清らかなハートを育てるためには、ガッツがいる。
ガッツとは強い意志のこと。
強い意志とはあらゆることを否定することなく、
ただ肯定するだけでもなく、
迷わずに受容しながら、
突き進み続ける勇気との結び。
天気が変わるように、
ときに自分の意に反することや、絶望すること、
苛立つことや悲しみを感じること、不安になることが起こることがある。
ハートとガッツは一つだ。
そのどちらが欠けていると、ハートは「出来事」の雲で重くなり、
曇りを吹き消し、立ち上がる力は起こらない。
例えば病気の気配があったとしたら、
「私は病気じゃない、病気じゃない、病気じゃない」
とむやみやたらに念じることではない。
「何も変えることはないし、変わらない」
と肯定しているように振る舞うことでもない。
意志のあるハートはこんなとき、こう言う。
「私は病気だとしたら、こことここを改善して、
こういうところを今見直し、ここからこうなれるようにしよう。
決してこれで終わりではなく、絶対に回復して元気になろう」
例えばある人に叱られ、厳しく指摘されたとする。
そんなとき「私はこれだけやっているのに、どうしてそれをわかってくれないのだろう。
何でこんな思いにさせるんだろう。あの人は狂っているんじゃないか。頭にくる」
でもなく、
「私はいつも同じだ。才能がない。向いていない。無意味だ。指摘されて当然だ」
で止まり、そこで終わるのでもなく、
「これだけやっていると思っていたが、確かにあの人の言う通り、こことここが足りないし、
こういう捉え方や、こういうやり方でさらにこうなる。気づくことができてよかった。言ってもらえて気づいた。さらにこうなれるように、こうできるように。限度を作っているのはいつも自分だ。このチャンスを生かして、もっとこうしよう。ありがたい。感謝しかない」
とはっきりと微塵も迷いと偽りと振りがなく言えるとき、
私達のハートはライオンハートになります。
それは本心の響きでないと意味がありません。
もちろん誰もがそう簡単にできるわけではないから、
どちらかにハートが固く偏りそうになったとき、
「ちょっと待って。これより他の意識があるじゃないか」と
止まり、しっかりと振り返るきっかけを自分で作ることができます。
今このようなことが心理学とか引き寄せなどで多く言われていますが、
いわゆるヨガのチャクラと同じことで、
真なるハートチャクラは強い意志と受容が種となり、
花が咲くところです。
男性性と女性性という言葉もよく言われていますが、
意志と受容は同じコインの裏と表であります。
こうありたい、こうあろう、こうだ、これしかないという突き進みと信念は
勇敢、勇気のスピリット。
これがベスト、今が最善、全てが完璧、何も否定するもの、
拒むもの、傷つけるものは何もないという受け入れと信念は
勇敢、勇気がさらに倍の力となる受容のスピリット。
だから第3チャクラまでは勇敢、勇気、信念、突き進みがおもな栄養で、
ハートチャクラではそれが肥やしとなり、そのエッセンスを含めた受容が花を咲かせる。
ハートチャクラの花は、もう「私はこうだ、私しか正しくない。これしかない。これだ」の花言葉を超えて、「何が起きても、あろうと、起こり得る全てに私は生かされ、揺るぎなく柔軟にかわすことができる」が加わります。
真なるライオンハートとは、「自分」というワードがなくなり、「全て」になります。
けれどそのライオンハートは、完全に「自分」でありながら、「全て」への奉仕となるのです。
「見返り」や「褒美」や「期待」のない、「自分」のハートで立てるようになります。
そして初めて命の法である慈悲慈愛、
ハーモニー、
おかげさま、
お互いさま、
フリースピリット、
不可能のなさ、
無限、
不動なる力が全身全霊で
「私が何をしよう」ではなく「何をさせてもらおう。何ができるか」
になるのです。
ハートは「自分」がありません。
でも完全に「自分」である場所です。
常に勇気を持ち、常に柔軟であり、常に糧にして、
自分を育てる。
心意気は慈愛への近道です。