どんよりとした天気が続きインドア派となる人々が多くいる中、屋内娯楽としてテレビ局は、視聴者ありきでその視聴者の興味を惹くような話題を手間暇かけずに放送しますが、どれも立ち話のような内容で、単なる時間潰しのものとなって久しい今日この頃、皆さんお元気ですか。

 さて本日お話するのは、国葬とは何ぞや?と言った事でありまして、その定義を巡り外務省やら国際政治学者やら評論家などが判断を焦り右往左往する事態では、政府における国益擁護の弔問外交などは、まったく見込めないと考えるのが、妥当でありましょう。

このブログをお読みの皆さんは、ラッキーです。知の源を記してますのでお楽しみください。

 

【元総理はなぜ殺された?】

国民の抱く素朴な疑問は、何で安倍晋三・元総理は撃たれて殺されなければならなかったのか?ということに尽きましょう。つまりテレビ局などは、容疑者が「一方的に私怨を抱いた犯行だ」と理由付けをしたいようですが、果たしてそうでありましょうか?となりましょう。何故なら、参院選挙後の日時でも構わなかった点と、更に言えば、総理としての在職期間中でも実行可能な点となりましょう。ですから殺された理由は、小中学生でも分かるように、私怨ではなく別の目的があったとする推測に至りましょう。

 

【守らなかった護衛官は本物の警察?】

警備の人達は、命懸けで元総理を守らなかったことが最大のミスであるのは周知のことでありましょう。「守る気が無かった?守りたくなかった?」。言い換えれば、登下校時の小学生らの列を見守る大人たちは、必死な思いで辺りを見回し、危険がないか注意を払っていますでしょう。そして何か異常事態があれば、身を挺して危険物から子供たちを守る行動を執りますでしょう。その防御の行為は、「自分が盾になる、間に割って入る、抱きかかえる、子供を突き飛ばしてでも衝突や接触や狙撃等の大惨事を回避しようとする」、そうした捨て身の行動があって初めて、子供たちを保護している事となりますでしょう。なのにその任務があるという護衛官は、今回警護に当たって、真剣に真面目に遂行していたのか?といった疑問が出るのを、国民は我が身の日常風景を通して感じている事と言えましょう。

 

【死人に口なし?】

元総理が殺されたのですから、国葬を視野に入れての政治は、当然あるのが平和主義的外交路線を継承する国是となりましょう。言わば、単なる暴力団員らによる抗争での、銃の発砲殺人事件とは違いますでしょうから、まずは総理経験者が理由はともあれ恣意的に故意に殺されたとなれば、「致し方ありません、国葬を執り行います」となるのが本筋の政治的議論となりましょう。そうでなければ、古代史や中世史によく出てくる、王族内での後継者争いで暗殺された皇位継承に近い跡目争い事件簿となり、それは元総理の後援会組織内で、早速に起こり得ましょう。要するに、欲得で行動するそのような次期立候補予定者の選定を含んだ選挙地盤と利権温存の画策へと、地元後援会の連中は取り掛かりに、動いていると言えましょう。

 

【野党には譲れない地盤だから?】

元総理の選挙地盤をみすみす野党候補者に取られて堪るかとの私怨から、元総理の後援会会員らが一致団結しているのは、想像するに容易いでしょうが、それでは何で、そこまで元総理は、選挙地盤を失うような状況下を招いていると言えるのでしょうか?それはひとえに、「桜を見る会」などでの失態でありましょう。あの事件は、不問に伏せられたようでありますが、構図からすれば、国民の税金等で賄われる公的催事に、元総理の地元後援会会員らは、無償ないしは、それに近い金額で招かれ、飲食および宿泊を元総理の側に面倒を見てもらっていた、とするものだと、国民の多くは認識しておりますでしょう。元総理は、厄介な者達を後援会会員にしてしまった事で、災いしたような騒動が、いくつかありましたでしょう。しかしながらこのような票を金で買う真似をする政治活動を国民は容認しません、とする中では、元総理は不人気になり、落選の憂き目に遭うのは、避けられない事態であったと言えますでしょう。

