どうも、サトケンです。




昨日はとあるセミナーに参加してきました。


そのセミナーは泉忠司さんと蝶乃舞さんの

『ネオ所得倍増計画』

というセミナーです。



このお二人を知らないかもしれませんが、インターネットビジネス界では有名なお二人です。


大体こういう人達ってネットで検索すると、批判の声が多いんですが、この『ネオ所得倍増計画』も検索すると辛口レビューが大半でした。


「詐欺だ」とか「行く価値がない」とか、色々な意見があります。


実際に僕がセミナーに参加してみた感想は、

「行って正解だった」

です。



まあ、どう受け取るかは人それぞれ違って当たり前です。

他人がどう思うかではなくて、自分がどう思うか?が重要です。


この二人は高額塾なども販売しているのですが、そこでもやっぱり「稼げない」「詐欺だ」という意見があります。



でも、僕の隣に座った方は蝶乃舞さんの塾に入った事があり、実際に稼いで結果を出している人でした。



結局は受け取り方次第という事です。



何回も言っている事と思いますが、「教えてもらおう」とか「稼がせてもらおう」とか思っている人は成長しないんです。

「高いお金払っているんだから稼がせろ」みたいな「稼がせてもらって当然」と思っている人は、どんなに優良な教材を買っても、結果を出すのは難しいでしょうね。


で、そういう人は稼げなかったのは自分のせいではなくて、相手のせいだと感じますから、「詐欺だ」と騒ぐ訳です。



僕の隣に座った方は普通の主婦でした。

本当にごくごく一般的な主婦という感じの方でした。


それでも実際に稼いでいるんです。



だから、稼げないという事はないんですね。


というか、稼げるんですよ。


まずはリアルに稼げるというイメージを持つ事。


その上で自分が学んだ事をどう行動に移せるかどうか。

どれだけ本気になれるかどうか。



ぶっちゃけノウハウよりも、ここの要素の方が重要かな?と最近は思っています。


もちろんノウハウも大事です。


より具体的にイメージする為には、実際に結果を出している人にゴールを示してもらう方がイメージしやすいですからね。



で、このお二人は実際に結果を出している人達です。

というか、トッププレイヤーです。




セミナーは実際に成功している人を生で見れる貴重な体験です。


書籍やDVDとはまた違う、空気感を感じる事ができます。



お二人の話を聞いていて、自信や誠実さや本気度というものが感じられました。



そういう場にいると、バッと熱に浮かされたように、やる気がみなぎってきますが、大抵長続きせず、数日後にはいつもと変わらない日常に戻っていきますよね。(笑)


