私はこう思う。

 

問1・政治は暮らしに影響するのか

答え・その通りです。

【理由】「今の暮らしがいい」、と思うのであれば、それは現政権を支持することをお勧めしますが、「今の暮らしは苦しい不満だ」という事になれば、それは政権交代か?ないしは内閣改造などの疑似的政権交代を望むのがいいと思います。しかしどうでしょう?世の中、「間違った事」、「変な事」、「非常識な事」、が気にされなくなってはいませんか?野党の「立憲民主党は議員になることが目的化した政党となってますし」、「社民や共産は相変わらず自民党批判と護憲運動とロシアや北朝鮮への批判は封印したままであります」。それって、本当に日本国の将来を考えていると言えますでしょうか?「他人に厳しく自分に甘い」、という野党体質を改善しない限り、安倍一強と言われる自公政権は更なる長期化をすることと思います。

 

問2・野党第一党の立憲民主党を初め日本政界は1955年体制の再構築を目指しているのか

答え・その通りです。

【理由】1955年当時、与党は自民党が支配し、野党は旧社会党が居直って、日本の政界で住み分けをしながら戦後の高度経済成長期を歩んだきた。それは、自由主義の自民党と社会主義の野党勢という対立構図を際立たせ、「戦後復興発展の為」と銘打って、政権交代は永久にしないという密約を与野党間で結び、国会や地方自治体で、その影響力を使い政治運営を果たしてきた。しかし年月は経ち、日米貿易赤字のかさむ米ドル経済は、日本に対し為替操作を強要し、日本の財政黒字や国内資産を米国は吸収する計画を企て始めた。それが1985年のプラザ合意となり、それ以降、日本の政界は、1955年体制を維持できなくなっていった、と思います。ですので、昭和期のような与野党の政治的安定期は過ぎ、平成時代には新党結成がブームとなり政権交代が実現した。しかしだ、今また、1955年の政治体制を再構築し、自民党一強の政界としながら政権運営を断行し続ける事の意味と利益は、連立を組む公明党と天皇家に注がれていると思われる。いつまでも野党のままでいい、そんな弱い野党の存在は、「ぬるま湯に浸かった野党議員」を心地良くさせるだけで、物質的貧困者である多くの国民を救済していない状態が続いていると思います。

 

問3・敗戦で焼け野原となった東京などに草木が芽生えるような宗教はいくつもあった

答え・その通りです。

【理由】「物不足であえいだ終戦期」、人々を慰めたのは宗教でした。「物がなくても、空腹でも、心は豊かになれる」、「心豊かであれば、生きている価値を知る事が出来る」、そう信じ込ませ、信心を促す入信布教活動が活発化しました。その最たる宗教団体が、政治部を宗教団体内に持つ公明党創価学会なのです。そうした新興の宗教団体は、時に現存の宗教から迫害や弾圧を受けてました。その為、権力に対抗するには権力側に付かなければならない、と行動したのが公明党の真の姿と言えます。しかし現憲法の政教分離の精神には、反するのは明白と言えます。

 

問4・物質的貧困者が多く居る人間社会を望むのは宗教者らなのか

答え・その通りです。

【理由】ここで一番恐ろしいのは、物質的貧困者の存在を一定率で囲ってしまう信仰側の自己肯定理論です。物質的貧困者が居れば、精神的豊かさで穴埋めさせていく、それで宗教活動は未来永劫、成り立つ、とする宗教活動です。でもそれって、いつになったら物質的貧困者は救済されるのでしょうか?となる事です。貧困層の固定化、貧乏の連鎖、下層階級からの脱出困難、貧しい家庭の子は貧しいままである。

 

問5・貧困者を嘲笑うように布教する宗教は貧民の生き血を吸って拡大基調にあるのか

答え・その通りです。

【理由】更に恐ろしいのは、前世や現世や来世を引用してくる布教活動です。「あなたの不幸は、過去世である前世での行いが悪かった為から、現世の今、そうなっているのですよ」、だから「信仰すれば、あなたは救われます」、と諭してくる洗脳です。これでしたら、人間社会は混沌とすると思います。車で人を轢いても、加害者は「あんたの前世が悪かったから、轢いたのさ」、とかで済まされても、被害者は納得できないと思います。努力することは無駄に感じ、「生き地獄」を与える信仰に過ぎないと思います。

 

問6・幼児や児童生徒が交通事故死するのは今の社会の大人が悪いからか

答え・その通りです。

【理由】「もしもここにガードレールがあったのならば、命は救えたかもしれない?」、「もしも、あそこに信号機があったのなら、命を落とさなかったかもしれない?」、そう思える交通事故は多数あったと思う。そうした事件事故データを統計して、正確な分析と精巧な解析をして、道路建設と交通網は整備されないといけない中、先の厚労省の不正統計事件など、その信用を崩す問題が発生すれば、国交省においても同様に、「雑で適当な仕事をしているのだろう?」、「何をやっていたのだ?」、「何を目指すのだ?」、と多くの国民は感じている事と思います。今の世の中、「大人社会に欠陥があって、子供たちには、罪はないです」、と思う。

 

問7・最終的に公道の管理は国が責任を持つべきなのか?

答え・その通りです。

【理由】。「国民の生命を守る」安全な道路づくりは大事な作業です。危険個所を減らして、安心安全に行き来できる道路作りは、有効な公共事業と言えます。人間の視覚や聴覚や運動神経に何か不都合な事があっても、それを補う為の技術があれば、人は安全に道路を利用できるのです。ですから今後は、ますます、自動運転走行自動車の開発と普及を国の取り組みとして急務とする事が必要と思います。そもそも、最弱者である歩行者が、公道で隅を歩かされているのですから、中央帯を使用する自動車は、より安全に配慮した構造物となるのが望ましいと言えますし、その対策は、国全体で進め、より良い交通網の整備を実施することがより求められると思います。

 

最後まで、お読みいただき有難うございます。

私に幸あれ、あなたに幸あれ