐに報告すると「おめでとう」の返事。その後、PD-1ががんの免疫に関係することを突き止め、がん治療薬オプジーボのもとになる抗体を作り、実用化への道筋が見えてきた。

 しかし、ここからが大変だった。医薬品化に関心を示す企業がなかなか見つからない。それでも諦めずに、本庶さんが粘り強く交渉を続ける姿を目の当たりにした。

 「先生は断られることが何回あっても『これは薬になる』と信じていた。薬として世の中に出すには、アイデアだけでなく行動力も必要。この点でも普通の方ではないと思った」

 本庶研究室でPD-1を発見した奈良先端科学技術大学院大准教授の石田靖雅さん(57)は「一言で言えばスーパーマン。ああいう人はなかなかいない。ノーベル賞を獲るだけの方だ」と話す。

 「意志がはっきりしていて突き進むタイプ。何をやっても一番でないと気が済まない。どんな分野でも成功した人だと思う」

 研究室のメンバーで海に行ったとき、本庶さんは到着するとすぐにシュノーケルと足ヒレをつけ、真っ先に海に飛び込んでいった。ワインが大好きで陽気に酔い、徹夜マージャンでは最後まで勝ち続けて弟子たちをうならせた。

 「ゴルフ、ボウリング、テニス、水泳と何をやらせてもうまかった」と石田さんは振り返る。