マザーズシェアハウス物語 第四話
必死の時って思いっきり自己中になるよね。
今にして思えばとんでもなく図々しいママだったかも。
家を追い出されるように子どもと二人、友達を頼って放浪してた。
仕事とか、食べることとかよりも、まず寝るところをどうするの・・・
なんとか止めてくれた友達の旦那さんが、怒り出して・・・
もう、これ以上居られないと思った。
飛び出して地下をさまよううちに悲しくなった。
私、こんなことしてるはずじゃなかったのに。
好きな英語を使って海外を飛び回って、旅行もついでに楽しんで。
好きな人と出会って、家庭をもって、家族で海外に住んで。
子供はゼッタイ三人生むの。
自分がひとりだから、一人っ子は嫌だし、男女二人だと、
一人っ子同士になっちゃうって聞いたことあるもん。
・・・それも、これも、全部夢。
子供ができて会社を辞めて、彼と暮らし始めたけれど
その彼は生活苦で、時々荒れた。私が叩かれるのは我慢出来るけど
この子に手を出すなんて。
生んだことを後悔はしていない。
絶対に大きくしてみせる。
私だって、
私だって夢を追いかける・・・
けど、けど、もう、無理なのかも
マッチ売りの少女が、あかりの中に見たものは
ほんの一時の幻。
そのリーフレットを見たとき、マジでそう思った。
幻のように美しい。
泣き疲れて、眠る子供の目尻には涙の跡が乾いていた。
ここ、ここへ行こう。
まるで濡鼠のような私たちだったなあ。
今では辛かったそんなことも笑って話せるようになった。
私はマザーズシェアハウスに入って、そこで働かせてもらいながら、
まずは市の支援を受けるための手続きとか、教えてもらった。
そしてすぐに生活支援金をもらいながら、職業訓練をすることになった。
英語だけじゃなく、もっと他の語学のキャリアを積みたかった。
私は中国語を選んだ。中国は隣の国だし、ますます友好関係が進み
ここ数年でぐんと近代的に発展していた。
ネット受講と、実際中国人コミュニティと積極的に交流して語学を極めていった。
訓練が終わって生活支援金受給も終わるころ、中国人のための日本語学校、というか
数人を集めて家庭教師を始めた。中国人コミュニティで仕事を頼まれた。
家庭教師を終えてマザーシェアハウスに帰宅するとだいたい9時になっていた。
夜10時までは、ここで託児を受け入れてくれる。この子が小学校に上がるまで、ほんとに何度となく
助けられた。病気の時も、朝早いときも。
こどもも素直に育ってくれている。
たまに家にいるときも、託児を受けたがるぐらいにそこが好きだった。
そのマザーズシェアハウスにはシュタイナーの勉強をしていた保育士さんがいた。
子供たちは水彩画を描いたり、糸紬をしたり、織物を折ったりして遊んだ。
それをするときの子供たちの真剣さ、集中力には舌を巻く。
コロイのフルートを吹くことも子供たちは大好きだった。
見ていると私もやりたくなった。
そう言うと、私もというママたちが他にもいて、親子シュタイナー勉強会を何度かしたっけ。
それをして、私たちも癒されたの。
こどもは、ひとりでに育っていた。
みんながいてくれたから。「あんたの頑張る姿を見てるからだよ」って言ってくれるけど、
私、とにかく自立することだけしか手が回らなかったもの。
私と息子のそばにいつも一緒に居てくれて、本当にありがとう。みんな。
あれから、かれこれ10年近くになるのね。
卒業かと思うと、かなり寂しい。
けど息子も羽ばたいていくわけだし、私も羽ばたかないわけにはいかないもんね。
羽ばたいてよかった~!

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必死の時って思いっきり自己中になるよね。
今にして思えばとんでもなく図々しいママだったかも。
家を追い出されるように子どもと二人、友達を頼って放浪してた。
仕事とか、食べることとかよりも、まず寝るところをどうするの・・・
なんとか止めてくれた友達の旦那さんが、怒り出して・・・
もう、これ以上居られないと思った。
飛び出して地下をさまよううちに悲しくなった。
私、こんなことしてるはずじゃなかったのに。
好きな英語を使って海外を飛び回って、旅行もついでに楽しんで。
好きな人と出会って、家庭をもって、家族で海外に住んで。
子供はゼッタイ三人生むの。
自分がひとりだから、一人っ子は嫌だし、男女二人だと、
一人っ子同士になっちゃうって聞いたことあるもん。
・・・それも、これも、全部夢。
子供ができて会社を辞めて、彼と暮らし始めたけれど
その彼は生活苦で、時々荒れた。私が叩かれるのは我慢出来るけど
この子に手を出すなんて。
生んだことを後悔はしていない。
絶対に大きくしてみせる。
私だって、
私だって夢を追いかける・・・
けど、けど、もう、無理なのかも
マッチ売りの少女が、あかりの中に見たものは
ほんの一時の幻。
そのリーフレットを見たとき、マジでそう思った。
幻のように美しい。
泣き疲れて、眠る子供の目尻には涙の跡が乾いていた。
ここ、ここへ行こう。
まるで濡鼠のような私たちだったなあ。
今では辛かったそんなことも笑って話せるようになった。
私はマザーズシェアハウスに入って、そこで働かせてもらいながら、
まずは市の支援を受けるための手続きとか、教えてもらった。
そしてすぐに生活支援金をもらいながら、職業訓練をすることになった。
英語だけじゃなく、もっと他の語学のキャリアを積みたかった。
私は中国語を選んだ。中国は隣の国だし、ますます友好関係が進み
ここ数年でぐんと近代的に発展していた。
ネット受講と、実際中国人コミュニティと積極的に交流して語学を極めていった。
訓練が終わって生活支援金受給も終わるころ、中国人のための日本語学校、というか
数人を集めて家庭教師を始めた。中国人コミュニティで仕事を頼まれた。
家庭教師を終えてマザーシェアハウスに帰宅するとだいたい9時になっていた。
夜10時までは、ここで託児を受け入れてくれる。この子が小学校に上がるまで、ほんとに何度となく
助けられた。病気の時も、朝早いときも。
こどもも素直に育ってくれている。
たまに家にいるときも、託児を受けたがるぐらいにそこが好きだった。
そのマザーズシェアハウスにはシュタイナーの勉強をしていた保育士さんがいた。
子供たちは水彩画を描いたり、糸紬をしたり、織物を折ったりして遊んだ。
それをするときの子供たちの真剣さ、集中力には舌を巻く。
コロイのフルートを吹くことも子供たちは大好きだった。
見ていると私もやりたくなった。
そう言うと、私もというママたちが他にもいて、親子シュタイナー勉強会を何度かしたっけ。
それをして、私たちも癒されたの。
こどもは、ひとりでに育っていた。
みんながいてくれたから。「あんたの頑張る姿を見てるからだよ」って言ってくれるけど、
私、とにかく自立することだけしか手が回らなかったもの。
私と息子のそばにいつも一緒に居てくれて、本当にありがとう。みんな。
あれから、かれこれ10年近くになるのね。
卒業かと思うと、かなり寂しい。
けど息子も羽ばたいていくわけだし、私も羽ばたかないわけにはいかないもんね。
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