そうならないように、昨日学んだ事を、いかに淡々と自分の行動に落とし込んでいくかが重要です。


やる気ではなく本気を出す。



こんな感じで学んだ事をしっかりと活かしていきたいと思います。


最後まで読んで頂きありがとうございました。
どうも、サトケンです。




先日しまだきょうこさんという方の記事を読んだのですが、その記事を読んでいて、最近僕が考えている教育とシンクロしているところがあったのでシェアしようと思います。


この記事はアメリカの教師が「世界平和ゲーム」というものを考え、小学4年生に、このゲームを通して学んでもらおうという授業だそうです。

シェアした記事⇒9歳が挑戦!世界平和ゲーム



詳しい内容は上記リンクから、ブログを読んでほしいのですが、教育というものを深く考えさせられる内容じゃないかな?と思います。



『教育』というと、学校で、教師と生徒、教科書で、というイメージで、自分には関係ないと思うかもしれませんが、そんな事は決してありません。

会社でも、上司と部下、先輩と後輩という関係では教育が必要だし、あなたが子供と接する時も教育です。



というか、

日常生活における『情報のやりとり』が全て教育である

と言っても大袈裟ではありません。


そして、常に自分は教育者であると同時に学習者であるという事です。



で、教育とは何か?という話なんですが、教育とは答えを教える事ではなくて、

自分で答えを見つけられるように導く事

だと僕は思っています。



僕らが子供の頃から受けてきた教育は「答えを教えてもらうもの」でした。

だからという訳ではないかもしれませんが、「答えだけを求める」という傾向が強いように感じます。



これはこう、これはこう、と一つ一つに対して絶対的な答えを求める人が多いです。

いわゆる「クレクレ君」という人達ですね。



これではいつまで経っても『依存』から抜け出せず、『自立』ができません。



教育者は、自分で答えを見つけられるように導く事を意識する必要がありますが、学習者も、自分で答えを見つけられるように学ぶという事を意識する必要があります。




『背中で語る』

『目で見て盗む』



というのが、ある意味では理想の教育なのかもしれませんね。



空腹で苦しんでいる人に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えてあげる


こんな例えを聞いた事があると思います。


魚を与えただけでは、食べたら終わりです。また空腹が襲ってきて、誰かが助けてくれるまで待たなければなりません。

しかし魚の釣り方を教えてあげれば、空腹になっても、その人は自分で魚を釣れるようになるので、誰かが魚をくれるまで待たなくてよくなります。



これが真の教育である、という例えですね。




で、今日はここから教育というものをビジネス的な観点から見ていこうと思います。


先程の例の

空腹で苦しんでいる人に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えてあげる

を使って説明します。



ビジネスという事で考えると、両方するという考え方ができます。


まず、魚を与えてから釣り方を教えてあげる


もっと言えば、実際に自分が釣ったところを見てもらい、その釣った魚を与えてから、釣り方を教えてあげる。



なぜかと言うと、そもそも論として、いきなり「魚の釣り方を教えてあげるよ」と言っても、聞く耳を持ちません。

「あんた誰?」って感じです。(笑)





でも、先に魚を与えれば、魚をくれた恩人ですから、普通に考えて感謝しますよね?

更に実際に目の前で釣った魚をもらったとしたら、「この人は魚を釣れる人なんだ」とはっきりとわかります。


感謝してて、魚釣りの技術がある人が「魚の釣り方を教えてあげるよ」と言えば、教えてもらいますよね?


前者と後者の違いは信頼関係の構築があるかないかの違いです。


信頼関係があるから、話に興味を持つし、お金も払うんです。



まずセールスをするのでなく、信頼関係を構築する。



教育でもビジネスでも、誰から聞くのか?によって、同じ内容でも受け取る印象は全く別のものになります。



なんだか話が飛躍しすぎたような気もしますが・・・(笑)



教育というものを、教育者と学習者という両側面から考えてみましょうという事をお伝えしたかった訳です。



最後まで読んで頂きありがとうございました。



どうも、サトケンです。




『引き寄せの法則』というのを聞いた事があると思います。

この法則は引き寄せたい物事をイメージする、というものですね。

よりリアルに、鮮明にイメージをして、それがもう叶ったかのように行動する。



この引き寄せの法則は、絶対の法則で、むしろ抗う方が難しいと思います。



ただ、この引き寄せの法則には罠があって、一朝一夕で身につけられるものではありませんし、イメージすればそれで良い、という勘違いもされています。



例えば、100万円稼いだ自分を引き寄せたいと思った時に、

①100万円稼いだ自分をイメージする

②100万円稼いだ事に感謝し、ワクワクする

③すでに100万円稼いだ自分のように行動する



一般的に知られている引き寄せの法則はこんな感じだと思います。


僕の場合は今にして思えば、②の「感謝、ワクワク」という事しかできていなかったと思います。



これは間違ってはいませんが、

「100万円稼いだ!やったー!わーい!」

と、頭がお花畑状態になっているだけ、とも言えます。





そもそも、100万円稼ぐ、というのをリアルにイメージできなければなりませんし、そうなるように行動もしなければいけません。


僕は引き寄せの法則を実践しようとした時は、感謝ワクワクだけで、これといった行動もせず、お花畑状態でした。



当然、一向に現実は変わりません。



行動は当たり前のようにしなければなりませんが、まずはイメージです。


よりリアルに、臨場感を持ったイメージです。



そこまでリアルにイメージできれば、当然「リスク」という側面も見えてくると思います。

今回の例で言えば、「100万円稼げなかった時」の事も想定しなければなりません。



この「100万円稼げなかった時」というのは、心配とは少し違うもので、リスク管理であり、


最悪を想定する


というものです。



光を知りたければ闇を知れ!って事です。


人は知らない事に恐怖を覚えます。

光しか知らなければ、闇がきた時に何が起こったのかわからない訳です。


闇を知らないから「これは闇だ」と認識できず、光がなくなっていくのを恐怖しながら立ちすくむしかないんです。

でも闇を知っていれば「これは闇だ」と認識できます。


そして闇を知っていれば、闇が来たときの準備ができます。どう対応したらいいのかもわかります。


予めリスクを想定して準備をしておけば、慌てずに対応できますよね。



だからこそ、最悪を想定して最善を創造するんです。


想定できる最悪の事態が起こった時の最善の対応策は何か?



これは決してネガティブなものではなく、むしろポジティブですよね?

「どうすれば良くなるか?」を考えている訳ですから前向きです。


これは簡単なようで、難しいと思います。

本当に臨場感を持ってイメージできなければ、リスクも見えてきませんからね。



正直なところ、僕もまだまだできているとは言えません。



なので、最初は「準備する」という事にフォーカスしてみてください。

これならできそうな気がしませんか?



