我が国日本における人口数が減少傾向を推移しているのは、30年前から言われてきた事でありましょう。そうした中、現在の人口数は、資源の少ない国土の割には、安定したものとなってきており、率直に言えば、この国のエネルギー生産量および確保量からすれば、丁度いい供給具合の人口数であると言えましょう。つまり人口が多ければ、石油や天然ガスなどの輸入量を増加する事となります。そのようなエネルギー供給政策を断行する経産省がいるので、代替可能なエネルギー生産の供給体制を構築できない状態が、これまた30年前から指摘されてきておりましたでしょう。
【人口数が減るが在日が増える?】
産業界から人手不足を理由に外国人労働者を多数受け入れる方針を余儀なくされて、政府と法務省などは看過する事態でありますけども、これは国土における人口分布や人口年齢構成に大きな影響を将来に亘って及ぼすものでありましょう。言わば、日本人が少なくなる日本国の成り立ち、といった問題が湧き出ることになるでしょう。
【人口が減る情も減った?】
育児が大変だから、政府は援助してくれ、との要望が寄せられ、政府は渋々その要求に応じる姿勢を示し援助を実行したのですが、それは育児放棄を盾にした脅迫性のある要求である、と政府は認識しないのは、甘やかした政治の行政執行、と言えましょう。何故なら、「好きで産むのでしょう?好きだから子供を出産して育てるのでしょう?」なにも政府に頼まれ懇願されて、国家の労働力確保の為に、わざわざ子供を産むのではないのだから、そこは、はき違えないで頂きたいものだと言えましょう。
【出生率低下と犬殺処分の相関関係は】
環境省の統計発表によると、2020年4月1日~2021年3月31日の間で、4,059匹の犬が殺処分されており、猫を合わせると23,764匹となります。この数は多いのか?少ないのか?推移としては、減少してますと言えるので、犬猫の返還や譲渡が功を奏した事と見做せて、安堵する事となりましょう。しかし、犬なら毎日10匹以上が殺されていた現実は、直視する必要があると言えましょう。命を粗末にする風潮が、こうしたことで分かるように、時代の潮流は、犬猫殺処分に端を発した「命の軽さ」が見て取れ、それが荒廃となり社会情勢へ関係し、「荒んだ世に、我が子を産みたくない親が増えた結果」と言えましょう。
【かけがいのない命の大切さ】
共に同じ時間を過ごす大切さを学ぶと、殺すという行為がより理解できましょう。殺せば、その対象は動作を停止させ、いずれ腐敗し、姿形を消してゆきます。それが死の行き着く先であり、時間を共有しないということになりましょう。生き物の命を大切にすることは、自分や相手の事を深く理解しようとすることになり、共存や共栄といった命題を解き明かすことに近づきますでしょうから、子供の頃から、生き物を飼い育てるのは、とても大切な教育の一環だと思われます。小学校や中学校にある、あの飼育小屋は、懐かしくもあり、素晴らしものだと、今更ながら感じるものでありましょう。
【夏休みの宿題で?】
この夏、なにか生き物を飼うのは、どうでしょうか?短命な生き物から長生きするものまで、それぞれ一長一短がありますが、昆虫や魚類、それに哺乳類に爬虫類、中には動物ではなく植物といった分類で、生活を共にするというのも楽しいものとなる事でしょう。但し、末永く共に暮らす覚悟だけは忘れずにしていれば、毎日が素晴らしいものへと変わるのは間違いなしと言えましょう。
≪ まとめです。≫
育児休暇の条件設置と休暇取得を政府は推進しますけども、その前にすべき事は、育児は誰の為であるか?を厳密にする事でありましょう。それは企業や役所でもなく、休暇を取得する本人でもなく、配偶者でもない。言うなれば、まさしく子供の為である事を忘れてはなりませんでしょう。つまり、子供目線で親は行動する事が大事であります。母親が恋しいから子供は泣くのであって、そこには母乳が欲しいだとか、抱きしめて欲しいだとか、一緒にいて欲しいだとかの願望と欲求が混在しているのを親ならば知らねばなりませんでしょう。親のわがままで育休取得を加速させる風潮があるのなら、それは愚策に嵌り出すと言えましょう。
いとこが少なかったりいないなどの若者世代は多いので、これからの親族のあり方は変化をする兆しがあるのは推測できますでしょう。ペットは家族として過ごす。だからペット葬やペット宿泊、ペット同伴飲食店、さまざまなスタイルが登場し、当たり前に変化を生じさせ、多様な社会を華やかにしますでしょう。そうした上での殺処分ゼロミッションは、始動してます。輝け日本でありましょう。