どうも、サトケンです。
僕は自然食カフェという職業上、食や健康に触れる機会が多いのですが、その中で最近感じている事をシェアしたいと思います。
『食』と一言で言っても様々なカテゴリーがあります。
例えば、
・マクロビオティック
・ローフード
・糖質制限
・カロリー制限
・ベジタリアン
・ヴィーガン
・フルタリアン(フルールのみ)
・リキタリアン(液体のみ)
などなど、ざっと思いついただけでも、これだけあります。
このカテゴリーというのは、考え方であったり、調理法であったりと様々なもので分類されるのですが、一体このカテゴリーの中でどれが一番いいのか?正しいのか?という疑問がでてくると思います。
僕の見解では、
どれもいい。どれも正しい。
です。
そもそも論として、万人に合うものは存在しないんです。
体調や体質、環境や好き嫌い、信念等は人それぞれ違いますから、絶対的にこれが正しいというものはない訳です。
そして客観的に見た場合でも、マクロビオティックにはマクロビオティックの良いところがあるし、
ローフードにはローフードの良いところがあるんです。
そして、良いところもあれば、悪いところもあるんです。
でも、多くの人はこの『カテゴリー』にこだわっているんです。
カテゴリーに固執している、というか。
ベジタリアンだから、肉は食べてはいけない、とか
ローフードだから加熱したものは食べてはいけないだとか、
自分をカテゴライズして、縛ってしまうんですね。
なんていうか、カテゴリーに固執して、盲信しているという感じですね。
ひどい人になると、肉を食べている人を否定したり、と、
自分のカテゴリー以外の人を攻撃する人もいます。
人それぞれ感性も違うし、
正しい正しくないというのは主観ですから、
相手を否定するのはどうかと思うんですが。
「全てはバランス」という考えが僕にはあるので、それぞれの良い面悪い面を考慮しつつ、『良いとこ取り』してバランスを取っていけばいいかな?と僕個人は考えています。
で、今日お伝えしたいことは、この、
自分をカテゴライズする事の危険性
についてです。
例えばベジタリアンの人は、「健康の為」とか「平和の為」とか、そういう考えや信念に基づいて選択していると思います。
マクロビオティックやローフードなども同じですね。
そういう人って、「自分はマクロビオティック」「自分はローフード」とか思って一生懸命勉強するんです。
でも、そういう一生懸命になっている人に限って、全然健康そうじゃなかったり、楽しそうじゃなかったりするんですよね。
もちろん全員じゃないですよ?
そういう人もいるって事です。
輝いていない
という表現の方が適切かもしれません。
でも、当然輝いている人もいるんです。
その道を極めた人達って、全員輝いていますよね?
この違いってなんだと思いますか?
輝いていない人は、カテゴライズする事によって、物事を分離して考えているんです。
視野が狭くなっているんです。
でも、輝いている人は物事をつなげて考えているんです。
俯瞰して捉えているんです。
マクロビオティックを学んでいる人は「マクロビオティックを学んでいる。」
ローフードを学んでいる人は「ローフードを学んでいる」んです。
でも、輝いている人は、「マクロビオティックを学んでいる」のではなくて、『食や健康』だったり、もっと言えば『人生そのもの』を学んでいる、という感覚なんですね。
全ては人生
輝いている人、うまくいく人、成功する人、というのは、抽象度が高いんです。
分離して考えていない、全てが人生だから、全てが学びなんです。
例えば、漫画を読んでいても、「漫画」を読んでいる訳ではなく、
映画を見ていても、「映画」を見ている訳でもなく
音楽を聞いていても、「音楽」を聞いている訳でもなく、
遊んでいても、「遊んでいる」訳ではないんです。
『単一の行為』として分離している訳ではなく、全て人生そのものという捉え方です。
そして「マクロビオティック」という縦軸を中心に、情報が集まってくるイメージです。
漫画を読んでいても、マクロビオティックに関する何かが結びつく、それはアイデアだったり、新しい気付きだったり。
映画を見ていても、音楽を聞いていても、遊んでいても、マクロビオティックに関する何かが結びつくんです。
なんだかちょっと話が飛躍してしまいましたが、とりえあえず「輝いている人は抽象度が高い」というポイントだけ抑えておいてくれればオーケーです。
で、抽象度の高い人はバランスのとり方がうまいんですね。
カテゴライズして盲信的になっている人は、「~してはいけない」という考えが多いんです。
例えば「肉を食べてはいけない」とか「加熱したものは食べてはいけない」とかですね。
でも、抽象度の高い人は、「~してはいけない」という考え方ではないんです。
例えば「肉を食べてはいけない」ではなく、「肉を食べたらこうすればいいよね」みたいな感じです。
変な言い方ですが、『ゆるい』んです。(笑)
一つのカテゴリーに固執していないんですね。縦軸はしっかりと持っているんですが、固執している訳ではない。
盲信、固執、執着というのは、視野を狭くします。
もうそれ以外見えなくなります。
だからこそ、一歩高いところから俯瞰して見るという視点が必要なんですね。
そうすれば見えるものが多くなり、バランスが取れるようになる訳です。
そして結果的にうまくいくし、何よりも楽しそうなんです。
執着ではなくて、俯瞰する事が輝く秘訣
最後まで読んで頂きありがとうございました。