物事を始める時や行動を起こす時は、準備できる事を準備する。

準備できていれば行動は早くなります。

行動が早くなれば、心が軽くなります。


それが好循環を生みます。



成功者はチャンスがやってきた時に、チャンスを掴めるように常に準備をしています。


『棚からぼた餅』ということわざがありますが、これは「思いがけない幸運が舞い込む事」の例えとして使われています。


しかし、これも準備をしていなければ、口にぼた餅は落ちてこない訳です。

どの棚にぼた餅があるのかを知らなければならないし、どの辺にぼた餅が落ちてくるのか予想しなければならない。

そして、口を開けて待っていなければ、餅は口に入ってこない訳です。



「チャンスがやってくる」のでなく、文字通り「チャンスを掴む」んです。


例えば、常に名刺を用意しておく、というのも準備のひとつです。

いざという時に「名刺がなくて・・」では、それだけでチャンスを逃してしまいます。



こういう些細な準備でいいわけです。

些細な準備の積み重ねが大きなチャンスを掴む事につながっていくんです。





今回の内容をまとめると、準備をする事で、


・行動の速度を上げて、好循環を生み出す

・チャンスがやってきた時にしっかりとチャンスを掴める





最後まで読んで頂きありがとうございました。
どうも、サトケンです。



前回の記事や以前書いた記事で、バランスの話や抽象度を上げる話を書いてきました。

参考記事⇒人生が輝く秘訣
病気の治し方


今回はまた別の視点から、バランスというものを考えていこうと思います。



食事療法

というものを聞いた事があるでしょうか?


薬などの治療で治す訳ではなく、食事で病気を治すというものです。



例えば、病気になってしまったので、玄米菜食にして病気を治すといったものです。

実際にこれで、病気が治って良くなったという事例はたくさんあります。



これは食事のバランスが悪くて、体が異常に傾いていた状態から、正常な状態に戻した事によって治った訳です。



で、治った人は、実際に治った訳ですから「これはすごい」と玄米菜食というものをもっと追求し、もっとガチガチに玄米菜食の生活をしていくようになります。



「玄米菜食を続けていれば健康になる」と盲信してしまう訳です。



で、ここでちょっと考えてほしいんですが、異常だった体が正常に戻るという事は、それを続ければまた異常になる可能性があると思いませんか?



マイナスに傾いていた体が玄米菜食によってプラスマイナス0の状態になった訳ですから、「プラスの方向に作用した」という事です。

であれば、それを続けていけば、今度はプラスの方に体が傾いていくという事になります。


言葉ではわかりづらいかもしれません。ちょっと図を書いてみたので、参考にしてください。






このように、逆方向に傾いてしまう可能性があるという事です。


もちろん全員がそうなる訳ではないし、玄米菜食というものは素晴らしい考え方だと思っています。

それを否定するというものではありません。



一つの考え方として、こういう視点もあるんだな、という風に捉えてくださいね!



で、何を言いたいかと言うと、実際に治った事によって、その考えが強化され、盲信してしまうという事を言いたい訳です。


盲信は盲点を生む


これは以前にも書いた事です。

参考記事⇒成長スピードが3倍早くなる学習法その3



盲信してしまうと、プラスの方に傾いてきて、体調が悪くなったとしても、それがなぜかわからないんです。


玄米菜食を続けているのに、なぜ体調が悪くなるのか?

やり方が悪いのか?

もっとしっかりやらなくてはいけない



と、より強化してしまうんですね。



「強化する」という事は、更に一方向に傾いていくという事ですから、更に悪化する可能性もある訳です。



まあ、強化した方向が逆方向ならいいわけですが・・・



玄米菜食もバランスがありますから、このバランスがうまくとれる人は、傾く事なく、元気に玄米菜食を続けられます。


こういう人は玄米菜食というものを、俯瞰して見ているんです。



しかし、盲信している人というのは、視界が限りなく狭いですから、より一方向に傾きやすい傾向があります。



極端な例を挙げて説明すると、「断食」というものがあります。

これは食べない事で体の調子が良くなると最近注目されていますね。


これもざっくり言えば、

食べ過ぎで異常になっていた体を正常に戻すものです。


では、正常に戻ったからといって、断食をずっと続けていれば、死んでしまいますよね?




かなり極端で、バカらしく聞こえるかもしれませんが、本質は同じです。


客観的に俯瞰してみると、よく見えるようになるんです。


そうすれば、必然的にバランスもとれるようになるという訳です。


抽象度とバランスを意識すると、もっと楽に生きられるようになります。



最後まで読んで頂きありがとうございました。




どうも、サトケンです。



僕は自然食カフェという職業上、食や健康に触れる機会が多いのですが、その中で最近感じている事をシェアしたいと思います。


『食』と一言で言っても様々なカテゴリーがあります。


例えば、

・マクロビオティック

・ローフード

・糖質制限

・カロリー制限

・ベジタリアン

・ヴィーガン

・フルタリアン(フルールのみ)

・リキタリアン(液体のみ)


