前回の続きです。
イギリスに来た時から、
ずっと自分の中にあった日本人としての静かな誇りのようなもの。
にも関わらず、同時に存在していた、
他国の人と比べるとどこか低く感じるような日本人としての自己肯定感。
外国人に囲まれてみると、無意識に浮き彫りになるような、
そんな日本人の自己肯定感の低さは、
当時自分の年齢や語彙力などを超えたところにあり、
心の奥の層から来るようなものに感じられました。
つまり、個性から来るものではなく、集合的な無意識から来るもの
のように感じられたのです。
学生の頃、そしてこちらで仕事を始めても、
とにかく西洋では黙っていると置いていかれる。
意見を持ち、主張することで人として好かれ、尊敬される。
外国人(とりわけ西洋人)に対等に受け入れてもらうとはそういうことなんだと、
常に頑張っていた気がするのです。
「日本(人)は西洋(人)と比べて軽やかさ、華やかさ、
個性の自由さがなく寡黙で面白みがなく、かたくて真面目でつまらない。
集団行為ばかりに目を向け、みんなと同じであるから安心し、
道徳やルールだらけ。
個人主義である西洋(人)はグローバルで格好良く、
センスとスタイルがあり、常に時代の先駆者。
私達日本人はぜひ真似をすべき」
というような無意識の比較から来る劣等感のようなものは、
現代の若い日本人誰もの心の奥底に多かれ少なかれ存在するものではないでしょうか?
私自身がイギリスに住む前から流行を追うタイプでも、
染まりやすかったり、流されやすいタイプでもなく、
自分の中に「日本への誇らしさのようなもの」があったに関わらず、
心の奥底にあらかじめ打ち込まれた
”西>東、という洗脳的な比較概念”がわずかにも存在していました。
つまり、自分はアジア人、日本人であることを誇りに感じながらも、
どこかで西洋(人)スタイルに合わせよう、そうなろうとしたところがあったのです。
それは、郷に入れば郷に従え、住めば都で、
生活において日本にはないものは仕方ない、新しいものを柔軟に取り入れたり、
試したりというエリアの話では全くないことを言っています。
そんなものはいくらでも融通が利き、逆に海外暮らしにおけるいい学びとか気づきになるものです。
ここでお伝えしているのは、より精神的な日本人の在り方のことです。
若いうちからイギリスに住むようになり、
結婚し、仕事をしてみてもそんなルートを辿っていたわけですが、
22歳の時に夫を通して始めた日本の伝統武道をきっかけに、
私は目を覚ましていくことになります。
なかなか本題へと入っていけない( ゚-゚)( ゚ロ゚)
続きます。
長いシリーズになりそうですが、ご興味おありの方だけおつきあいどうぞ