僕は自然食カフェという職業上、食や健康に触れる機会が多いのですが、その中で最近感じている事をシェアしたいと思います。
『食』と一言で言っても様々なカテゴリーがあります。
例えば、
・マクロビオティック
・ローフード
・糖質制限
・カロリー制限
・ベジタリアン
・ヴィーガン
・フルタリアン(フルールのみ)
・リキタリアン(液体のみ)
などなど、ざっと思いついただけでも、これだけあります。
このカテゴリーというのは、考え方であったり、調理法であったりと様々なもので分類されるのですが、一体このカテゴリーの中でどれが一番いいのか?正しいのか?という疑問がでてくると思います。
僕の見解では、
どれもいい。どれも正しい。
です。
そもそも論として、万人に合うものは存在しないんです。
体調や体質、環境や好き嫌い、信念等は人それぞれ違いますから、絶対的にこれが正しいというものはない訳です。
そして客観的に見た場合でも、マクロビオティックにはマクロビオティックの良いところがあるし、
ローフードにはローフードの良いところがあるんです。
そして、良いところもあれば、悪いところもあるんです。
でも、多くの人はこの『カテゴリー』にこだわっているんです。
カテゴリーに固執している、というか。
ベジタリアンだから、肉は食べてはいけない、とか
ローフードだから加熱したものは食べてはいけないだとか、
自分をカテゴライズして、縛ってしまうんですね。
なんていうか、カテゴリーに固執して、盲信しているという感じですね。
ひどい人になると、肉を食べている人を否定したり、と、
自分のカテゴリー以外の人を攻撃する人もいます。
人それぞれ感性も違うし、
正しい正しくないというのは主観ですから、
相手を否定するのはどうかと思うんですが。
「全てはバランス」という考えが僕にはあるので、それぞれの良い面悪い面を考慮しつつ、『良いとこ取り』してバランスを取っていけばいいかな?と僕個人は考えています。
で、今日お伝えしたいことは、この、
自分をカテゴライズする事の危険性
についてです。
例えばベジタリアンの人は、「健康の為」とか「平和の為」とか、そういう考えや信念に基づいて選択していると思います。
マクロビオティックやローフードなども同じですね。
そういう人って、「自分はマクロビオティック」「自分はローフード」とか思って一生懸命勉強するんです。
でも、そういう一生懸命になっている人に限って、全然健康そうじゃなかったり、楽しそうじゃなかったりするんですよね。
もちろん全員じゃないですよ?
そういう人もいるって事です。
輝いていない
という表現の方が適切かもしれません。
でも、当然輝いている人もいるんです。
その道を極めた人達って、全員輝いていますよね?
この違いってなんだと思いますか?
輝いていない人は、カテゴライズする事によって、物事を分離して考えているんです。
視野が狭くなっているんです。
でも、輝いている人は物事をつなげて考えているんです。
俯瞰して捉えているんです。
マクロビオティックを学んでいる人は「マクロビオティックを学んでいる。」
ローフードを学んでいる人は「ローフードを学んでいる」んです。
でも、輝いている人は、「マクロビオティックを学んでいる」のではなくて、『食や健康』だったり、もっと言えば『人生そのもの』を学んでいる、という感覚なんですね。
全ては人生
輝いている人、うまくいく人、成功する人、というのは、抽象度が高いんです。
分離して考えていない、全てが人生だから、全てが学びなんです。
例えば、漫画を読んでいても、「漫画」を読んでいる訳ではなく、
映画を見ていても、「映画」を見ている訳でもなく
音楽を聞いていても、「音楽」を聞いている訳でもなく、
遊んでいても、「遊んでいる」訳ではないんです。
『単一の行為』として分離している訳ではなく、全て人生そのものという捉え方です。
そして「マクロビオティック」という縦軸を中心に、情報が集まってくるイメージです。
漫画を読んでいても、マクロビオティックに関する何かが結びつく、それはアイデアだったり、新しい気付きだったり。
映画を見ていても、音楽を聞いていても、遊んでいても、マクロビオティックに関する何かが結びつくんです。
なんだかちょっと話が飛躍してしまいましたが、とりえあえず「輝いている人は抽象度が高い」というポイントだけ抑えておいてくれればオーケーです。
で、抽象度の高い人はバランスのとり方がうまいんですね。
カテゴライズして盲信的になっている人は、「~してはいけない」という考えが多いんです。
例えば「肉を食べてはいけない」とか「加熱したものは食べてはいけない」とかですね。
でも、抽象度の高い人は、「~してはいけない」という考え方ではないんです。
例えば「肉を食べてはいけない」ではなく、「肉を食べたらこうすればいいよね」みたいな感じです。
変な言い方ですが、『ゆるい』んです。(笑)
一つのカテゴリーに固執していないんですね。縦軸はしっかりと持っているんですが、固執している訳ではない。
盲信、固執、執着というのは、視野を狭くします。
もうそれ以外見えなくなります。
だからこそ、一歩高いところから俯瞰して見るという視点が必要なんですね。
そうすれば見えるものが多くなり、バランスが取れるようになる訳です。
そして結果的にうまくいくし、何よりも楽しそうなんです。
執着ではなくて、俯瞰する事が輝く秘訣
最後まで読んで頂きありがとうございました。