 

【敵を作り過ぎた元総理?】

元総理が参院選挙の応援演説中に殺されたのには大きな訳があり、その訳を知るのは容疑者と、その容疑者に指示をしたとされる指示役の黒幕の存在だとする陰謀ありきの話は、国民のゴシップ記事として活況を呈するでしょうが、ここで目を凝らすべきものとしてあるのは、イスラム国の組織もそうですが、直接的な指示系統がなくても、賛意と同意を得て、実行を促す洗脳部隊があれば暗殺は可能となり、それは、安倍晋三・元総理の悪口や批判を搔き立ててきたメディアによる報道やニュース記事がサブミニナル効果として、受動的末端者に対し、そのマインドコントロールが働いた、とする見解ができる事となりましょう。

 

【容疑者は死刑か?】

元総理を殺した容疑者は、死刑になる公算が高いのは、今後の再発防止を含めて、国家の一大事であったからという理由になりますでしょう。そして同時に、警察の不手際と警察の共犯性の有無は、今後検証され、後世の史実家らの間で、関係利害抜きに、その是非が判断されるでしょうが、現時点ではっきりしている事は、容疑者の私怨による犯行原因とする短絡さは、まさに宗教弾圧となり、この国から宗教の自由を奪う契機にさせられるようで、まさに宗教戦争を具現化させた危機が迫ってくる戦前状態ないしは明治維新直後と言えましょう。分かり易く言えば、「偶像崇拝があるから霊感商法がまかり通る。偶像崇拝を倒せ、この国を取り戻せ」。というスローガンが出来上がる事でしょう。言い換えれば、この私怨を起因とすることで利益を得る、集団なり組織は、存在するのか?そこを突き止める事は、肝要であるとなりましょう。今回の暗殺、元総理を殺して、無期懲役や仮釈放があるようでは、真似をする者は後を絶たない、そんな世の中を構築するので、やはり死刑判決で死刑執行をする運びでありましょう。つまり、その判決と執行があることによって、今ある秩序が保たれ続け、仮にそうでない刑罰が下ると、事態の様相は変化し、これからの政治批判等は実力行使が標準と化し、「所属議員数と政党交付金を受け取るくせに、そのコスパの悪い党首や党幹部は、全員対象者として狙われるかもしれません」、となるのが、この殺しの背景に出来上がります事でしょう。そして後付けで、私怨を抱いた犯行、として報道され警察内で処理されると言えましょう。

 

≪ まとめます。≫

元総理を務めた者が殺されたのだから、故人の功績や実績や人柄を抜きにして、まずは国葬にするのが正しい政治の道となりましょう。その根拠は、「命は重い」という事に尽きますでしょう。角度を変えて言えば、元総理を殺す動機が何であれ、元総理を殺せば「英雄伝説と共に元総理は再び輝き」、その名を語り継がれる「名誉の死」として崇めることに繋がると、国葬をすることで、容疑者らに教えてあげられる事になるからです。つまりは、「敵に塩を送る」殺人事件と姿を変え、「暗殺後の世情を考えない、所詮そんなことをする敵ならば、国家の脅威として見ない」で済みますので、この国葬の実行は、大いに行う国家プロジェクトの催事でありましょうとなりましょう。

外部からの偏狭な教育や先入観を持たない者達でさえ争いをする。

小さな幼稚園児らが砂場で遊ぶ、そして場所取りで掴み合いの喧嘩が起こる、平和に仲良く遊べない幼児や園児。これが人間の業でしょうから、大人の者達は心して理性的に物事を推し進めないと、今回のような殺しが政治の世界で勃発し、政治家の「政治生命」を絶つ、などといった生易しい次元ではない、現実的な「人の生命」が絶たれる事態となり、この法治国家日本国でいとも簡単に起きる事に、ひどく悲嘆し、恥ずべき醜態だと、認識を新たにした国民は多いでしょう。皆さんと同じに安倍晋三・元総理とは面識がなんらないですが、国葬で安倍晋三・元総理をおくってあげましょう。お疲れ様でした、のねぎらいの言葉と共にです。