
初めての子供がお腹に宿ったとき、喜びよりも緊張の方が勝っていたと思う。
「いざ、出陣!」というような気持ちになったのを覚えている。
抜かりのないように、失敗のないようにと準備をした。
もちろん胎教から納得がいくようにしたいと思った。完璧主義だと言われる星まわりらしい。
なんだかわからないが、勉強熱心にもなった。
図書館に通いつめるようになった。どうしても欲しくなり、世界年表を買っていたし。
お腹の子供の性質がすこし乗り移っているのかもしれないと、本気で思った。
臨月になっても年表は読み続け、ノートに書き、「なるほど!世界はこうやって動いてきたんだ」
と言う頃になって夜中に下痢みたいなお腹の痛さに襲われた。
それは陣痛だった。
本格的に陣痛が始まって、お産は6時間で終了した。
生まれたとき、まだ名がないので「あかちゃん、あーかちゃん」と呼びかけると
座らぬ首を動かして、泣くのを止めて、声のする方へ顔を向ける。
「おかあさんの声がわかるのね!やっとあえたね。あーかちゃん」
とつきとおか、お腹で聞いてきた声を赤ちゃんは知っている。
「私、この子の世界中でたった一人のおかあさんだ」
と胸を張る気持ちになる。
完璧主義がガラガラと崩れ落ちたのは、それからすぐだった。
赤ちゃんの頭に「頭血腫」と言われるコブが見つかり、「美しく完璧なこども」という幻想が崩れ落ちた。
自分勝手な想いだけではどうにもならないものがあることは、子育ての出鼻から教えられたことだった。
子育てを始めると、なんでこうも思い通りにならないのか、ということの繰り返しだ。
子供のをこぼしたものを、床に這いつくばって拭いていて、あまりの惨めさに涙をこぼしたこともある。
「こどもはコブもつくるし、こぼすことは仕事みたいなもんだ」
こんな風に思えず、「な・ん・で・な・の!」「なんべん言ったらわかるの!」となる。
いつも至近距離から子供を見ているせいかもしれない。
時々は遠くに焦点を合わさないと、母親は近眼になる。「こそだて近眼」
だから、公園友達はちょくちょく実家に入り浸っている。
至近距離のストレスが致命傷になることもある。しかし、私たち夫婦の実家は二つとも遠距離なのだ。
マザーズシェアハウスのことを知ったのは、親子遊びに参加したときの紹介だった。
気に入って夫に話すと入居は嫌がった。空きもなかったんだけれど、待機することも夫の手前遠慮した。
そこにはカフェがあって、カフェの仕事を手伝うとお昼ご飯を食べられた。
子連れだから、出来ることしかできないけれど、かわりばんこに子供を見ながらご飯を作ってみんなで食べる。
子供も、ほかの子がいるのでテレビに番をさせる必要もなく、気が紛れるようだったし。
なんの用事もない昼間はこうしてマザーズシェアハウスに入り浸った。
とにかく、活動量が半端ないエネルギッシュな息子がいて、こんな環境が与えられたことは
特に雨の日に助かった。
至近距離に困ったことある~と思ったら、ポち

にほんブログ


