とうとう、ロケット開発も民間の手に渡った。

それも、打ち上げ費用が、10分の1以下という安価なロケットだ!

いよいよ、空の時代が来た!

クルマ、新幹線、船、リニアモーターカーの時代から、飛行機、ドローン、ロケットへ時代は、進化する。

地上は、2次元だが、空は、3次元だ!

自由度が格段に広がる。

東日本大震災の津波の時は、人々は、逃げることができずに、多くの犠牲者が出た。

しかし、もし、災害救助ドローンが開発されれば、ドローンで空に避難できる。

南海トラフ大地震・津波の襲来が予測される中、是非、災害救助ドローンを開発してほしい!

(c)harbeman170801
"Deep thinking yields imagination" 


  


佐賀新聞コラムを引用する。
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民間ロケットの挑戦

 糸川英夫(1912~99年)は「日本の宇宙開発の父」といわれる。探査機「はやぶさ」が到達した小惑星「イトカワ」にその名が残る。戦後、彼を中心に国産ロケットの研究が進められた。
 戦闘機「隼(はやぶさ)」の設計者の一人で、後に東大教授になる。米国での見聞をもとに「超音速、超高速で飛べる飛翔体(ひしょうたい)を作り、太平洋を20分で横断しよう」とロケット旅客機構想をぶち上げた。しかし敗戦後すぐの日本。ロケット開発への協力会社を探すが、色よい返事はない。
 パナソニック創業者の故松下幸之助にいたっては「糸川先生、そんなもん、もうかりまへんで。50年先の話や」とにべもなかった(的川泰宣著『やんちゃな独創』)。それでも糸川らは昭和30年、直径1・8センチ、全長23センチのペンシルロケットの水平発射実験を成功させる。
 その後の開発の展開は目覚ましかった。今回また新たな歴史を刻む挑戦があった。北海道大樹町の宇宙ベンチャー「インターステラテクノロジズ」が自社開発の小型ロケットを打ち上げた。日本初の民間の単独開発ロケットだったが、宇宙は遠かった。
 だが、大きな一歩で価値ある失敗といえる。糸川も挫折を重ね、国家プロジェクトでも成功ばかりではなかった。年内には打ち上げ再挑戦だそうだ。この一歩が必ず次につながるのだから、下を向くことはない。(章) 

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