などなど、ざっと思いついただけでも、これだけあります。



このカテゴリーというのは、考え方であったり、調理法であったりと様々なもので分類されるのですが、一体このカテゴリーの中でどれが一番いいのか?正しいのか?という疑問がでてくると思います。



僕の見解では、


どれもいい。どれも正しい。


です。



そもそも論として、万人に合うものは存在しないんです。

体調や体質、環境や好き嫌い、信念等は人それぞれ違いますから、絶対的にこれが正しいというものはない訳です。




そして客観的に見た場合でも、マクロビオティックにはマクロビオティックの良いところがあるし、

ローフードにはローフードの良いところがあるんです。


そして、良いところもあれば、悪いところもあるんです。



でも、多くの人はこの『カテゴリー』にこだわっているんです。

カテゴリーに固執している、というか。



ベジタリアンだから、肉は食べてはいけない、とか

ローフードだから加熱したものは食べてはいけないだとか、

自分をカテゴライズして、縛ってしまうんですね。



なんていうか、カテゴリーに固執して、盲信しているという感じですね。


ひどい人になると、肉を食べている人を否定したり、と、

自分のカテゴリー以外の人を攻撃する人もいます。



人それぞれ感性も違うし、

正しい正しくないというのは主観ですから、

相手を否定するのはどうかと思うんですが。


「全てはバランス」という考えが僕にはあるので、それぞれの良い面悪い面を考慮しつつ、『良いとこ取り』してバランスを取っていけばいいかな?と僕個人は考えています。



で、今日お伝えしたいことは、この、

自分をカテゴライズする事の危険性

についてです。



例えばベジタリアンの人は、「健康の為」とか「平和の為」とか、そういう考えや信念に基づいて選択していると思います。


マクロビオティックやローフードなども同じですね。



そういう人って、「自分はマクロビオティック」「自分はローフード」とか思って一生懸命勉強するんです。


でも、そういう一生懸命になっている人に限って、全然健康そうじゃなかったり、楽しそうじゃなかったりするんですよね。


もちろん全員じゃないですよ?

そういう人もいるって事です。



輝いていない


という表現の方が適切かもしれません。



でも、当然輝いている人もいるんです。


その道を極めた人達って、全員輝いていますよね?



この違いってなんだと思いますか?



輝いていない人は、カテゴライズする事によって、物事を分離して考えているんです。

視野が狭くなっているんです。


でも、輝いている人は物事をつなげて考えているんです。

俯瞰して捉えているんです。




マクロビオティックを学んでいる人は「マクロビオティックを学んでいる。」

ローフードを学んでいる人は「ローフードを学んでいる」んです。



でも、輝いている人は、「マクロビオティックを学んでいる」のではなくて、『食や健康』だったり、もっと言えば『人生そのもの』を学んでいる、という感覚なんですね。



全ては人生


輝いている人、うまくいく人、成功する人、というのは、抽象度が高いんです。


分離して考えていない、全てが人生だから、全てが学びなんです。



例えば、漫画を読んでいても、「漫画」を読んでいる訳ではなく、

映画を見ていても、「映画」を見ている訳でもなく

音楽を聞いていても、「音楽」を聞いている訳でもなく、

遊んでいても、「遊んでいる」訳ではないんです。


『単一の行為』として分離している訳ではなく、全て人生そのものという捉え方です。



そして「マクロビオティック」という縦軸を中心に、情報が集まってくるイメージです。


漫画を読んでいても、マクロビオティックに関する何かが結びつく、それはアイデアだったり、新しい気付きだったり。

映画を見ていても、音楽を聞いていても、遊んでいても、マクロビオティックに関する何かが結びつくんです。



なんだかちょっと話が飛躍してしまいましたが、とりえあえず「輝いている人は抽象度が高い」というポイントだけ抑えておいてくれればオーケーです。



で、抽象度の高い人はバランスのとり方がうまいんですね。

カテゴライズして盲信的になっている人は、「~してはいけない」という考えが多いんです。

例えば「肉を食べてはいけない」とか「加熱したものは食べてはいけない」とかですね。



でも、抽象度の高い人は、「~してはいけない」という考え方ではないんです。

例えば「肉を食べてはいけない」ではなく、「肉を食べたらこうすればいいよね」みたいな感じです。


変な言い方ですが、『ゆるい』んです。(笑)


一つのカテゴリーに固執していないんですね。縦軸はしっかりと持っているんですが、固執している訳ではない。



盲信、固執、執着というのは、視野を狭くします。

もうそれ以外見えなくなります。



だからこそ、一歩高いところから俯瞰して見るという視点が必要なんですね。

そうすれば見えるものが多くなり、バランスが取れるようになる訳です。


そして結果的にうまくいくし、何よりも楽しそうなんです。


執着ではなくて、俯瞰する事が輝く秘訣


最後まで読んで頂きありがとうございました。